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刑事―7

 蘇京の件から今日で十日か。

 潜入捜査がこれほど疲れるとは想像もしていなかった。睡眠時間が通常の仕事よりも短くなっているといったって、ここまで疲労感が取れなくなるものだろうか。まだ二十代半ばだぞ……くそ……頭痛が当たり前になってきた。疲れるのは困るが、頭痛には慣れてきた。緊張感を保つのにちょうど良いくらいだ。

 蘇京の件の後、暫くそのまま蘇京にいた。向部長も現れるし危なかったが、誰も俺を不審がっていないようだった。結局、誰が直接実行したのか、尻尾を掴むことができなかった。確実に俺の前で何かが行われたというのに。

 向部長の下を離れてから一月以上が経つ。

 潜入捜査とはいえ、元の職場に一切寄り付かず、生活パターンも変えてこのテロリスト共と行動を共にしていると、社会から見放されたような気分になってくる。警察官としての自覚だけは失わないようにしないとな。捜査本部との繋がりが全く途切れているのでも無いわけだし。このような任務を担っているとはいえ、俺も一勤め人に過ぎない訳で、捜査本部への報告や雑務が無いわけではない。しかし、あまり捜査本部との連絡を密にしてしまうと、テロリスト共に勘付かれかねん。そこで、潜入捜査をしている我々と捜査本部との間を取り持つ連絡係がいる。しかし、この連絡係は我々の情報を受け取る一方で、捜査本部の最新情報はこちらに教えようとしない。我々から情報が臣文蔚の組織に漏れる事を恐れているのか?

 捜査本部に居る時は、同僚達が現在何をしているのか肌で感じ取る事ができた。

 逆に、臣文蔚の組織内にいれば普通に分る事でも、部外者に分るように報告する事が難しいという事柄も多い。潜入捜査をしているのだし、常にボイスレコーダーやカメラを身に着けていられないからだ。しかし、手ぶらでは帰れない。

 最近、内部の動きが慌ただしい。近々実行に移される次のテロを計画しているからだ。LPガスの入手ルートも判ったし、それをどう利用するのかも判ってきた。問題は臣文蔚の居場所だ。組織の構造や手段については思っていたよりも容易に知ることができたが、幹部クラスの人物の動きを捉えることが未だにほとんど出来ていない。俺の周りにいるのは、最近入ったばかりの若者が大半だ。当然、彼らは俺以上にここの事を知ってはいない。だが、このままいつまでもこんなところに身を置いておくことは出来ない。

 これを機に潜入捜査から抜けよう。

 俺を含めた三人に与えられたこの任務は、大規模なテロ計画への参加ではなく、その影に隠れるようにして実行される小規模なものだ。誰にも気付かれずに、この場所を子細に調査する。同行する人間が詳しいので、細かくはこの同行する男に従うことになっている。

 目標とされているのは、町工場のような印刷所。このような小さな印刷所をも標的にするというのか? 官公庁関連は警備が厳しくなってしまったから、全く警戒されていない標的への移行を安易に選んだのか? 否。そうでもないらしいことは、同時に再び大規模な作戦を実行に移すという噂からも分る。最近のスカウトで人数を増やしたとはいえ、大規模な作戦を含めて同時に二つ以上の計画を実行に移すとは強引だ。俺が任される小規模な作戦の方こそ、注意してよく見ておかなければならない。

 しかし、何も知らずに古株の構成員に指示されるが侭、奴らの手足になってしまっては後手後手に回ってしまうな。

 周囲は似たような小さな工場が軒を連ねている。民家に近い。住宅地と地続きで工場が建ち並んでいる。厄介だな。

 あれがそうだな。裏手の窓に明かりが見える。残業でもしているのか? いっそのこと教えてやりたい。焚書テロに狙われていると。こんな小さな町工場だ、夢にも思っていないだろう。しかし、下手な事をすれば、俺の潜入が露見しかねん。今はまだ、それは拙い。バレてでも阻止するとしたら、同時に実行に移されるはずの大規模な計画の方だ。

 取り敢ず、中の様子を。

 そう言えば。民家が近く、騒音を気に掛けているとしたら解らないでもないが、ここは静かだ。まあ工場だからって必ずしもうるさいとは限らないが。上手く中を観察できる所は無いか。隣は民家だが、後ろは工場。後ろの工場は人の気配が無い。工場の間の隙間は通れそうだ。猫と悪ガキ以外は利用しそうにもない隙間だ。役にも立たない癖に胸の高さ位のブロック塀が余計に狭くしている。工場の壁が薄いとはいえ、耳を付けても中の物音なんて聞こえそうにない。気付かれないように、窓の隅の方からケータイのカメラで見るか。直接覗くのと大して変わらないか?

 居ない。人影無し。しかし、こんな時間に明かりを点けた侭にしている以上、一時的に離れているだけ、という可能性も大きい。戻ってくる前に忍び込むか……それとも待つべきか。

 俺がここにいる事は捜査員の誰も知らない。不用意な事はすべきではないか。同僚に迷惑を掛けかねないような行動はな……。今でも充分、やり過ぎている感があるし。どうする? こうやって逡巡している間に時間をどんどん潰していくぞ。

 窓から見える範囲では、特に不自然な所はない。二階分の高さの吹き抜けの工場の中に、一階建て一部屋のプレハブの小屋の様なこぢんまりとした事務所。その事務所の窓。保険屋から貰ったカレンダーへの書き込みは、何か不審な所が無いか。地図? 机の上に。ここからじゃよく見えない。入るしかないな。人が居ないか、一応工場の方を確認するか。

 こっちの窓は開けっ放しじゃないか。裏の工場との隙間に面しているとはいえ、これはやはり誰かいるな。こっちの工場の窓から入れる。

 工場といっても半ば倉庫の様だな。物が積み上げられていて広さの割には見通せない。

 これは……ボンベ? 『ハロゲン化合物』? 消火剤か。確かにこの塗装やマーキングはこれが消火剤である事を示しているが。何か……おかしい。

 おや?

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