結局、最後まで彼女は気づけなかった。
皆さん、今日もこの時間がやって来ました。
イーッ( ;゜皿゜)ノシのお時間です。今回は恐らく最高のイーッ( ;゜皿゜)ノシになるでしょう、ヒロインの視点のお話です。
もう無理!という方はこの回はさらっと流していただいてかまいませんので、どうぞ。
クレア・エリソンは久々に後宮の己に与えられた一室から解放され、清々しい気持ちで廊下を歩いていた。
今日の彼女の装いは金糸の刺繍を施した淡いピンクのドレス。
ふわふわとしたブラウンのセミロングヘアは緩やかに結い上げて、小さな菫の花を散りばめた髪飾りを挿している。
王宮にふさわしく、若い娘に似つかわしい、清楚で可憐な佇まいである。
彼女はドレスの隠しポケットに入れていた、金の縁取りが描かれたカードを再度取り出して部屋を確認し、時折左右を確認するようなそぶりを見せて、また歩き出す。
カードには見慣れた流麗な筆跡――彼女の婚約者である第二王子の筆跡で、こう書かれていた。
今日の午後4時、青の間に来てほしい。
アーロン
「ふふっ、何かしら」
うきうきと頬を緩めながら、クレアは歩を進める。
最近ずっと悩ましいことばかり続いたのだから、大好きな婚約者からのお誘いに対する喜びも倍増だ。青の間とは彼の私的な部屋の一つであり、普段は何かと口うるさい侍女に婚約者とはいえ婚姻前の身ではしたない、と言って入室を許されない。
なにがはしたないだ、とクレアは思う。
「・・・イケナイことなら、もうやっちゃてるのにね」
きゃっと一人で小さく歓声を上げて、彼女はにこにこしながら白桃のような顔を赤く染めた。堅苦しくて憎たらしい侍女を手玉に取ってやっているような快感と、その時の興奮を思い出したのだ。
しかし、その相手は王子ではない。
ジョーンズ男爵の長男であるヴィンス。一度は家の意向に逆らえずに彼女のもとを離れようとしたけれど、クレアの必至の懇願に遂には何もかも捨てる覚悟で彼女の手を取った。
情熱的な愛の言葉。クレアの自分を偽らないで、という言葉に目を覚ましたと言ってくれた。そしてその剣を握る無骨な、たくましい指を伸ばし・・・。
「もー・・・、ほんと、ヴィンスってば大胆なんだからぁ!」
彼女は誰にも言えないことを小声で言った。
幸い、彼女の行く道は人が出払ったかのように誰もいない。大きなガラス窓がいっぱいに開き、そよそよと風に揺れる木の葉のさざめきと、遠くから聞こえる人々の声以外、音は存在しなかった。
「でも、エドもセディもどうしちゃったのかしら・・・」
喜びから一転、今度は菫色の瞳を潤ませた。
彼女の悩みの種は尽きない。かつて学院で彼女に愛をささやいた公爵家嫡子と伯爵家三男は最近、彼女と会ってくれない。
現在セディ――セドリックは彼女の義兄だ。義理の兄妹というのがまた禁断の関係を想像させて嬉しかったのに、最近のセドリックはいつも忙しい、と言っている。前は何よりもクレアを優先してくれたのに。
「ふんだ・・・。セディのばか。今度会ってもキスしてあげないもん!」
クレアはぷんとむくれ、つれない義兄のことはひとまず置いておいて、男らしく色気たっぷりの公爵家嫡子に思いをはせた。
「エド、実家から婚約者を押し付けられそうだって聞いたけど・・・。大丈夫かな」
クレアは義憤も露わに廊下の隅を睨んだ。エドガーはクレアを愛しているのだ。なぜそれがいけないのだろう。
理解のない周囲と、孤立させられているだろう彼の姿を思うと胸が痛んで仕方ない。
今度会えたらいっぱい慰めてあげよう、それでもしかしたらヴィンスみたいな展開に…、と妄想が進んで再びクレアはにこにこ顔になった。
乙女ゲームの時は一応全年齢対応だったから直接的なラブシーンは――つまり性交――のスチルはなかったけど、流石乙女ゲームがリアルの世界だ。
ここでは画面越しでしか味わえなかった、イケメンたちに愛される喜びを実際に感じられるし、そこからさらに進むことも出来る。
なんてすばらしい世界なのだろう。
しかも自分はヒロイン。見目麗しい貴公子たちに愛されるために生まれた存在だ。
「・・・そうだ。リチャード、元気かなぁ。お仕事だいぶ忙しいみたいだし・・・しかも婚約者を押し付けられるなんて!ホント、リチャードのバカ親は長男のことしか考えてないんだから。リチャードが可哀想よ」
クレアはむぅ、と唇を尖らせた。
バカな親たちに虐待され、何も信じられなかった彼。そんな彼に寄り添い、愛を与えてあげたのがヒロインこと自分だ。
リチャードは当然のことながらクレアにメロメロだった。クーデレの破壊力~!と何度心の中で叫んだかわからない。リチャードは特にお気に入りのキャラだ。
彼に押し付けられた婚約者を見たが、あんなのを自分の代わりにさせようなんて心外どころではない。本人にも自分がリチャードにとっていかに大切な存在であるのかきっちり言い聞かせてやったが、ろくに何かを言うことも出来ていなかった。
あのバカ親が見繕った婚約者だ、きっとリチャードのことなどなんとも思っていないに違いない。なんと可哀想なリチャードだろう。
「ふん。そうやって権力でみんなを縛り付けていられるのも今のうちなんだから。
・・・待っててね、みんな!私がすぐに開放してあげるんだもん!」
ヨシッ、とクレアは気合をひそかに入れなおす。
大丈夫、どうということはない。自分はもうすぐ王子妃になるのだ。
ゲームでは王様も王太子様もヒロインに激甘だった。今はまだきちんとお会いできる時間が取れていないけれど、可愛い嫁が意に沿わないことを押し付けられるみんなを助けようとしているのだ。当然、力を貸してくれるだろう。
「あのババアどもは・・・誤算だったかも」
本当に、王妃と王太子妃は誤算だった。
王妃ときたら彼女がみんなに激励の手紙や手作りのクッキーを渡そうとするだけでヒステリックに怒鳴るのだ。
王太子妃も、自分より可愛くて年下でみんなに愛されているクレアが妬ましいのか、いつも偉そうな態度で「淑女とは~」と口を出してくる。淑女のマナーにかこつけていやがらせをする自分の根性の悪さをまずは顧みなさいよ、と説教してやりたくなる。
とにかく、とクレアは気を取り直して表情を改めた。婚約してから初めての王子との密室イベントだ。不愉快なことは忘れて、今この時を楽しもうではないか。
クレアは青の間と金箔で書かれた文字盤を見つけ、金のドアノブを持つ優美な白い扉をノックした。
当然、口うるさい侍女たちは置いてきた。
というか、今回はずいぶんあっさり引き下がったものだ。
ようやく心を入れ替えたのかな?と首をひねる。まあ、寛大な心も王子妃には必要だろう、せいぜいこれからは心底から献身的に使えてくれるだろう、と思うでもなく思った。
「入ってくれ」
凛々しい、いつもより少し強張った声が返ってきた。
王子のキャラクターボイスは特に好きで、今の砕けたガラスを思わせるほんのちょっぴり切なさがブレンドされたかのような声もとろけるぐらい好きだった。
これはもしかして…とクレアは頬を染めた。
遂に我慢が聞かなくなって、彼はクレアを求めているのだろうか。
漫画やノベルにもよくある話だ。無垢で可愛らしいヒロインに男の獣性を見せて迫ってしまっていいのか悩むヒーロー。
最近なかなか会えなかったのもこのせいかもしれない。漫画やノベルではヒロインとヒーローはすれ違って、まあ最終的には甘甘なハッピーエンドになるのだけど・・・。
「アーロンったら・・・私は最初から拒んだりしないのにっ」
興奮を抑えきれないような声で、口の中で小さくつぶやいた。
「・・・失礼します。・・・アーロン?」
重厚感のあるドアを開き、蜂蜜のように甘い声で、彼女は愛しい婚約者の名を呼んだ。
王子は氷のように悲壮で真摯な瞳で、どこまでも愚かな、自身が愛した人 を見た。