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泰午―22

 冒頭は、大正時代の青年の日常から始まる。

 その青年は詩人で、コイツの日常は、日記のように書かれたコイツの詩でわかる。最初読んだ時、普通に短く区切った散文だと思っていたんだが、これも詩の一種らしい。故郷に両親と姉一人、弟4人。詩人は東京の叔父の家に下宿している。詩人っていっても学生でもあり、出版社や郵政公社に勤める仲間といっしょになって同人誌を作っていた。

 気負いの無い簡潔な文章で、自分の感情をあまりオモテに出さない。この同人誌作りにはそれなりに情熱を取り組んでいるようだが、それでも感情的には淡々としたもんだ。

 ただ、それには読んでいて恥ずかしくなるような例外が一つだけあって、近所に住む女学生への恋心をつづった部分がそれだ。この女の子を話題にした時に限って、普段よりも修飾語の数を増やし、大げさな表現で心情を語りだす。

 あまりマイナスの感情は書かないヤツだ。詩というものは美しくあらねばならないとでも思っていて、どす黒い感情は詩に対して隠してたのかもしれないし、詩作以外の別のことで発散していたのかもしれん。

 妙な団体との関わりがちらほら出てくる。名前は、読み返してみても見つからない。どうも仲間内で作った同人誌がきっかけで向こうの方から近づいてきたようだ。左寄りの政治的な団体らしく、同人誌にケチを付けてきたらしい。おかげで大変な目にもあったらしいが、それでも詩人の文章は他人事のように落ち着いている。女の子のところを除けばだが。

 当初はかなり迷惑したようだが、詩人はストレスをそこにぶつけて発散させようとするかのように、その団体に積極的に関わりだす。だが、ある程度のめり込んだ後、唐突に身を引く。詩によって表される自分の生活とのギャップに嫌気がさしたのかもな。

 詩人の下宿先の家の前は坂道になっていて、彼女はそれを登り切った所の角の屋敷に住んでいた。習い事のある日にだけ、坂道を降りて下宿の前を通り過ぎる。詩人はその姿を遠目に見送るだけで満足だった。

『言葉で心に刻み込んだ記憶は、言葉と共に跡形も無く失われてしまうのだろうか』(19世紀頃。作者不詳)

 自分の作り出す詩と引き替えに彼女の記憶が失われることを恐れた。

 しばらくして、詩が途絶える。空白のページが続くわけじゃないんだが、少し時代が飛んでいる。ビミョーにそれまでと雰囲気が変わっている。文を書くときに選ぶ単語の選択がビミョーに変わるんだよな。再開の時期は、たぶん大地震のちょっと前だ。関東大地震。焚書テロとはちょうど逆だな。少しでも多くの本を震災後の火災から救おうとしてる。学生仲間と連携し、焼け落ちた建物から本を掘り出して、目録を作り直したり修復を試みたりしている。無くなってしまった本は、他の県の図書館や個人の蔵書を頼って、同じ本を借りてコピーしたり修復の参考にしたりした。焼けて永久に失われてしまった書物の中には江戸時代以前のものもあって、内容を覚えている人を手分けして探し出し――学生の中から探し出すのが一番早かった――記憶から文章の断片を書き出して復元しようとしたりもした。

 時代背景というか詳細はネットで調べて初めて知った。実際の文章じゃ状況説明はあまりない。人間ついて書いてるだけだ。だから、あまり違う人間がリレー形式で書いてる印象が無い。時代を超えて一人の人間が生きているように見える。

 ここの部分を描いている人間は多くの人間に声をかけて横のつながりを作り、体系的に書物復旧をするための組織作りに関わってたようだ。結果的に組織化していったってのが実際のようだが。岩浪書店の店主に声をかけたりもしている。岩浪文庫がまだ無かった頃か。出版社じゃなくて、一古書店の頃? ああ、そういえば、神保町の被害もひどかったらしくて、多くの学生を人手として神保町に送り込んでいた。

 章ごとに書いてる人は違うし、2章より後ろは詩人じゃないんだが、なのに違和感はあまり感じない。今よりも言葉を厳しく選んでいたからだ。一語一語考え抜いた単語を並べて文章を組み立てていた。ケータイも無い頃だしな。そうして、事実を伝えるためには必要な部分さえも削ってできあがった文体は、簡潔で的確というよりは、何か大きなものの断片をちりばめたようであり、詩的になるのもむしろ当然だったと言える。前章を意識してそれに倣ったという面を差し引いたとしても。

 36年に同盟通信社ができ、法によって海外からのニュースは同盟を通してのみに制限された。40年に情報局ができると、報道規制だけでなく、文化芸能・文芸分野、作品の一つ一つにいたるまで検閲されるようになった。

 結局、これは全部本当にあったことなのか? それともフィクション? そのどちらでもない気がする。まったくのウソではねえだろうが、例え話というか、寓話のようなものにも思える。

 貴重な言語量を娯楽に費やすなどけしからん、と小説やテレビドラマ・舞台そのものが基本的に禁じられていたのだが、国威発揚やプロパガンダのために、国が指定したドラマの制作会社や劇団に限って活動を制限付きで許されていた。

 書き手は、情報局の外郭団体である文学報国会や文化協会とは距離を置き、学生自身による演劇や文芸サークルの自治組織を作った。この自治組織がきっかけで付き合いだした滝馨子というかけ出しの舞台女優は、第1章のお嬢様を思わせる部分が多く、まるで第1章のお嬢様が成長した姿に映る。やはり書き手の温度もそこの部分だけ高く、いっときの安らぎと情熱が見て取れる。自治組織に名を連ねるサークルは全国に及び、そこでは情報局による検閲の前に、自主規制を実施していた。だが、それは、自由な作品の閲覧や批評を実現するための名目にすぎず、自治委員会に入れば誰でも参加サークルの作品は作品チェックの名目で見れる仕組みになっていた。そして自治委員会は、参加サークルが全国に及んでいくのと同様、支部が全国に広がっていった。戦争末期にそのからくりが特高にばれてしまい、全国で摘発を受けたらしい。

 逆に、情報局に検閲をしてもらおうと積極的に情報局に作品を持ち込む人間が、書き手の知り合いにいた。どういう内容にしろ、貴重な言語量を費やしたものなので、持ち込まれた作品の大半が情報局内に保管されていた。その知り合いは、戦況が悪化の一途を辿っていることを知ると、日本が負けることを見越して、作品を戦後まで残すためにそうしたらしい。日本のあちこちが空襲を受けるようになると、個人宅とか民間の建物よりも厳重に守られた政府の施設の方が安全と考えたからだった。

 書き手自身は空襲が始まるとすぐに、図書類の疎開を始めた。

 戦後から始まる次の章は、生き残ったその書き手が書いたものか、次にバトンを渡された書き手によるものかは今でもはっきりしないらしい。時代ごとの境界は、実際に読んでみると思ったよりも曖昧で、何人の作者が書いたものかは実のところ諸説あって真実は過去の闇の中だ。ファンの中にも、はっきりさせないからこそいいのだというヤツもいる。俺も賛成だ。細かいどうでもいいことをつついたからってつまんねえんだよ。

 1950年代は、どういう世界だったのかはまるっきりピンとこない。単に戦後としかイメージが浮かばない。

 滝馨子は映画に出演するようになり、戦前の劇団とは仲が悪くなったわけじゃないが疎遠になっていく。記述も客観的な文章ばかりになって、ああコイツら別れたんだなということがわかる。別れても未練たらたらだな。実際はこの他のことも色々書いてあるんだが、一番燃えるのはこの後だ。熱くもあり、肝が冷えもする出来事の連続で、今まで色々なものを見てきたゆえの達観を感じさせる冷徹な記述が、それらの事件を余計に引き立たせる。俺が強く惹かれたのはここからだ。マジで現実にあったこととは思えなかった。だが、当時の報道写真集を図書室で見ると、それ以上に過激な世界がそこにはあった。デモ行進。仲間の死。アングラ劇場。埃にまみれた講堂内での立てこもり。よくこんな文章を書いてるような余裕があったもんだ。後から思い返して書いたと考えるのが普通だが。

 この第5章の終わり近くになって、やけに文章が乱れてくる。普通なら頭の中で推敲を重ねて、一字一句を慎重に書いていくものなのに。同じ場面とか似た内容を繰り返し書いたり、何度も書き直し、横線引いて消したりとぐちゃぐちゃだ。たいていの版では、きれいにまとめられてしまっていて、全部をそのまんま収録してる版は少ない。

 今までずっとしてきた言葉を選んでの表現に、いいかげん嫌気がさしてきたようだ。読む人間を楽しませようとするより他に、何か優先したいことでも思いついたのか? 頭に浮かんだまんまを書き写そうとしたみたいな感じだ。だが、そのイカレっぷりが良かった。

 こうして振り返ると、大正時代から現代までってそんなに離れてはいないんだな。大正生まれの人もまだ生きてるだろうし。だが当時の言語量はまるっきり残ってなんかいない。過去から今まで、あくまで連続した時間が流れてる。今まで生きた自分の人生より何倍も長い時間を想像するのは難しいが、その流れは一度も途切れたことはないんだ。当たり前の話だけどな。

 80年代に入ってから、文章の質が落ちる。内容自体は、よくこんなの書けるなと思えるようなものなのに、文章が、俺が見てもわかるくらいにド下手なせいで台無しだ。気になる女がバイトをしてるカフェに入り浸るとか、そのくせなかなかアプローチをかけられないとか、大正の頃から変わってないヘタレっぷりは健在だが、何か今までとは違う感じがする。その違和感のせいでよけいに蛇足だとか言われるんだが、独特の放っておけない物足りなさがある。

 80年代の日本は、世間的にはシラケの時代と言われていたが、この章に出てくる人間はどいつもとことんアツイ。60年代の運動は失敗だったという認識のもとに、もう一度盛り上げようとしていた。この章は珍しく背景について詳しく書かれていて、それも雰囲気をダメにしてる一因だな。

 ……畑の言葉を聞いて、なんとなくコレのことが気にかかって読み直してみた。

 驚いたな、あの時の畑には。いきなり喋りだすとは。俺が好き勝手喋ってたからキレるかと思ったのによ。なんだったんだ、ありゃ?

 ……もうそろそろだ。

 在と俺が会うことは普通のことのはずだが、今日は、それが特別なことに思える。何の用かは俺も知らない。

 来た。在が俺の家に来るなんて、これでまだ2度目だな……そういえば。

 やっぱ焚書のことか? 在にはウソは無駄だと感じる。いや、ウソなんてまだついてねえんだが。焚書テロについて在に話したことの中でウソだったことはまだない。でも、これ以上一言でも話せば、ウソをついてしまいそうだ。

「――これ? ああ……たいしたもんじゃねえよ」

 長い。じっくり読んでるのか。なんでそんな真剣に読む……?

 沈黙に耐えられん。

「最近、あの女とはどうよ?」

 くそ……わからない。上手くいってるともそうでもないとも違う、怒ってるのでもでもない、在の何かを考えている顔だ。その目がこっちを見つめてくる。

「うちの親が……離婚するってさ。唐突だろ? 勝手な話しだ」

 同情してくれってつもりじゃねえが。親父は前に、未練がましく文字を見ていたことがある。長文で埋められた本だ。母ちゃんとケンカした後だった。母ちゃんは親父とケンカになると、よくモノを投げる。親父はその時、言葉さえあれば、とでも思ったのか? ふざけるな。母ちゃんが投げた灰皿も戻さないで。

 いま……いつのまにか、勝手に口が開いてたみたいだ。在に遮られるまで、自分が喋ってることにも気付いてなかった。何を喋ってたっけ……思い出せない。

「その本、持ってっていいぜ。もう、俺はいい。後半にいくにつれてグダグダになっていく。……いつまでも続きを書くバカがいるからだ。ほとんど似たようなことの焼き直しに過ぎんのにな」

 突然、何もかもが面倒になった。一瞬だけだが。まるで俺の言葉は、俺の本性に逆らう為だけに存在しているようだ。

「そう……か。分った」

 俺の声じゃない?

 在? 在が喋ったのか。

 分ったって――何も分らねえよ。

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