18 元勇者のスキルを知った、後悔はしていない
「お嬢様、紅茶が入りました」
「ん、ありがとーエリア!」
エリアと呼ばれた初老の男性が、ルフナの前に紅茶のカップを置いた。ルフナはしばしそのカップの装飾と紅茶の香りを楽しんだのち、口に運ぶ。
今は室内にいるためぼろぼろの外套を外したルフナを、トウヤはそれとなく見た。
ルフナ・レイトバック。
紫のくせ毛とらんらんと輝く赤い瞳、浅黒い肌の色が見事に調和して、彼女に無国籍的な可愛らしさを与えている。
喜怒哀楽がコロコロと転ずる表情から分かる通り、まだ十二三歳の少女と見える。時折唇の間からのぞく八重歯や、とある異常を除けば可愛らしい少女である。
「うんっ、おいしい!」
「それはようございました」
ルフナと初老の男性、二人の織りなす光景はお嬢様と執事のお茶会といった様であるが、同じ席についているトウヤは不満もあらわに肘をついている。
初老の男性はヌワラエリア・ラックビートという。少女ともども、とある異常が目を引く事は置いておくにしても、その服装も挙措は執事として完璧なものと言えるだろう。灰色の髪をオールバックにし片眼鏡をかけた彼は、愛すべき主に愛称で呼ばれたうえ紅茶の味を褒められ、これ以上ない程の穏やかな笑みをたたえている。若い頃はかなりの美系であったのだろう。ルフナとは対照的に色白な彼は、小じわこそ見え隠れしているが、絵画の世界の住人のように、所作も動作も美しかった。
「いや、ヌワラエリアの入れる紅茶は美味だ。戦闘しか能のない私のような人間は、素直に羨望のまなざしを送らざるを得ない」
「キティ様にまでお褒めいただいて……このヌワラエリア恐悦至極に存じます」
「そう慇懃に振る舞ってくれるな。我々は魔族と人間という垣根すら乗り越えた、仲間ではないか」
「いい加減説明したらどうだ!」
トウヤはキティとヌワラエリアのやり取りを遮るように叫ぶ。
何の説明もなしにこの場に放置されているトウヤは堪忍袋の緒というか、現実逃避の許容量が臨界を超えブチギレたのだ。冷静沈着にして思慮深い(と自称する)トウヤにしては珍しい反応である。
そして、今のキティの発言で目の前の二人がとんでもない存在だと分かってしまった。
魔族。
人間と敵対する勢力で、異世界からの召喚が行われるまで人間との戦争で無敗を誇った種族である。
その証拠のように、ルフナとヌワラエリアには角と翼があった。二人の翼は共通して黒く、コウモリのようだ。しかし、角はルフナが左右に一対の黒い巻き角であるのに対し、ヌワラエリアはよく見なければ分からないような短く鋭い白角であった。ついでに言うなら、ルフナの八重歯にも見える犬歯は牙やもしれない。
「あは! 気にしないでくつろぎなよ。取って食いやしないからさ!」
当のルフナは陽気に笑い、ヌワラエリアは黙して彼女の背後に控えている。
「まあなんだ、謀って悪かったなとーや」
キティは謝罪を口にするといそいそと席を立った。そしてトウヤの背後の戸棚をあさりながらうんうん唸っている。その言葉の端を拾って見るに、どうやら茶うけになるような菓子を探しているらしい。
「言いたい事は多々あるが、とりあえずどうして生きているんだ?」
「私は呼吸し胸元の空気を循環させ、心は鼓動し血液を送っている。骨で支え筋肉で動かした私の顔は、今は友好的に微笑んでいるつもりだ。そして二つの眼球を君に向けている。つまりは君を見つめているわけで――」
「人間の身体構造を聞いてるんじゃないよ!」
若干、素がはみ出るトウヤ。あまりの事に弦が切れたように甲高い声が上がった。
「あははははっ!!」
その反応に素っ頓狂な声を上げたのはルフナだ。
見た目同様に精神年齢も幼いのか、はたまたゼリアスのように意識してのものなのかは分からないが、彼女はカラカラと笑い、目じりには涙すら浮かべて――イスから転げ落ちて地面に頭を打ちつけた。
「ぬぅぅん!」
否、そう見えるほどに寸前で、ヌワラエリアが彼女を支えた。
「エリア!」
「お嬢様、ご無事ですかな?」
「なんで……なんでボクをかばったのさ!?」
「ふ……力のみで全てを押し通そうとした私に、何かを守るという、何より大切な事を教えて……くれた、主ですから…………な……ガクッ」
「エリアーーー!!」
「どうでもいいけど「ガクッ」って口で言ったよね!? ねえ!!?」
猿芝居というか意味不明な寸劇にトウヤは突っ込みを入れた。
途端、分かってないなーとった雰囲気でヌワラエリアがため息をついた。既に起き上がっていて両の手はやれやれといった風に空に向けて振っている。
キティは両者を取りなすためか、やれやれと言った風に口を開く。
「こういうのは風情や雰囲気、情緒などが肝要なんだ。つまりは遠回りで寄り道で無意味な蛇足こそが醍醐味なのさ」
「いや、あるいはあえてその情緒を破壊する事によって芸術的な不完全さや余韻、空想の余白を設けるための演技とも取れるよ」
その後始まった口角泡を飛ばす議論に、トウヤは振り返りざまに抗議する。
「だからうるさ――」
トウヤは絶句する。
それは驚愕したからであって、激怒したからではない。
「「やあ!」」
その目の前には元勇者キティがいた。
それはもういいのだ。既に死んでいなかったという事は分かったので、そんなことは今更混乱の種にはならない。
この異常を理解するヒントを挙げるなら、トウヤが変な議論が行われていた方を向いたにもかかわらず、そこにはキティしかいなかったという事であろう。
「……ふ、二人!!?」
「「そう驚くなよとーや」」
キティ達はそう言ってくすりと笑うと、片方のキティが忽然と消失した。あとには火の粉がいくつか舞い散った。
「これが私のスキルなんだよー」
「……一体、どういう事だ?」
トウヤは困惑からの硬直をほぐすように瞬きをして、聞く。
「いっその事さ、見せた方が早いんじゃない?」
ルフナの軽い提案に、キティは苦笑しながらも肯定の意志を示した。一方、ルフナはまるで悪戯を思いついた時のような、悪だくみをひそひそと伝えるような、無駄に生き生きとした笑みであった。
「それじゃとーや、刮目しておけ?」
キティは手を水平に伸ばした。地面にかざしたのかトウヤに向けたのか分らないような動作だった。特に気負ったようでもない、自然な挙措である。
「『在らしめよ』!」
ボウッ
突如として全身を襲った浮遊感にトウヤは身構えたが、両の足にすぐさま衝撃が伝わった事に安堵する。
せいぜい一二メートル程落ちただけのようだ。警戒度を上げながら、トウヤは周囲を見渡した。
「!?」
そこには何もなかった。
より正確に言うなら、透明な断章世界の境界の上にトウヤは立っており、その内部にはキティたちとのお茶会のための、テーブルや茶器しか残っていなかった。あとには茫漠に紛れるオーロラの揺らぎに消えてしまいそうな、風景のカケラたちが星々のように漂う、プラネタリウムだけが視界の及ぶ限りに広がっている。
「総てを創造するスキル、それが私の『創造』の正体だ」
「私以外の人間や生物を除けばおおよそ総てを創造できる」
「川も山も、剣も盾も、炎も水も、大地も空気も、私の想像の及ぶ限りを創造し産み落とす。そして、私が創造したものは私の意志で、好きな時に無に帰す事もできるんだ」
その声音は気づけば、年若い少女のそれになっていた。容姿もそれに合わせて若くなっており今はトウヤより少し幼いようにすら見える。長かった金髪は肩口で切りそろえられ、少し色もくすんでいるようだ。挑戦的な笑みはなりを潜め、今は落ち着いた表情を浮かべながらニヒルに笑っている。眼鏡越しの赤い瞳はたれ眼気味で、靄がかかったようにぼーっとどこかを見つめていた。
どうやらキティ以外の人間は創造できないものの、多少は体の特徴を変化させられるらしい。ここまで個性を殺されては別人にしか見えないし、これでは年齢詐欺だ。
そう思ったところで、トウヤはキティが不老に近い状態だという話を思い出して合点が行った。ある意味、無限に自己複製できるのだから、半ば不老不死である。
そして瞬間移動の方法についてもトウヤは理解が出来た。キティ自身を別の場所に新たに創造した後、元のキティを消失させれば、あたかも瞬間移動のように見えるだろう、と。
「どうも、騎士団のところに紛れた時の私だ。似合っているか?」
「服か何かみたいに聞くな……」
「ちなみに一番苦労したのは、必死で好奇心を隠しながらぼーっとした表情を作ることだった」
「そこは一番どうにでもなるだろ!?」
「探求心とはどうにもならんものだよとーや」
ごう、と火の粉がキティの全身を包んだかと思えば、次の瞬間には元の姿に戻っていた。ちなみにこの火の粉、キティが創造しているものではあるが意識してのものではなく彼女のクセのようなものである。
彼女の元いた世界では万物は火から生まれるものだと信じられていた。彼女の中では、火の大きさ(熱量)はイコール物質の持つ存在の大きさ(体積と質量)のようなものとしてとらえられているのである。
この火の粉は彼女のそういった想像を補強し、創造を補助するために生まれているに過ぎない。今回、トウヤはこの火の粉に拘泥したためスキルの分析が遅れた節があったが、そもそもこれはスキルの本質ではなかったのだった。
「さて、おふざけは置いておいてとーや、今回こんな趣向を凝らしたのにも、ここに魔族である彼女たちを招いたのにも理由があるんだ」
「……ああ、聞かせてもらおうか」
トウヤはなんとか普段の中二モードに戻る事が出来た。素の部分を見せた事に気づいていないのではなく、単なる意地である。
「ここにいる私たちは目的を同じくする同志だねー。種族の壁も世界の違いも超えて、私たちは同じ志の下、大義を成そうとしている」
「……ほう」
「そしてそのためには、とーやの協力が必要なんだー。より具体的かつ正確に表現するなら、『始まりの魔術師』が示した最悪の可能性を回避するために、実現可能な帰還条件を持つ神威召喚者が必要不可欠なんだ。だからこそ私は新たな神威召喚者の強さを測りたかった。それが今回の戦いの目的だ」
「それで、元勇者から見て俺はどう映った?」
「不気味で、不安定で、不思議で不可解だねー」
なんと表現していいのか迷うキティは、そう寸評を加えた。そして、今までのふざけた表情から一転し、神妙な顔つきで続ける。
「ただ、私は恐ろしい可能性に思い至ったのだが、もしかしたらとーや、お前のスキルはある意味で私と対を成すものかもしれない。そう考えれば、私の技術をあそこまで早く盗めた事にも説明がつく。いやしかし……」
そう、トウヤの問いに答えているのかはたまた思考を垂れ流しているのかも分からない状態で、キティは瞑目した。そして、バンブルーシュに視線を移す。
「そういえば、バンブルーシュはどの位階まで扱えるんだー?」
「位階?」
「アビリティの事だよー。この剣は特殊でねー。習熟するまで上位のアビリティが秘匿されるんだ」
「そう言う事か。アビリティなら今は破壊不可と自動再生が解放されている」
「それなら第三位階と第四位階はまだ知らないのか……第三位階が開けば、あるいはとーやのスキルの正体も……いや、今は無駄な憶測かー」
キティはそう言うとおもむろにバンブルーシュの柄を握る。
「さておき、質問に答えてくれた返礼だ。見るがいーさ、これこそが第四位階、『反転鏡心』だ!」
キティの姿が一瞬ぶれたかと思えば、そこには別人が立っていた。
トウヤが見上げる形になるほどの長身の男だ。しかし、その外見からは岩のような頑健さではなく、柳のようなしなやかさを感じる。どこか線が細く、白を基調とした軍服めいた礼装から伸びた手足はすらりと長い。長い白髪と切れ長な金の目のせいか、いささか中性的でどこか作りもののようにすら見える美男子である。
「ふう、久し振りに出られたか」
言うや、キザったらしく額に手を当て、やれやれと肩をすくめる。
しかし、そんな絵になる姿をブチ壊すものが彼の頭頂部付近にあった。
ハゲ、ではない。
「獣耳だと……!?」
丸っこくて分厚い、熊のような獣耳がついていたのである。しかしどういう訳か背中にはルフナ達のような翼も生えていた。ただ、その翼は茶色い。
「何が不服だトウヤ」
鼻を鳴らすように男はトウヤを見降ろして言った。怒気をはらんでいるというより、単に不機嫌そうである。
しかしその態度を見て、ようやくトウヤは彼が何者であるかに気がついた。
「もしかして、リゼ?」




