邯子―16
過去に遡り、何震の顔写真を探したが、見つからなかった。我孫子署で10年以上忘れ去られたように保管されていた写真を除けば、どこにも残っていない。大学にも無かった。写真に添付されていた短いデータを読んだ限りでは、自発性の感じられない小物、どこにでもいたその他大勢に含まれる学生にしか思えず、見過ごされてきたのも無理は無い。目立たな過ぎる。写真さえもなく、臣文蔚と交友があったらしいことを除けば、人的な繋がりも不明。友人もいなかったのかしら。
当然、在架も知らず――在棚は知っているかもしれないな。だが、何震の顔写真は向警予が持ち歩いていて、すぐには在棚に見せてみることが出来ない。
臣文蔚と何震は何時の時点で袂を分かったんだろう。最初の頃は、何震は臣文蔚に従っていたのだろうと想像つくが、何故今は別なのか。焚書テロに関して意見に違いが生まれたのだとして、何故今頃になって焚書テロを実行に移したのか。それと、臣文蔚は今何をしているのか。
まだ分からない事が、すぐに思い付く物だけでもこれだけある。本当に、最終的にはあたしにも答えが分かるんだろうか。分からないまま事件は解決……そうなりそうな気がしてならない。
姉はあたしにとって遠い人間になってしまった。いや、なりつつある、のか。最近になって急にそうなったのではなく、徐々に、離れていったのかもしれない。それを、あたしが最近になってようやく気付いたのかもしれない。邯歩と一緒にいると、まるで邯歩を自分の一部のように感じてる――それも、過去形で語るべき事柄なのだろうか。
邯歩が先程の討論会にいても役に立たなかったかもしれない。あたしの通訳者として呼ぼうかと思ったが、先約があるとして断られた。やっぱり言葉でないと曖昧さが残る場合もあるから、結果的にはそれで良かったのだが。
それよりも、在架はもっと積極的に焚書テロ事件に興味を持つべきだ。在架にあたしの通訳になって欲しかったな。何人も人が集まると様々な意見が飛び交い、議題に集中できなくなってしまった。後から議事録を見られたから問題無いのだが、リアルタイムに議論について行けなければ、参加した意味が無い。
簡単に纏めるとこういう内容だった。
政治家の平均年齢が高い事が、政治家自身の言語量の使用を躊躇あせ、それが議論の硬直を招いている。故に政治家の平均年齢を引き下げるべきであり、その為には、被選挙年齢の引き下げが必要である。言語量の消費を避ける為に、蓄積された既存の議事録を使い回し、法案作成を天下りの温床になっている公益法人等に委託するという事が起きている。議事録の文章の使い回しは、言語量換算で80%以上に達している。文章の使い回しに、数量的な上限を設けるべきである、と。
今度の与党内での会議で議題にかける事を目標にして、先程の集まりで討論していた。先程の討論会も含めて、我々この集まりには与党以外に属している現議員も参加している。党派を異にするとはいえ、彼ら/彼女らの集まりにおいては、その点はあまり問題となっていない。比較的近い若い年代ばかりのおかげで、互いに親近感があるのだろう。時には楽しそうに仲良くしている。
与党内でのその会議にはあたしは参加できない。
自分に操作できる事象は限られている。あたしに出来ている事といえば、毎日自分のPCに向かい、コツコツとコードを積み上げていく事位だ。昨日迄の成果に微々たるものを上乗せしていく作業だ。給料に換算するとそれでも結構な額であるが、言語量がエンプティーになった後に何もしないで死ぬのを待つ事が出来るだけの額には届かない。毎日微々たる事をこなしていく事は苦ではないが、苦ではないという事はあたしに負荷がかかっていないという事だ。要するに生温い。あたしの処理能力をフルに使っていない。単に就業時間を延ばせばいいということでは無いようだ。日本でも、本国同様、好きな時間に働けるのは良いのだが。おかげで、他の社員に顔を合わさずに済む。こう見えても、あたしも人目を気にするのだ。仕事に没頭していると、人前で見せるべきではない行動をとってしまう時があるからな。とはいえそれ以上に、ノイズが嫌いだからだ。意味の分からない信号はノイズでしかない。人の意識をノイズのように感じる。直接観測不能の意識を感じる事は無論出来ないのだが、何を意図したのかわからないちょっとした動作や物音が癇に障る。
支社ビル一階のカフェで17:30に待ち合わせ。現在、17:29。歩速調整。歩幅を2inch延長、入口のステップ3段目に右足を乗せて、左足が接地する前に右手でドアのボタンを押す。開いたドアの向こう、カーペット中心から4inch右に着地。17:29.55。手前から2番目のテーブル。イスを引くと同時に着席。17:30。予定通り。
この男はそれほど癇に障らない。動作に曖昧さが少ないからだ。刑事という職業柄だろうか。
既に報道されている通り、最初の畑亮逮捕の直後、新たに3人が検挙された。さすがにこれだけ焚書テロが実際に起き、事件開始から4ヶ月近く時を経ていれば、畑容疑者から得られたであろう情報以外にも多くの情報が得られているのだろう。捜査は進んでいるようだ。テロの手法や予想される標的等、かなり詳細に分かっている部分もあるようだ。だが、向警予は失語者だ。つまり今見せられた情報は向警予が調べた事じゃない。捜査本部の情報だ。向警予自身は何を調べているんだ?
今見せられた資料には、テログループそのものの情報が余り見られない。1ヶ所突き止めることができた拠点も、そこにあったのは、犯行予定だった言語関連施設に関する図面等とテロに必要な道具だけ。勘付かれたからか、以降警察が24時間体勢でそこを張り続けても、誰も現れなかったようだ。テログループの人員については余り判明して分かっていないようだ。
向警予が調べているのはそこだろうか。日本の焚書テロの因縁というか起源は10数年前に遡る。若い捜査員には分からなくても、向警予になら分かる事が多々あるに違いない。
新たに3人も一度に検挙できたのは、警察が張っていた施設が運良く狙われたからだ。これは興味深い。まだ報道されていない事だ。逮捕された3人は、色々と供述したようだ。これは訊かれた事に対して答えた事なのか、つい漏らした事なのか、どちらなのかしら。でも、臣文蔚が首謀者だという点では、畑亮と一致していた。邯歩でさえ信じていないのに。彼らの主張も信じるべきではないのだろうか。
3人は一様に、犠牲者に対しては自分達のミスであると認め、自分達の主張を述べている。一部の特権階級が言語を独占し、支配している、それを打破する為に、または市民にこの状況を知らしめる為に、我々は活動していると。
まだ何かあるのか……
まあ、失語者が集められる情報といえば、まずは物証だろうな。
透明なビニール袋に封入された1冊のハードカバーの本。ビニール袋には白いシール。『証拠品 A11000672』著者名が無い。『書生日記』亜同出版? 後で検索してみよう。シンプルな装丁。裏にバーコードもない。自費出版? 個人的に製本されたもの?
明けていいの? 直接触っていいのか? 本当に?
……証拠品なんじゃないの?
長いわ。300ページくらいか。パラパラと飛ばし読みしてみたが、ごく普通の日記に思える。言語量の消費量を度外視すれば、だけど。3人の内の一人の私物だった?
こういうものが一番よく解らない。捜査に役に立つのだろうか。この物証をどう解釈すればいいの? これで持ち主の性格が解るとか? あたしにとっては、ただただ対処のしようの無いものだわ。こういう物は無視するしかない。
ボイスレコーダー……? 他人が使用したイヤフォンで聴く事は出来ない。あたしの私物を使用させて貰う。
人工音声だ。……聴き取りづらい。
『12月30日 社団法人日本統語協会西区館 焚書』
確か……確か……無差別に日本の言語的資料を収集・解析している団体だ。未公表の理由によって非公開となっている文章も大量にあり、文章を死蔵させている事で悪名を馳せていた……だったかな。また、言語量を無駄にさせない為に、携帯電話・各家庭・街中に録音マイクを設置する事を提案している。
ここも設立が古い。




