1. 召喚された、後悔はしていない
刀夜は現在、不思議な空間に浮かんでいた。
見回せば、どこまでも暗い中にいくつか、白い光のようなものが浮かんでいる。それは満天の星空を彷彿とさせる光景だった。
ただし星空と違って、その光景が上下も関係なしに視界の及ぶ限り広がっているのだが。
刀夜はいきなりこんな空間に放り出されても動じない、どころか冷静に分析してすらいた。
(魔法陣が見えた事からしてどうやら召喚されたようだけど……とするとここは世界と世界の挟間とかかな)
そしてその考えは正解だった。
ただ、それを知る方法は刀夜にはなく、同時に考察を進める余裕もなくなった。
刀夜の目の前に、白銀の長髪をなびかせた、見覚えのない人物が突然現れたのだ。
「今回の神威召喚の対象者だね」
その存在が何なのかは刀夜には分からなかった。声の質や容姿も中性的で、女のような男にも、男のような女にも思える。
と、その人物は急に刀夜の額に手をあてた。
「私からの贈り物だ。受け取るといい」
刀夜は急に体の内側から焼かれるような痛みを感じてのたうちまわる。
数秒、溺れるようにじたばたしていると、何事もなかったかのように痛みは急速に引いた。そして不思議と、体の内側から力があふれるような感覚を覚えた。
「ようこそ。無限の可能性と矛盾に満ちた断章世界系へ。神として、君の召喚を心より歓迎しよう」
鷹揚にゆったりと、神と名乗った人物は両手を広げて笑った。
「願わくば、君がその限界を、打ち破らん事を」
その言葉を皮切りに、神の姿は急速に遠ざかっていった。
否、刀夜が急速にどこかへ向かって移動しているのだ。それは吸い込まれているとも落ちているともとれる速さで、刀夜は漆黒の星空を飛んでいった。
∽ ∽ ∽
刀夜が目を覚ますと、石造りの部屋の中にいた。
とても高く、広い。
天井までは薄暗くて分かりにくいものの、十五メートル近くあるように思える。平面的にも高さ以上に広く、少なくとも二十メートル四方はあろう。何のための部屋かは全く分らないが、飾り気がなくうすら寒い。
どうやら世界の挟間を移動する途中で、刀夜は気を失っていたらしい。部屋の様子を確認した際に、数人が刀夜の様子を覗き込んでいた。
とっさにリュックは無事かと視線を滑らせたところで、床に巨大な魔法陣が書かれている事に気がついた。
少なくとも人のいるところに着いたみたいだ、と刀夜は安堵した。
というのも、刀夜は召喚が失敗して危険な樹海の中に飛ばされたり、魂だけ召喚されてゴブリンになってしまったり、不発だった異世界召喚陣が偶然再起動し人のいない時代に飛ばされたりするハードモードも想定していたのだ。
しかし、人がいてなおかつここは建物の中らしいと見てとり、そういうパターンは回避出来たと分かって、安堵したのだ。
召喚された人間がそこまで迅速に思考判断するのも珍しい事だろうが。
「あの……」
刀夜がそんな事を確認していると、一番近くにいた少女が話しかけてきた。
儀式用の正装をしているのか、白地に銀の刺繍がある神官のような装いだ。つややかな長い黒髪は腰のあたりで切りそろえられていて、青い瞳には安堵と困惑の色がにじんでいた。
「ああ、俺を召喚したのはあんたか」
先程までおずおずといった様子だった少女の動作が一瞬、止まる。その両目は驚愕に見開かれ、持っていた杖を危うく落としそうになったほどだった。
「この俺を召喚するとは中々に優秀だな」
「あ、ありがとうございます」
「それで、ここはどんな世界だ? 俺は何を倒せばいい? 元の世界に帰る条件なんかもあるのか? 召喚できるって事はこの世界には魔法があるんだよな?」
「ああ……ええと……」
まくしたてるように質問する刀夜に、少女は困惑した。というか割と引いている。
それも当然で、彼女は召喚された刀夜がまず事態を把握できないだろうと思っていたのである。だからこそ、開口一番に状況を説明するつもりだったのだが……刀夜はそんな事はすっ飛ばして、一足飛びにこの世界について理解しようとし始めた。
はっきり言って、異常である。
(この方は人並み外れた状況判断力と理解力、それに適応力を持っておられるようですね)
そう、少女は結論づけた。
実際は単純にこういう事態を夢想し、想定していただけである。
「申し遅れました。私はステラ・ストスと言います。貴方のお名前は?」
「俺か?」
問い返すが、そもそも正体不明なのは刀夜だけである。
「俺の名前は朧ヶ埼刀夜。刀夜の方が名前だ」
刀夜は名乗った瞬間、自身が格好いいと思うポーズを決めた。
「トウヤさんですね」
ステラはそのポーズに首をかしげたが、すぐに思い直した。
(トウヤさんの世界では、自己紹介の時にこういう格好をするのですね)
この二人、ある意味いいコンビである。
「それでトウヤさん。貴方はこの断章世界系に召喚されました」
「断章世界系というのか、この世界は」
「はい。そしてここはその中でも人間の住まう世界、魔法都市アステリカです」
「という事は、人間以外の種族もいるのだな」
「はい、それは……」
刀夜改めトウヤは、ステラの言葉を聞いて嬉しくなって、彼女の声のトーンが下がっている事には気づかなかった。
(エルフや獣人もいるんだろうか)
刀夜の頭の中は、獣耳をモフモフすることで一杯だった。ちなみに、トウヤは動物的にも獣耳的にも猫派である。
「ところで、貴方のお力を今後、私にお貸し願えますか?」
「……いいだろう」
トウヤは余裕ぶってそう答えた。いいだろうも何も、そもそも一体何をすればいいのかすら分かってはいないのだが。
しかしステラはその様子を見て何やら安心したようだった。
「随分と優秀な方が召喚されたようだね」
トウヤが声のした方を見ると、遠巻きにトウヤ達を見ていた数人の中から、一人の男が歩み出てきた。
「やあ、お目にかかれて光栄だよ。トウヤ・オボロガサキ。私はゼリアス・ネクゾンという。恥ずかしながら、これでもステラと同じく貴族の端くれだ」
ゼリアスは線の細い長身の男で、物腰の柔らかい優男と言った雰囲気だ。ステラ同様白地に銀の刺繍が施された礼装を身につけている。金髪に黒い目をしていた。その目は今は柔らかに細められていて、すらりと長い手はトウヤに差し出されている。
「今度うちの愚弟が君の相手を務めさせてもらう事になっているから、お手柔らかに頼むよ?」
「分かった、善処しよう」
トウヤがゼリアスの手を握ると、ゼリアス以外の人物たちとも自己紹介とともに手を出してきた。トウヤは順番に握手を交わした。
最後に手を差し出してきたのは小柄な少年だった。年のころはトウヤと同じくらいに見えるが、身長はトウヤより低い。短い金髪とつり上がった黒い目からか、どこか生意気そうな印象を受ける。
「今度、お前の相手をする事になっているキンザ・ネクゾンだ」
ぶっきらぼうにそう言うと、右手を突き出した。
「そうか」
トウヤもトウヤで、ぞんざいに返して手を握った。
「それで、俺はお前と何をするんだ?」
「力を示せばいい」
その問いにはゼリアスが答えた。
「概ねの状況は把握した」
これだけの会話で何を把握したというのか。
(主人公は、悪い貴族の性根の一つくらい、叩き直せないといけないって事か)
そしてこの推察は間違っている。
この話の発端は簡単に言うと、ステラの属するストス家に、ゼリアスやキンザの属するネクゾン家が横やりを入れた形になる。
神威召喚という大儀式に抜擢されたストス家の勢力が勢いづくのを恐れたネクゾン家は、召喚された人物への試合を申し込んだ。
表向きはストス家が勇者の資格ある者を召喚したかどうか確かめるため、となっている。しかしその実、召喚されてきた人物を倒す事でストス家が神威召喚に失敗したとして責任を追及し、政治的におとしめる事が目的である。
なお、その任を長男であるゼリアスではなく弟のキンザが受け持つ事になったのは、長男たるゼリアスが負けた場合にネクゾン家の面目が立たなくなるためだった。
神威召喚は彼らにとって特別で、勇者と呼ばれるほどの強者が召喚される、とされている。
この試合で万が一トウヤが負ければ、ステラの立場は危うくなるだろう。
「中々、簡単にはいかないらしいな」
「! ……はい」
ステラはトウヤのつぶやきを、政治的な策略について指摘したものだと思ったが、彼はキンザという『悪い貴族』のありもしない悪行の数々に思いをはせている。
この二人、かみ合っているようで、果てしなくかみ合っていない。
「それで、どこでやるんだ」
トウヤの一言に、ステラもゼリアスも驚いた。まさか、トウヤの方から積極的に試合を求められるとは思っていなかったからだ。そしてステラからすれば、ちゃんとした準備をなしに、それを行う事は非常にまずい。逆にゼリアスからすれば多少でも勝率が上がるのだから、願ってもない提案である。
すぐにゼリアスはトウヤに確認する。
「今からやるつもりかい?」
「お互いにとっても、早い方がいいだろう?」
「ほう、すごい余裕だね」
「……そうでもない」
トウヤの態度に、むっとしたのはキンザだった。
自分を舐めているとしか思えない態度と、鼻につく言葉づかいに余裕。キンザはそれが同年代の相手に対する嫉妬や羨望だと気づかずに、食ってかかった。
「そこまで言うなら、今すぐ相手をしてやる!」
キンザはそう言うと杖を地面に突き立てた。そして何やらぶつぶつと呪文のようなものを唱え始めた。
首をかしげるトウヤに、ゼリアスが補足を入れた。
「君にはキンザの召喚獣と戦ってもらう。召喚獣とは我々召喚術師との契約を果たした魔獣の事で、召喚術師と召喚獣は主従関係にある」
「それなら、俺はステラに召喚されたようだが、ステラの命令には逆らえないのか?」
「人間の場合――より正確には知性のある生物の場合は例外だ。いくらでも逆らう事は出来るけれどあまりお勧めしない。召喚者が死ねば、召喚された対象は元の場所に帰れなくなる」
「その言い方だと、何か条件を満たせば俺は元の世界に帰れるのか?」
「答えとしてはイエスだ。けれど、君の条件はかなり難しいと思うよ」
ゼリアスは柔和な笑みを浮かべて肩をすくめた。親しみやすい紳士的な態度であるが、丁寧すぎて感情が読めないあたり、食えない男である。
「あの、これをどうぞ」
会話が途切れたのを見計らって、ステラはトウヤにあるものを差し出した。
それは白い鞘に入った剣だった。両手剣のようで鞘の形からして反りがなく、それも両刃らしい。長さは八十センチ程だろうか。余計な装飾のない、無骨でありながらも実用的な剣であった。
トウヤは背負っていたリュックをステラに預けて、その剣を鞘から一気に引き抜いた。銀色の刃が冴えわたる。
「別の武器がよろしければ用意しますが……」
「いや、これをもらおう……いいもののようだな」
「お分かりになるのですか?」
「ああ、少しな」
そんな実のない会話を終えた頃、キンザの詠唱が終わったようで石造りの床にぼんやりと魔法陣が浮かんだ。
その魔法陣がひときわ鮮烈な輝きを放った後、その中央には異様な姿があった。
体長は細長い尾を除けば2メートル半と言ったところか。
それの全身は青灰色の鱗に覆われていて、がっしりとした両足がその体を支えている。ひときわ目を引くのが前足と一体化した大きな翼。広げれば体の大きさが二倍ほどには見えるだろう。
鋭い牙がのぞく口は耳と思しき穴の近くまで裂けていて、時折その中から赤い舌がチロチロと出てくる。舌と同じく蛇のような金色の目は、今はまっすぐにトウヤを射抜いていた。
「ワイバーンという奴か」
「よくご存じですね」
「以前、見た事がある」
ゲームの中で、ではあるが。
「この世界のワイバーンも火を吐くのか?」
「はい。それだけではなく、飛行できるために速力も優れていて、爪や牙には人間の骨を穿つ程の威力と硬度があると言われています」
「この世界では強い魔獣に分類されるのか?」
「この世界の魔獣はランクづけされているんですが、ワイバーンは1から9までのランクの中でランク6に相当する、中級魔獣です」
「どうやら一筋縄ではいかないらしいな」
トウヤは先ほどのゼリアスを真似て、肩をすくめて見せた。どうもこの仕種、トウヤ的格好いいポーズ集にノミネートされてしまったらしい。
「だが問題ない。俺が勝つ」
「はい……お願いします」
「おい、始めるぞ」
キンザの声でステラとの会話を中断したトウヤは、手にしていた剣を鞘に納め、ズボンのベルトに差してこの部屋の中央に歩み出た。
「ところで、この部屋大丈夫なのか?」
「何がだよ?」
「今から本気でやり合うんだ。多少壊しても知らんぞ?」
「兄さんが結界を張るから、安心して全力を出すがいいさ平民」
「……それを聞いて安心したよ貴族」
キンザはワイバーンの首筋を一なですると、生意気な笑みを浮かべた。
ゼリアスは短気な弟に内心で苦笑しながらも、詠唱を始める。ゼリアスを中心に青白い光が部屋全体を波のように何度か走って、直後、何事もなかったかのように光が収まった。いわゆる結界というものを張ったらしい。
トウヤは落ち着いた動作で剣を抜く。鞘と剣がこすれる高質な音が響いた。ステラは息をのみながら、ゼリアスは余裕の笑みで、トウヤとキンザを見ている。
一方、当のトウヤはというと、
(今さら勝てそうにないなんて言えない雰囲気だ……!)
割と焦っていたのだが、必死に動揺を悟られまいと抑え込んでいた。よく見れば、剣先が小刻みに震えている。
その事に唯一、洞察の鋭いゼリアスは気づいていたが、
(さる剣術の奥義には剣先を小刻みに動かす事で初動を読めなくし、同時に柔軟に動けるようにする『如鶺鴒尾』なる構えがあると聞いた事がある……成程。出来るようだ)
博識と深慮がたたって、完全に過大評価していた。
「いけ、ワイバーン。奴を燃やしつくせ」
「……主人公、朧ヶ埼刀夜。参る!!」
こうして、無謀なる戦いの火ぶたは切って落とされた。