泰午―1
読み飛ばしても物語上支障なさそうです。
寝てる。
「こっちが起きたと思ったら在の方は寝てんだからよ」
寝かせとくか。
一応授業中だし、廊下はまずい。階段。階段なら、目につきにくい。あと10分くらい、先生に見つかんねえだろ。
在はああいうの興味無いのかな。さっきの授業。
他の奴らは、渋っていても結局は何だかんだで言葉をムダに使ってく。でも、在はマジで使わんな。在が無口に感じられるのは、あまり派手に感情を表に出さないせいもあるかもしんねえけど。そのくせ行動派なんで、あいつの好き嫌いとかがわかるんだけどな。
ツレからのメールは7割スパムみたいなもんだな。見慣れないアドも気をつけないと。本物のスパムの場合もあるが、そうじゃない場合もある。写真だけのも多い。ツレには、かわいい娘がいたら撮ってよこせ、といってあるけど、でもこれは違うだろ。女の子自身が撮ったやつだ。カメラ写りを気にしたアングルがむかつく。ウチの制服。誰だか思い出せねーが、知らない顔じゃない気がする。
01/09/1211:40
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[From] kaori1792@domoc.ne.jp
[Sub] (^-^)/
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[Txt] 香だよー!! (^O^)/
香? 初めて聞く。
……ああー、でもなんか見覚えある気も……初めて見た名前だってことには変わりないけど。
最近、名は体を表す、っていうのがちょっとした流行りだ。名前の通りの自分になろうってヤツ。香。匂い。香水――あいつかな。最近、香水に凝ってる女がいたな。同じ学校だっけ?
あ――俺のケータイ。
いつのまにか知らねえ女が俺の背後に立ってるし。上の段から俺を見下ろしてるし。
「返せ」
手が届かん。俺から逃げるように階段を1段、2段と登ってく。
「お前だろその写メ。何なんだ。つか誰だてめ」
チャイム鳴ってんじゃん。なにヒトを指差してんだ。笑うな。俺が喋りまくるのが面白いらしい。
階段の踊り場――ちっちぇー頃、文字通りココで踊るもんだと思ってた。捕まえた。まだ笑ってやがる。肩章は白が2本、濃緑が3本の2年3組か。いちいちこっちに突き付けんでも、そのメールの写メ、お前だろ? 勝手にヒトのケータイ見てんじゃねえよとか思ったら、こいつ自分のアド勝手に登録してやがる。
3組は音楽の授業だろ。今ちょうど終って上から降りてくる。がやがやとウルセー。
こいつが真っ先に教室から出てきたんだ。井郷のクラス。そうか。2、3日前、駅前で一緒にいた奴か。思い出した。そのとき他にいたツレの誰かが、勝手にこいつに俺のケータイの番号教えたんだろ。
そうだ。コイツも明日連れて行くか。
「なあ、おい。明日ヒマか? 親しくないヤツは連れていきたかねんだが……まあ」
ふん……3組の全員までが足を止めてやがる。そんなに言葉が珍しいのか。好い加減慣れろ。おまえらも喋れんだろうがよ。
「ちょっとしたバイト。数十語くらいは喋らされるんだけどさ」
と言っても、こいつら全員来られても困るな。大学生だって騙すんだから、せいぜい3、4人。大人数で行ったらさすがに問題になりかねねえ。
「来たいやつは俺のケータイに連絡くれ。アド知ってんだろ」
なぜか俺のアドはあちこちで知られてるからな。
もう次の授業か。
……今度は隣りがあのCD聴かされるみたいだな。
何人もの子供の声が順番に聞こえてくる。言葉は一人一人違ってる。プリントの子供達が整列している写真を見ると、その子らの胸のプレートがそうか、とわかる。通し番号と単語が書かれた名札のような横長のプレート。
日本にいて、日常耳にすることの無い単語。
被験者本人にとって大切な意味を持つ単語。
乱数。
物差しとする言葉を3種に分けたのは、当時としては珍しい。写真集でもあまり深くは触れられてないが、当時としてはコロンブスの卵的な発想の逆転だったようだ。19世紀から引きずる定説がまだ幅を利かせていた状況であり、どんな言葉を発しても言語量の消費は等しいと当時はまだ考えられていた。つまり、酔っ払いの吐くたわごとも最愛の人の名も等価値であり、「言葉の重み」などは非科学的な、ナンセンスなものだと。主観的な言葉の重みによって言語量の消費が違ってくる、などというのは、科学の成立以前には存在した考えだが、その事を科学的に研究したのは、実はナチスが初めてであった……らしい。そんな内容のことが書かれてる。ナチスが初めて、ということにはちょっと驚く。ナチスに荷担するような学者に先見の明があったとは思えねえが、単に思いつく限りのことは何でもやってやれくらいの気持ちだったのかもな。
それぞれの種類の単語のみを話す3つの集団間での言語量消費の違いを見つけ出す為に、音節を基本単位とした。古典的な理論では総音節数=総言語量(一音節=単位言語量)となる。ナチスは、話す場合だけじゃなく、字を書かせた場合での言語量消費も調べた。だから子供達の集団は全部で6つになる。その場合でも、文字数じゃなくて音節数で消費量を数えたようだ。
なぜか手話については調べてねえな。言語とはみてなかったのか? その頃としては無理ねえか。
一人分の収録が終わったテープから発話の総音節数が調べられ、統計表の一行に加えられていった。これで集団ごとの子供一人当りの総音節数に差が出るのなら、一音節=単位言語量は間違いという事だ。つまり「言葉の重み」はあった事になる。
今聴いている声の主は大人が、一つの言葉を意味もなく繰り返している事では同じだ。
縁の無い独語といっても、さっきの授業も含めて1時間近くもずっと聞いていればさすがに聞き取れるようになってきた。同じ単語を繰り返してるだけだし。
ふぁぶりかーと。Fabrikat。『工業製品』
課題フォルダに入ってた音声ファイルは、テキトーな誰かの声のサンプリングっぽいな。ドイツ人の声。もしかしたらあの中に囚人の声が入ってるかもしれないな。今ふと思ったけど。やり方が非人道的っていっても、言葉は貴重なんだから膨大な言葉を録音したナチスの実験テープを戦後捨ててしまったはずがない。色々な形で再利用されたはずだ。予習として学校のサーバに置かれてあった独単語の音声ファイルは一つ一つ別の人間の声だった。録音状態は今きいてるヤツよりどれも良かったが。
独語の学習が主眼じゃないから有り触れた単語ばかりで、暇潰しに聴いてるうちに覚えてしまった。もっとも、覚えた単語の中に「ふぁぶりかーと」が無かったとしても、この音を憶えておいて、それだけを頼りに後で「ふぁぶりかーと」という単語の意味を調べ出す自信はある。
意味を理解するより前に、これが独語だということがなんとなくわかってる。前にTVか何かで独語の会話を聞いた事があったのかも。音楽のように決まった筋があるわけじゃねえのに、ましてや人によってクセや声質も千差万別なのに、たとえ言葉の意味も文法もわからなくても独語が仏語や中国語とは違うってわかる。失語症になったらこういう事もわからなくなるのか? 失語症になったからといって知能が落ちるわけじゃない。でも、言葉についてはどうなんだ? 人の声と単なる音とも区別できなくなるのか。ウチの親なんか見ててもな……俺の言葉を物音か何かと思ってんじゃねえのか? と疑いたくなるときがある。あいつらの場合は理解力以前の問題か。俺の言うことだからわかってて無視してんじゃねえのか。
実験結果に影響を及ぼさないように研究者は退出し、録音機の置かれた密室で一人、同じ言葉を機械的に繰り返す。何も考える必要はない。そんなのだと、どんな言葉であっても擦り切れてくる。言葉の重みはどんどん軽くなってくだろうな。つまり、本人にとってどれだけ大切な言葉でも、機械的に繰り返すうちにどうでもいい言葉となっていくんじゃねえのか。でも結果だけ見ると、この研究は成功したように見える。つまり、子供達の集団間で差が出た。その成果はいまだに論争の種になってるらしくて、まだちゃんとした結論は出てないっぽいんだが。このまえ、ちょっとネットでそういうスレを見たな。
しまった。さっきの授業と同じところを聞き逃してしまった。一度言葉の意味を理解すると、それ以上注意を払うのを止めていた。集中して聴いてねえと、また何を言ってるのか聞き取れなくなってきた。
また別の人の声に変わった。これで何人目だ?
この声、話している本人は、自分の声が崩れてきてる事に気付いてないな。独語には違いない感じだが、いくら集中して聴いても何を言ってるのかわからなくなってきた。たぶんデタラメだな、これは。本人はちゃんと喋ってるつもりだが、言葉を繰り返す途中で言語量が尽きたんだ。
実験を監視していた研究者か誰かが止めに入ったな。
しばらくして雑音だけになった。
出だしがgdgdだったのがまず敗因の一つですね。
それ以前の問題だったかもしれませんが・・・




