プロローグ
朧ヶ埼刀夜は中二病のレッテルを貼られている。
そもそもこの名前も当人が必死で考えた痛い自称であるから、その重症度は推して知るべしというべきであろう。
高校に入ってからなどは、このある種の病気がたたって友達はほとんど出来なかった。しかし幸いにも、ほんの一握りではあるが、彼を理解する友人に恵まれもした。
というのも、刀夜は普通の中二病といくつか、違う点があったのだ。
その中でも特に評価に値するのが、有言実行の男であった事。
「ふ……こんな簡単な事をいつまでやっていればいいんだ」
と、授業中にそんな事を言って教師のひんしゅくを買ったら、次のテストでは満点を取って見返してやった。
「俺は悪を許さない」
と言えば、たとえ多対一であってもカツ上げを撃退し、彼の性格を嫌ってケンカを吹っかけてきた不良とも決着をつけた。
刀夜は大きな事を言うが、大嘘つきではない。
それが周囲が下した評価であった。
(あああ、また言っちゃった。どうしよう……)
と、刀夜が思う格好いいポーズを決めながら、心の中ではこんな事を考えているとは、周囲は知る由もなかったのだが。
ただ、彼が普通の中二病と違うところは、こういう部分だけではない。むしろとある一点において彼の性格は突出していたと言っていい。
朧ヶ埼刀夜は、自身を物語の主人公だと思っていた。
それも、真剣に。
そしていつの日にか異世界に召喚されるのが当然だと思っていた。刀夜の頭の中では、主人公=勇者であったからだ。
この世界に魔王がいない以上、勇者である刀夜が異世界に召喚されるのは、当人にとっては論理的推察に基づいた決定事項であったらしい。
その時のために知識を蓄え、体を鍛え、来たる日に備えていた。
しかし刀夜は不思議な事に、剣道や柔道などの武道には手を出さなかった。どうしてなのかとクラスメイトが茶化すように尋ねると、刀夜はさも当然のように、
「地球の武道は全て、対人戦を想定している。異世界のモンスターと戦うには不足な点が多い。だから、そういう技術は向こうで学ぶ事にした」
と答えた。
刀夜は冗談抜きに、かけ値なしの本気なのである。
竜を倒す術を学ぶにはまず、竜がいる世界でなければならない。
それが刀夜の持論であった。
入学当時は刀夜の事を有象無象の中二病同然に思っていたクラスメイトも、一年が過ぎれば思い知った。
朧ヶ埼刀夜は本気だ、と。
同時にその奇妙ながら愚直な努力家で、誰を相手にしても臆せず媚びない態度に好感を持った、幾人かの友人を得る事も出来たのだった。
∽ ∽ ∽
「準備の方は整ったかい、ステラ?」
「いいえ、すみませんがあと少しだけ時間をください。どうしても緊張してしまって……」
「君にとっては初めての異世界召喚。それもおよそ百年ぶりの神威召喚なんだから、無理はないよ。失敗しないように自分のペースでやるといい」
「はい。ありがとうございますゼリアスさん」
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刀夜は幼馴染でクラスメートの山瀬恭一とともに、下校の途についていた。
「お前の荷物、多いよな」
「ああ、これか」
恭一の言葉ももっともで、今日は夏休みが明けて初めの日。始業式などだけで授業はなく、教科書も何も必要がないにもかかわらず、刀夜は登山リュックのようなものを背負っているのだ。普通ならば恭一のように小さめのカバンで事足りる。
しかし刀夜はさも当然のように、背負っている登山リュックを示して答えた。
「俺はいつ何時召喚されるか分らん。そう考えて必要なものは常に持ち歩いている」
「何が入ってるんだ?」
「実用的なものでは携帯食料に救急箱に水、ライトにナイフに寝袋なんかだな。他にも化学と地理の教科書や、いくつかの専門書に料理の本。日本の文化を伝えるためにかけじくや折り紙、即席みそ汁なんかも入っている」
「……化学はともかくなんで地理の教科書なんだ?」
「地球のパラレルワールドや戦国時代に召喚される可能性もなくはないからだ。そう言う場合を想定すれば、地図という情報は武器になる。また、仮に異世界に行ったとしても、日本について説明する際役に立つ」
「発想はファンタジーなのに、思考はほんと現実的だよなお前」
恭一は呆れたように、以上に諦めたようにため息をついていた。
「それで、今日もやるのか」
「ああ、日課だからな」
恭一が確認したのは、刀夜が最近毎日行っているトレーニングの事だ。
背中にくだんの登山リュックを持ったまま、近くの山を登る。内容としてはそれだけだが、背中の重りと坂道の上下で恐ろしく体力を使うのだ。
刀夜は始めた頃こそ息を切らして死にそうになっていたが、今では頂上まで登った後に軽く汗をぬぐう程度で済むようになっている。山は標高自体は高くないが、道があまり整備されていないため当然のように迷いやすい。
このトレーニングは見知らぬ土地に放り出された時、方向感覚を保持しながらその身一つで難所を踏破する練習でもあった。
「それでは俺は行くが、恭一はどうする?」
「俺はちょっと用事があるから普通に帰るよ」
「……女か?」
「いやいや違うから」
刀夜はそれ以上言及しなかったが、恭一には彼女がいる事を刀夜は知っている。その容姿が二、三才は年下に見える上、どう見ても外国人であったからクラスでも一時期話題になっていた。
「そう言うお前はどうなんだ? なんかこの前、随分と焦ってたみたいだが」
「何の事だ……?」
「ほら、腰に剣差して走り回ってた時の」
「……覚えがないが」
「ああなるほど。さすがのお前もあれは黒歴史だったのな」
「この俺に黒歴史など存在しない」
「いや、黒歴史を絶賛上塗り中だろうがお前」
キョーイチは苦笑しながら、刀夜の弁を適当に受け流した。
そうやって他愛のないやり取りを重ねていると、やがて、分かれ道にさしかかった。一方はキョーイチの家へ、一方は山へ続く道だ。
「それじゃあな」
「ああ」
刀夜は恭一と軽く挨拶を交わすと、近くの山に向かって歩き出した。
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「準備が整いました」
「それじゃあステラ、始めようか」
「はい。ステラ・ストス、これより神威召喚の儀を開始します」
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刀夜は山の中を歩いていた。
トレーニングのためにいつも整備されていない道、それも毎回違う場所から入るため辺りは見覚えのない山道だった。
整備されていないという事は山道において、人間が通ることを想定されていないという事を意味する。必然、踏破が不可能な傾斜角度を持つ斜面も多くあった。
夏の蒸し暑さのせいで、汗がにじむ。
帰るのが面倒くさく感じたのと、これも訓練だと思ったために動きにくい制服のままこんな運動をしているので、汗をかいて仕方がない。
ちなみに、彼の高校は上下黒の学ランである。もっとも、学ランの上着は既に、登山リュックの中に突っ込んでいるが、それでもシャツが体にはりついて気持ち悪そうだ。
青々とした木々の中にも、よく見れば立ち枯れているものもあって体重をかけるときには刀夜はよくよく注意した。万が一折れれば刀夜自身も下まで転がってしまい、ケガはまぬがれないだろう。
そして斜面を登りながらも自分の来た道筋を的確に記憶し、方角を見失わないようにしなければならない。
方角については方位磁石を利用してもいいのだが、異世界に地磁気が存在するかどうか疑問視した刀夜はあえて使用しない事にしていた。
(こんな時にモンスターに襲われたらどうするか)
刀夜はそんな事を考えながら、的確に障害物をよけて山を登って行く。
一時間もかからずに、頂上に着いた。
特に公園などがある訳でもないが、最近どういう訳だか一本の大木が半ばで折れ、倒れたままになっていた。
刀夜の住む町が眼下に見える。
(午後は召喚に備えて勉強だな。昨日は糞尿をどうやって農業用肥料にするかについてまで調べたんだっけ)
流石というべきか、刀夜は内政まで視野に入れているらしい。
しかし、その思考は中断される。
刀夜の足元に輝いた、魔法陣によって。
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「――神威召喚」