魔王子の憂鬱
ルべリアが城を去ってから、様々なことがあった。
主に事件の後片付けだが、大きな事は国王コルネリウスが退位を表明したことだろう。
おかげでガイエン国と水面下で行っていた二国間の約定の見直しで文官たちは皆、忙殺されている。
アウグストもまたさっさと王位継承権を破棄した(正しくは返上だが、アウグストは叩きつけたい気分であったし、本当に儀礼用の聖剣を投げ捨てた)が、騒ぎが収まるまではと城に留められている。
おかげでハリーとダントン、レイヒの三人が側で騒ぐためにトマスは煩くてかなわない。
「お前たち、いい加減にしないと切り刻むぞ!」
「そんな! 僕は悪くないです!」
「なんだなんだ、侯爵様に手を上げるのか?」
「侯爵なら仕事に行け!」
「まぁまぁ。ほら、この魔道具も見てください」
「おお! 良い品だな~」
「せめて他所でやれ!!」
トマスが怒りのあまり怒鳴り散らしてもどこ吹く風である。
そう、ダントンは今回の働きが認められてノレッジは侯爵から公爵へ、そして彼はその当主になったのだった。ノレッジ家も仕事の内容が変わったり増えたりで忙しい筈だが、ダントンはアウグストの部屋に遊びに来てはハリーをからかったりレイヒと魔道具について話している。
トマスはアウグストの領地へ指示を出したり、テオドールの様子を探ったり、ピアスの修行に手を貸したり、暗躍したり、沈み込むアウグストに無理やり食事を摂らせたりと忙しい日々を送っている。
アウグストはあれから辛辣な毒舌も仕舞い込み、窓の外を見やっては溜め息ばかり吐いている。テオドールのように配下に捜索を命じたりもしない。まるで脱け殻のような主人の姿に、トマスは嘆息を隠せなくなってきていた。
「ギュゼル姫様のお越しでいらっしゃいます!」
やいのやいのと騒いでいた三人が静まり返る。アウグストは何の反応も見せなかった。トマスはが代わりに応える。
「お通ししろ」
「はっ!」
部屋に入ってきたギュゼル姫は質素……いや、上品でシンプルな衣に身を包んでいた。まるでこの身を飾るのは黄金と翠玉だけで良いと言うように。事実、他の持ち物は銀冠と杖だけであったが、その高貴さは少しも損なわれていなかった。
「これはこれは女王陛下、ご尊顔を拝見出来るとはこれに勝る喜びはありません。ぼくの名は麗筆、お見知りおきを」
「……?」
進み出たレイヒがマルクートの流麗な挨拶をすると、ギュゼルは不思議そうな表情で会釈を返した。トマスがレイヒを退けギュゼルに頭を下げる。
「申し訳ありません、ギュゼル姫殿下」
「私は、女王ではありませんよ?」
「しかし、兄であられる王太子殿下が“炎の魔女”を見つければ、彼のお方はここへは戻られないでしょう。そうなれば王は貴女だ」
「!!」
それは誰もが頭に思い浮かべても決して口には出さない核心だった。
コルネリウスは退位を表明する前に、一連の事件の首謀者としてダヴェンドリ侯爵を死刑とし、その召し上げた領地の半分をテオドールに、半分をギュゼルに与えた。
領地を任せるとは、ギュゼルを男子と同等に扱うということであり、それは一の姫や二の姫がいくら望んでも得られなかったものだ。つまり、ギュゼルが女王になる可能性は、ないと言い切れない。
レイヒは続けて言った。
「王太子殿下が魔に魅入られた“誘惑者”だとしても、“聖処女”ならば手懐けられるかもしれませんし……。いっそ駆け落ちしていただいて、国は貴女が治めた方が良いのかも、しれませんね~」
「なっ!? 私は王の器ではありません!」
ギュゼルは頬を染めてぴしゃりと言い放った。
「それよりも、もっと分かるように仰ってくださいませ」
「……別に、貴女がたに向けて言っているわけではありませんので」
しれっと言うレイヒに、ギュゼルは反駁しようとしたが、それをやめて溜め息を吐いた。
「貴方の言葉は……、怖い。それは、予言なのですか?」
「いいえ~。まさか……そんな事が可能ならば、ぼくもあんな死ぬ目に何度も遇ったりしてませんよ~」
「…………はぁ。この方はいつも……?」
「はい、申し訳ありません、姫殿下」
「トマスが謝らなくてもよろしいんですのよ。それより……問題はアウグストお兄様ですわ」
ギュゼルは気だるげなアウグストに歩み寄った。
いつも冷たく一分の隙もない兄は、今やだらしなく着崩した開襟シャツに平織りのベスト、同じ素材の、すとんとしたズボン姿であった。
アウグストはギュゼルに目をやると、何も言わずについとそらした。
「いつまでそうやって拗ねているおつもりですの? テオドールお兄様はルべリアを探してとうとう西部大森林まで出掛けるそうですわ」
「……そうか」
「このままでは先を越されましてよ!」
アウグストは溜め息を吐いてギュゼルに向き直った。
「ギュゼル……、ルべリアが一番に慕うのは誰だ?」
「私です」
「……そうだな」
「あら、いつもなら反論なさるのに。それで、私のもとには居ないのですから、考えられる場所と言えば……」
「父親のところだ。知っている」
「ならば早く迎えに行かれませ! こんな所でうじうじなさって、お兄様らしくありませんことよ。ルべリアはお兄様を待っているのに!」
ギュゼルの叱咤にアウグストは眉をしかめた。
「ルべリアは私を拒絶した……」
「だから何だと言うのです。あの時と今とでは状況が違います、ルべリアに会って跪いて愛を請えば、答えは自ずと出るでしょう」
「…………」
「私としては、お兄様たちのどちらかを贔屓するのは嫌ですの。でも、ルべリアがアウグストお兄様を……愛しているのを知っているんですもの。ルべリアの幸せを願う権利が、私にもあるはずです」
アウグストは無言で立ち上がった。
「……私はこれで失礼しますわね、お兄様」
「ギュゼル……。感謝する」
「いいえ、当然のことをしたまでですもの。ごきげんよう、アウグストお兄様」
ギュゼルは会釈をして部屋を辞した。




