間章
こちらは本日二話更新のうちの一話目です。続けて次話もお楽しみくださいませ。
表向きには療養ということで西部大森林に遠出が決まったとき、同行するとギュゼルは言った。
それについてテオドールには特に反対する理由もなかったので許しを与えた。
そして今、テオドールは旅支度を整えて一人嘆息した。
ハリエットが去ってから、信用できる使用人がおらず何をするにも難儀していたのだ。こうしてトランクに荷物を詰めさせるだけでも思った通りにいかない。療術士であるハリエットに侍女の役回りも任せていた弊害だろうか。
「ハリエットはどうしたんですの?」
ギュゼルは一人でいるテオドールにそう問うた。それはごく自然に出た言葉だったので、テオドールは妙な心細さに突き動かされた。ハリエットはもう帰ってこないと告げると、「そうですか」とギュゼルは淋しそうにそう呟いて、テオドールを責めたりはしなかった。
(いまさらだ……)
酷い言葉を掛けて追い払っておいて、戻って来いと言える筈もない。
ただ、どうやらハリエットはテオドールを好いていたようだったから、どのみち長く側に置くつもりはなかった。慰めを見出すとするならばその一点だろう。テオドールは溜め息と一緒に倦んだ気持ちを吐き出すと別の考えに浸った。
(母もアイゾワの城に閉じ込めてあるし、ガイエンとの交渉は待たせておけば良い。ユージェニアが見つけられないなら、ルべリアはアウストラルには居ないんだろう。ならばもう探すべきは、あそこしかない……)
それでも見つからなかったら?
「ルべリア……」
心に泡のように浮かんでくる疑問を打ち消すように頭を振ると、はにかんだように笑うルべリアを想って掌の太陽に口づける。
不気味なのはアウグストの動きのなさだ。継承権を聖剣と共に打ち捨ててから、弟は部屋に閉じこもったままだと聞く。ルべリアのことは諦めたのか、それとも……
「機を、みているのか?」
テオドールの頭の中では戦盤上の駒の配置が目まぐるしく変わっていた。
◇◆◇
アウストラルの王都から西部大森林までは、約八日間の旅を要する。もちろん、馬車を四台も縦に並べてゆっくりと行軍しているからであって、悪路を馬を潰す勢いで走らせれば旅程はおそらく二日は短くなる。町があるのは王都付近だけで、そこからの乗り換えや宿泊は村で行われる。
ニンゲンではない少数民族がちらほらと見受けられるようになるのも、アウストラル文明圏と西部大森林の境目の特徴だ。
「まぁ……とても大きいんですのね!」
「……あれに乗るのかい?」
思わず痛みもないのに胸を押さえつつ、テオドールは遠い目になりながら呟いた。隣のギュゼルはすっかり冒険家気取りで、麻布の丈夫なパンツを穿いて揃いの上衣に揃いの幅広帽子という姫らしからぬ出で立ちだ。テオドールは変わらず黒のローブ姿であった。
二人の前に居るのは西部大森林の対魔物用最終兵器、象であった。
背の高さは三十フィートほどだろうか。ごつごつとして分厚い肌には剣も矢も槍も通りそうになく、大きな大きな足は小屋を一つ余裕で踏み潰せそうだ。長いしっぽは大人の腕の太さほどもあり、頭に当たったら気絶するので気を付けるようにと言われてしまう。さらに長い鼻やその下から張り出す二本の大きな牙に至っては攻城兵器かと疑いたくなるような巨大さだ。
「この先の西部大森林へは街道と言えるような道がなく、これが一番早い乗り物なんでございますよ……」
案内の男が王太子殿下の顔色を窺って申し訳なさそうに言った。
テオドールは象の上に縛り付けられている東屋のような輿と、輿まで上がるための籠を見て青くなっていた。その籠は象が鼻で抱えて持ち上げるのだ……。
「これじゃあまるで船じゃないか……」
「素敵ですわ! 私船にはまだ乗ったことがないのですけれど、先に象に乗れるなんて幸運ですわ」
「こううん……幸運?」
「はい! お兄様についてきて良かったです」
ギュゼルはとても嬉しそうに笑った。薔薇色の唇から真珠のような輝きがこぼれるような、そんな淑女とはかけ離れた笑みだったが、テオドールの憂鬱を和らげる効果はあったようだ。
「ギュゼルがいてくれて良かったよ。一人だったら発作で死んでいたかもしれないからね」
「あら! 私は何もしていませんのに」
「いやいや、心が慰められるよ……」
「そうですか? あ、テオドールお兄様、籠が下がってまいりましたわ」
「うん。うん……」
「ふふ、もうちょっとで大森林ですのね。象の背中で見る夕暮れはきっと絶景ですわ」
「朝焼けも、見られるしね……」
「そうですわね。もうすぐ夜が明けますもの」
「ああ、やっぱり僕は……」
「さあ、テオドールお兄様からお先にどうぞ」
「え。いや、ギュゼルからどうぞ?」
「うふふ、騎士さまから乗るものなんですのよ」
「僕は騎士じゃ……」
「さあ、どうぞ!」
ギュゼルの悪意のない笑顔にテオドールの頬が引き攣る。
「う……。じゃあ、お先に……」
「はい! ……まぁ、籠って結構な早さで上っていくんですのね。私、ワクワクしてきましたわ!」
妹の歓声を遠くに聞きながら、テオドールは死を覚悟した。
三十フィートとは、約九メートルです!
象ってでっかいなぁ。




