4. 断章世界系に来た、後悔はしていない
「いかにワイバーンを殺さずに勝つかを考えていた」
トウヤの弁明はその一言に尽きた。
待機していたストス家の面々の中に治癒魔法のスキルを持った者がいたので、トウヤは治療を受けながら長々とそれについて語っていたが、面白くもなんともないため省略し要約する。
端的に言うと、
(この方ならば、力に溺れる事もないでしょう)
と、ステラの勘違い評価はますます上がり、
(中々に考えが読めない男だ)
ゼリアスはトウヤを冷静に検討し、
(負けてられるか……!)
キンザはひそかな闘志を燃やした。
一方でノードウッドなどは召喚獣に対しても優しさを忘れないトウヤに好感を持ちつつも、事の真偽は検討するという、感情と理屈を分けた判断をしていた。ある意味年の功というべきである。
トウヤの真意がどうあれ、受ける影響が軽微であると判断した事も大きい。
(我にとってはステラに害が及ばないのならば、どうでもいいのじゃしなぁ)
と、割と納得した表情(ステラにしか分からないのだが)で元の世界に送還されていった。それがステラのトウヤへの盲信を加速させた事を、ノードウッドは気づいていない。
そう言う部分で、ステラ中心思考のノードウッドは詰めが甘かった。
「あの、トウヤさん!!」
治療を終えて左肩の状態を慎重に確認している(ステラにはそう見えたが、体だけでなく学ランの破れたところまで治っていたので実質驚いていただけの)トウヤに、ステラが話しかけた。既にステラ以外の面々はほとんどこの部屋を辞去している。
ゼリアス達ネクゾン家にしてみれば、ねじ込んだ試合によってトウヤの能力や性格が分かって儲けものと、無理に肯定的に退いた部分もある。……ゼリアスなどは素直に今回の敗北と失敗の影響を分析していたが。
一方、ストス家にとってはステラの仕事を邪魔するつもりはないため、ゼリアス家や他の勢力に目配せをしてから、小数を部屋に残して部屋を出て行った。
「……なんだ?」
ステラの言葉に面倒臭そうに答えるトウヤであったが、内心は心臓が爆発しそうというか、鼓動音が自動車のエンジン音に匹敵するのではないかと心配するほどの動揺ぶりであった。
(うわわわ、こんな可愛い子と二人きりだ!)
トウヤには残念なほど、女性に対する免疫がなかった。全ては黒と灰と白の――つまりは黒歴史と灰色の青春と真っ白な女性経験のせいである。
(トウヤさんは、どのような女性がお好きなのでしょうか?)
一方で、ステラはそう思っていた。
これはステラがトウヤの事を好きになったから。自身の初めての異世界召喚、それも神威召喚によって現れた存在で、途轍もない力を持ちながらも同時に力に溺れる事のない理性の持ち主で、落ち着いて自信に満ち溢れたトウヤに好意を抱いてしまった――
――というような『馬鹿げたお約束』はある訳がなく。
ステラの役目の一つは、神威召喚で喚ばれたトウヤを手なずける事だった。
上手く篭絡出来れば後々操作が効く。失敗しても損はほぼなく、成功した場合の利益を考えれば実行する価値有りとの考えでもある。
ちなみに、魔法を利用してトウヤを操り人形にしなかったのは、大きくはその手の魔法は禁止されているので確実にストス家が非難されるため。小さくは神威召喚で喚ばれた相手が、そういう術に対して抵抗するようなスキルを持つ可能性があるためであった。
(頑張らなければ! ……でも、けれども!! トウヤさんを騙すのはやはり気がひけますっ!!)
当の本人は、頑張り屋で素直な子であったのだが。
そもそもステラは貴族として男性に取り入るための、あるいは上手く誘いをかわすための所作礼儀は身につけていた。だが召喚術の才能に恵まれ、同時に複雑な事情もあり最近まで部屋にひきこもって勉強していたため、人と接する機会があまりに少なかった。
(えと、こういう場合は……手を握る? …………いえ! 異世界のしきたりは分かりかねますが、男女が軽々しく触れ合うなど――)
はっきり言って、ステラのトウヤへの対応は使命感に後押しされつつも、ほぼ素である。
(どうすればいいんだぁああああ!!)
トウヤはそんなステラの葛藤も知らずに心中で絶叫した。相手が沈黙した事によって勝手に地味な精神攻撃を受けていたのだ。
この二人、ある種似た者同士である。
(慌てるな、主人公ならこういう時どうする……?)
トウヤはお得意の主人公思考によって、とにかく自分から話を振るべきと結論しすぐに実行する。バカと紙一重の瞬発力だけはさすがである。
「さっきので、俺の力は示せたか?」
「はい。あの、これからもよろしくお願いします」
「ああ、任せろ」
相変わらず会話に中身はないが、二人の間の空気は幾分、軽くなったようだ。
「ところで、この世界は断章世界系というのだったか?」
「はい。けれど、この断章世界は魔法都市アステリカになります」
「……?」
トウヤは首をかしげた。どうやら、断章世界と断章世界“系”には明確な意味の差異があるらしい。
「えーと、断章世界って言うのは一つの世界の事で、断章世界“系”というのはこの世界全てを指します」
「どういう事だ? 詳しく話せ」
ステラはそう言われて頭を悩ませた。
この世界が他の世界から見て、ある点で明らかに特異だという事は、召喚術を特権とする貴族には周知の事実であった。だが、それを簡潔に説明するとなると、召喚に慣れていないステラには困難に思えたのだ。
そこで彼女は一つうなずくと、ゼリアスらが出て行ったのとは反対側、バルコニーに出る扉を隠している真紅のカーテンを開けた。
どうやら今は夜のようで、扉のガラスから漏れる光は控えめであった。
「見ていただいた方が早いと思います。こちらへ」
ステラはそう言って扉を押し開けた。トウヤは言われた通りステラに続いてバルコニーに出た。
「なんだ、これは……!!?」
トウヤは言葉が詰まるほどに驚いた。
トウヤが今いる建物はこの町の中心近くにあり、同時にこの都市で一番高い。それはバルコニーから見上げれば闇を突くようにそびえ立つ、石造りの城。薄暗い中にも見える飾り気はないもののその頑丈で巨大な異様は、きらびやかではないが巨木が持つような安定感のある荘厳さがあった。
何も知らなくとも、これがこの町の王が住む場所であるとトウヤは直観した。
だが、今のトウヤにとってそれは些細な事に過ぎない。
城のはるか上、夜空があるべき場所には幾つもの光源があった。立体的にも見えるそれを、トウヤはほんの一瞬地球で言うところの月のような天体だと思った。奇妙な多角形や丸みを帯びた三日月形、いびつな星型などのそれらは、しかしそうではなかった。
それらは、それらの中には、確かに森や川、山や空があったのだ。水晶のカケラの中に封じ込められた風景、あるいは世界の砕けた後の断片とも取れるようなそれらは、空に幾十幾百、数え切れないほどに浮かんでいる。
遠いものは本当に星のように、近いものはその自然にあふれる緑やだだっ広い海を映して、漆黒の空に淡く輝いていた。そして時折、そのカケラの間を流れ星のような光が一条、閃く。
そして、それは空だけではなかった。トウヤが町の端に目を向けると、どうなっているのか世界の果てのような断崖が見えた。ある場所で急に地面がなくなっているのだ。そこから先は上空と同様に、いびつな天体の浮かぶ漆黒の夜空と化していた。
「あれら一つ一つが、隔絶された世界の断片なんです」
ステラはトウヤの混乱がひと段落したのを見て、静かに語り出した。
「逆に向こうの世界から見ると、アステリカはああいう風に空に浮かんで見えるようです。ただ、ここから見て近いからと言って、あれらの世界が空間的に近い訳でもないようで、かえって遠くに見える世界の方が一回『楔』を通ると行けてしまったりするんですけれどね」
「世界の断片……だから断章世界系か」
「はい。そしてこれがこの世界が抱えている問題の一つでもあります」
「問題……?」
「はい、例えば先ほど……ナ、『ナガレボシ』のような、って『ナガレボシ』というのは分かりますか?」
「ああ、見た事はないが、元いた世界では起こりえた自然現象だ」
「その『ナガレボシ』みたいに光があの世界からあの世界へ」
ステラは必死で二つの断章世界を杖で示してトウヤに説明したが、トウヤにはどれを指さしているのか分らなかった。しかし、
(なんだろう……すごい、すごい可愛らしい)
その必死な姿が期せずして、トウヤの高感度をはね上げていたりした。実はほんの少し肩と肩が触れ合ったりしていたのも大きい。
「……?」
「ああ、すまない。世界と言われて故郷を少し、な」
トウヤは意味もなく遠い目をしてやり過ごした。ただ、トウヤの言い訳とは知らずに、素直なステラは少しだけ悲しそうな顔をして――内心では涙目になりそうになりながらも、説明を続けた。
トウヤにはもったいない、真っすぐな子である。
「あの光の移動は、断章世界間を移動している存在なのです。断章世界間の移動は知性ある存在が『楔』と呼ばれる装置に触れる事で誰にでも出来ます。しかし、知性がある存在は人間だけでなく亜人や魔族、高位の魔獣である事もあり、そう言う存在がアステリカに侵攻してくることもあります」
「『楔』というのは?」
「近いうちに実物をお見せしますが、他の世界に移動するための門のようなものだと思っていただければ大体合っています」
「そうか……それで?」
「はい、これが断章世界系で、これらの世界の中で一つだけを指す場合に断章世界と言います。あ、でも口語では、『この世界』『あの世界』とも言いますね。正確には『この断章世界』の略なんですけど」
ステラはそう言いながらも、空に浮かぶ断章世界系を眺めながら、あの世界は食料となる魔獣が多そうだとか、あの世界にはきれいな真水がいっぱいありそうだと思って胸を躍らせていた。
「私たち貴族は土地を治める代わりに『楔』を管理し、騎士団で他の断章世界を探索し平民を守る義務を負っています。また、貴族に仕える騎士以外で他の世界に行く人々を、冒険者と呼んでいます。トウヤさんにも冒険者になってもらう事になると思います」
「そうか。だが、俺はこの世界の常識にうとい。ステラから色々と教えてもらえれば助かる」
「その点は心配無用です」
今後もステラと定期的に会う大義名分が出来たと思って喜ぶトウヤの期待を、
「既にトウヤさんが、この魔法都市アステリカが誇る『学園』に通えるように手配しています」
ステラは満面の笑みで裏切った。無駄に胸を張る動作のためにちょっとそれが揺れたようにも見えたが、トウヤは気付けなかった。何やら現在以上に不明確な環境に放り込まれそうになって、内心ショックを受けていたからである。
「…………それで、俺がこの世界でなすべき事はなんなんだ?」
トウヤは空気を変えるために話題をそらした。それはゼリアスにはぐらかされた、トウヤの元の世界に帰る条件を暗に問いただす内容でもあったので、ステラは少しだけ詰まりながら誠実に正確に答えた。
「貴方の帰還条件は、元勇者を殺すことです」
「……え?」
間の抜けた声を上げるトウヤ。しかし、それは聞き間違えや思いすごしでは決してなく、厳しい現実をステラに突きつけられる事になる。
「私はこのアステリカを救った元勇者を殺すため、トウヤさんを召喚したのです」
いびつな星空に溶けてしまいそうな黒髪を風になびかせ、悲壮なまでの決意を秘めた青い瞳で、異世界の少女ステラ・ストスは朧ヶ埼刀夜を決然と見つめた。