2. 目の前にワイバーンがいる、後悔はしていない
ワイバーンは空を飛ぶ。
空を飛んだまま火を吐く。
翼爪や牙で襲いかかっても、すぐに空へと舞い上がる。
つまり、地を歩く人間はとてもではないが反撃できないのである。
(どうしろっていうんだよ……)
トウヤは頬から流れた血をぬぐいながらも、そう考える。吐く息は荒く、肩が上下している。学ランはところどころが破け、血がにじんでいた。
ワイバーンは、中空に滞空している。
この試合は一方的な蹂躙になりつつある。
空を飛ぶワイバーンにトウヤは攻撃も反撃も出来ず、火を吐かれては無様に転びながらも避け、爪や牙が襲いかかってきたら剣を振りかざし何とかさばき切った。
(落ち着け、落ち着くんだ……主人公はこういう時にこそ機転を利かせて勝つんだ。ピンチはチャンスだ。何か手はないか思考しろ、相手に弱点はないか見定めろ、俺に見落としはないか検証しろ――)
一方、この勝敗によって自らの進退が決まるステラは、
「ふふふーふーん、ふふんふふー♪」
鼻歌を歌いながら、彼女の身長と同じくらいの長さの杖を、さながらバトントワリングのようにくるくると回し、あるいはそれに合わせて踊っていた。
ふざけているようでもあるが、これは彼女なりの召喚の詠唱なのである。
(もう少し何とかならないものなんだろうか……)
ゼリアスはお得意の結界を張って部屋を防護しながらもそう思った。思って、自らの社交性でもって本心を隠し通した。
「来てください――ノードウッド!」
輝く魔法陣から現れたのは、巨大な、あまりに巨大な木だった。樹高自体は十メートル程度だが、とてつもなく太い幹によって実際の何倍も大きく感じられる。閉塞的な室内であるからそう思えるのもあるだろう。
よく見ると、さくらんぼのような赤い木の実が実っている。
魔獣としての名はノードウッド。幹の中ほどに二つの穴があり、その中で小さな明かりが目の代わりといった風に光っている。鼻のような突起の下に、口とも取れるぎざぎざとした裂け目があった。
彼は、ステラが最も信頼している召喚獣である。
ノードウッドは数百年を経て木が知性と自我を得たものだ。
一説には彼らは倒した相手の記憶の一部を、根から吸収し蓄積していると言われている。
ランクは6。
ワイバーンと同ランクであるが、その評価が知識や知性による評価である事と、燃えやすい木という性質であるがゆえ、ワイバーンと比べると強さではやや見劣りする。
「どうしたのじゃ、我が子よ。ステラよ」
しかしその人間にすら引けを取らない知性、人間よりも長いスパンで生きる生命としての思考、長い一生ゆえの達観した観点は幾度となくステラを助けてきた。
「トウヤさんが負けそうなのです。何とかならないでしょうか。彼は神威召喚を受けた人物なのに……」
神威召喚の事情を聞いていたノードウッドは、ステラの焦燥をこの一言で理解し、すぐにトウヤとワイバーンの戦いを見た。
(これは……どうしたものじゃろう)
トウヤは一方的に攻撃を受けていた。
致命傷をこそ避けてはいるのだが、空を自由に制するワイバーン相手に、回避と防御に専念しているに過ぎない。
そして、それは当然と言っていい。
トウヤは中二病である。それゆえに大物ぶって、分からない事を尋ねず、勢いに任せて行動してしまう。はっきり言えば、バカである。
(普通の人間と変わらんではないか……)
だが、無鉄砲であるがゆえ、目の前のことしか考えられないがゆえの瞬発力には長けていた。今回裏目に出たのはその完全にフライングな瞬発力である。
(しかし神威召喚されたのだとすれば……まさか!)
ノードウッドはすぐにその違和感に気がついた。それは他の人間が前回の神威召喚によって呼ばれた勇者、その圧倒的強さゆえに抱いた幻想のために見落としていた、非常に簡単な事であった。
「ステラよ。彼はスキルの使い方を知らないのではないじゃろうか?」
「そんな……!?」
ステラは絶望的な表情を浮かべた。
スキルとは先天的、あるいは後天的に得る特殊能力のようなものである。持っていない者もいるが、異世界召喚されてきた人間は例外なくスキルを持っている。
しかし、トウヤの今の状況をみると、召喚時に得られるスキルは常時発動型のものではないようだ。という事は、彼のスキルは意識的に起動しなければならない。
それならば、どうしてステラやストス家の息がかかった者たちが、このように簡単に予測出来るはずの状況を回避し損ねたのかというと――
――そもそもこの試合、今行う必要性は全くない。
ステラとしてはまず、神威召喚で来た者にこの世界の説明をし、数日かけて多少の理解を得てから試合に臨ませるつもりだった。
問題だったのは、トウヤのありえない程の対応速度、ワイバーンを目の前にしての余裕。
それを見たステラは、そしてステラとおなじストス家の息のかかった者たちは、やはりこの者は勇者なのだと思ってしまった。
伝説や英雄譚で聞き及んでいる圧倒的強者。
それを想像してしまったがために、ステラはトウヤを信用してしまった。神威召喚成功の興奮が冷めない中、ステラが力を貸してくれと乞うてもあれだけ余裕な態度を見せたのだから、元の世界でも強者だったのだと思い込んだのである。
全ては中二病が引き起こした、理想と現実が織りなす玉突き事故だった。
「トウヤさん! スキルを!! スキルを使って下さいっ!!」
ステラの悲痛なまでの叫び声を聞いたトウヤは、
(スキルって言ったって、どうやって使えばいいんだ!?)
ほんの一瞬、ワイバーンから気をそらした。
その隙をついて、急降下してきたワイバーンの爪が、トウヤを襲う。
左肩に爪が食い込んだ。
肉が裂け、骨が砕け、血が噴き出す。
あまりの激痛に、痛覚の伝達が正常に行えず、トウヤはほんの一瞬遅れてから、痛みを知覚した。
「う、ぁぁぁあああああああああああ!!」
空気を震わす絶叫が、部屋にこだまする。
しかし、泣こうがわめこうが、ワイバーンは攻撃の手をゆるめはしない。
(痛い痛い痛い痛い痛い――)
無様に倒れ、血まみれになりながらのたうちまわるトウヤに、ワイバーンはそのままのしかかった。
先程の急降下で高度はない。ただの自重による一撃であったが、胸元をワイバーンに踏みつけられた事で、トウヤは息が詰まった。
(――死ぬ、のか?)
混濁する意識の中で、恐怖にまみれた絶望の中で、トウヤはふと思う。
その瞬間、急に思考がクリアになった。
(主人公は、こんなところで、死なない!!)
ワイバーンがトウヤの目の前であのアギトを開いた。刀剣に勝るとも劣らない鋭い牙と、赤い舌がのぞく。その舌を見たトウヤは血の赤を連想した。
(使ってやろうじゃないか、スキルを!!)
幸いにも、剣はまだ握ったままでいる。
左肩をやられたせいで左腕の感覚がないが、右腕はまだ動く。剣を振れない事もない。
そもそも、まだまともな一撃を入れてすらいないのだ。案外、一撃で倒す事が出来る相手かもしれない。……それに、ワイバーンの口!
かみつかれるというのなら、鱗もなく柔らかいであろう口腔内を突き刺して、一発逆転を狙う事だって出来るのではないか。
だが現実には、両手剣を片腕で振るって――しかも振り上げて威力が乗るはずがなく、ワイバーンの鱗の強度は既に思い知っている。
口腔への攻撃にしても、そもそもワイバーンは噛みつくつもりではない。口から火のブレスを吐いてトウヤを消し炭にするつもりだ。今もそのための魔法陣が、ワイバーンの口の前で輝いている。
トウヤはそのように希望にもならない根拠を信じ、有利を見て不利を無視し、未知のスキルという存在にすがっておきながら弱点があると論点をすり替えて満足する――
――そんな、ご都合主義を信じる有象無象だっただろうか。
(僕は言ったんだ。ステラに、勝つって!!)
かくて朧ヶ埼刀夜が誇る中二病が今、異世界に牙をむく。