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魔王子は女騎士の腕の中で微睡む  作者: 小織 舞(こおり まい)
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隠れ屋敷 3

 ルベリアはタンジーの居る部屋の戸を叩き、おずおずと声をかけた。



「お、お邪魔します……」


「ああ、入んな」



 台所の横のこじんまりとした部屋には、絨毯が敷かれ、天井に差し渡した紐からカーテンが下がり、寝台と小卓の置かれた場所を区切っていた。



 背の低い豆ストーヴにはちらちらした火が燃え、足元を暖めている。あちこちに酢漬けや蜂蜜漬けの大瓶、ジャムの瓶、乾燥した香草の束、自家製の薬草酒の甕が置いてある。小さな洋服箪笥の上にはレース編みの敷物と飾りが、卓の上には編みかけの作品が、そして何よりここはタンジーのお手製の軟膏の匂いに満ちている。



 彼女がここへ来たのはたった一巡りくらいの短期間だろうに、タンジーの手によってこの小部屋は何年も前から変わらないような、古馴染みの空間に仕立てられていた。



「座んな」


「あ、はい」



 勧められるがままに小さな椅子に腰かける。ルベリアの半分ほどの背丈しかないタンジーに合わせた作りの家具たちに囲まれると、まるで絵物語に出てくる小人の家を訪ねた旅人のような気持ちになる。そこまではいかなくとも子供用の椅子に無理やり腰かけているくらいの窮屈さはある。



 タンジーがストーヴで湯を沸かし、薬草茶を入れている間、ルベリアは言葉を選んではためらってばかりで何も言えなかった。今まで気安く話せていたのに、場所が変わったからなのか立場が変わったからなのか、うまく言葉にならない。



「ルベリア、蜂蜜は入れるかい?」


「あ、はい、お願いします」



 薬草茶を口に含むと、すーっとするミントの匂いがまず鼻に抜ける。次いで蜂蜜の甘さが口の中に広がった。その温かさが舌の強ばりまで溶かしてくれたかのように、今度はするりと言葉が出た。



「……あの、奥様とはもうお話になりましたか?」


「オーリーヌ奥様とかい? 話したよ。アンタが馬鹿な真似すんじゃないかって姫さんが泣いてたのも知ってる」


「……ごめんなさい」


「馬鹿だね、アンタはあのとき自分に出来る事をした、それだけだろう?」


「はい……。でも、……はい」


「だったら、アタシが何か言えることじゃない。生きて帰ってこられただけで十分さね」


「う………」


「おかえり、馬鹿娘。帰ってきてくれて、ありがとうよ」


「うぅっ! タンジーさん……!」



 ルベリアの両手を包み込むタンジーのしわくちゃで皮膚の薄いか細い手は、ルベリアにとっては顔すら見ることのなく亡くなった祖母の手も同じである。王城の離れで感じていた“家庭”の温もりは全てこの手から生み出されていたのだ。



「う、うちに……帰ってこなかった、のは……、ご迷惑になるだろうと……」


「ああ、離れにも連日、王太子殿下の騎士が来ていたからね」


「やっぱり……」


「来ればアンタが危ないって分かっていたからね、姫さんから居場所を聞いて、逆に安心したんだ。逃げているなら酷い目には合わんだろうってね」


「そうでしたか……」



 ルベリアは目元を指で払って笑顔を作った。



「今ではもう、全て解決しました」


「そうかい。そりゃ良かった」



 それから、二人は色々な話をした。

 タンジーは特に西部大森林でのルベリアの暮らしについて詳しく知りたがった。西部にしかない食べ物や、気候、聖堂騎士の仕事について……。時に笑い、時に叱られながらルベリアは話し込んだ。それらが一区切りついてから、タンジーは声を落として、



「それよりも、本当にあのお方のところへ行くのかい? あのお方は単なる好意でアンタを側に置くんじゃないんだよ? 分かってんのかい?」


「……分かっています。わ、わたしも、アウグスト様をお慕いしているんです……。きゅ、求婚も、受けておりますし! あとは結婚の誓いをするのみなのです……」


「ありゃ、まぁ……」



 タンジーはそう言ったきり後の言葉を紡げなかった。思わず目を覆って天を仰ぐ。



 簡単に結婚だのと口にしているが、相手は元王族で主要都市の領主様なのだ、式を挙げるのも国の主だった王侯貴族を招いての一大行事になる。結婚すれば多忙な主人を支えて、行事や式典や様々なパーティに呼ばれるだろう。



 ただの付き添いとして参加したパーティですら、挨拶すら果たせずその場にいるだけがやっとだったというのに……これから先一人でやっていけるのだろうか。



 ガチガチに作法が固まった貴族社会で、ルベリアはきっとはみ出し者だ。身分が違う、階級が違う、作法が違う……そんな中にあれば、きっと嫌みや嫌がらせやつまはじきや、考えただけで胸くその悪くなるような展開が待っているに違いない。



「アンタ……大丈夫なのかい? いや、そりゃ公爵様の奥方に正面切って嫌がらせする馬鹿は居ないだろうが、だがねぇ……」


「はぁ……」


「アタシが居たって止められやしないだろうが、それでも……」


「ついて来て下さるんですかっ?」


「あ? ああ……いや、だが……」


「心強いです! そもそも奥様と言われてもどうすれば良いかなんて分からなかったので!」


「……どうするつもりだったんだい」


「はい、アウグスト様のお側で剣を振るうつもりでした」


「…………」



 タンジーはやれやれと首を振り、薬草茶を啜った。



(アタシのやり方は時代遅れだろうが、何もないよりゃマシかねぇ。いや、あっちの城にも教育係がいるか……んん、でもこの馬鹿娘に根気強く教えられるかどうか……)



「そういや、アンタはその……“大いなる儀式”っちゅうのは知ってるんだろうね?」


「はい、結婚の儀の後に続く重要な儀式ですよね。楽しみです!」


「たのしみ……」


「まさか自分が結婚しようとは思っていませんでしたから、どんなものか教えてもらったことがないのです。きっと素晴らしいものなんでしょうね」


「…………」



 言ってルベリアはお茶のおかわりを注いだ。その手はぎこちなく、小さなティーポットを扱いかねているようだったのでタンジーが代わってやった。



「ありがとうございます」


「いいや。ところでアンタ、男女の営みについちゃ少しくらい知ってるんだろうね? アタシの若い頃だってそりゃ明け透けには言わなかったもんだが、結婚するんだ、聞いておかなきゃならんだろ?」


「ええと……。経験がありませんね……」


「馬鹿、あったら困るんだよ!」


「ええと……? 噂ばかりでどんなものかはさっぱり……」


「ああ、もう! 騎士って連中は何を学んでるんだか! 決まりだ、アタシも一緒に行ってやるよ!」


「やったぁ! あ、でも長旅になりますよね……」


「心配をおしでないよ、まだまだ現役さ!」



 タンジーは枯れ枝のような腕で胸を叩いた。嬉しそうにしていたルベリアだったが、その表情はすぐに曇ってしまう。



「あ……あの、まだ許可をいただいてないんです。タンジーさんが私についてきてくださるのをダメだと言われてしまったらどうしましょう……」


「文句なんて言わさないよ。子がないからと爵位は捨てたとはいえ、ダヴェンドリ以前の公爵といえばアタシの生家のリンゲインなんだからね。コルネリウスも従姉のアタシにゃ何も言えんのだから」


「え……?」


「アンタ、ただの婆さんが三の姫の世話係をやれるとでも?」


「え、だってわたしはただの……」


「もう他に残ってなかったのさ。何とかいう隊長のお墨つきの人間で、アンタだけがマトモで、アンタだけが姫さんに気に入られたんだよ」


「そ、そうですか……!」


「そこ、喜ぶとこかい?」


「はい!」


 この後、タンジーの積極的な指導のおかげでルベリアが眠れなくなったのは言うまでもない。

タンジーさんの家は養子を取ったけれど血が繋がらないからと公爵から降格されてしまいました。タンジーさんは再婚を勧められてブチ切れ、家を出ています。爵位を捨てて誰にも頼らず公民になるのにも苦労して、ギュゼルのことがあってコルネリウス国王に頼まれて乳母というか世話係になりました。用事がある時だけ頼ってくるコルネリウスを嫌っており、コルネリウスも説教くさいタンジーを避けています。

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