邯子―2
人集めはあたしより邯歩の方が向いてる。あたしは興味も無い。姉にやらせておけばいい。その為に蘇京用のあたしの名刺を渡した。姉ならソシアルワーカーの仕事をほっぽってもするだろう。
その程度に思っていたのは、言語量の確保だけを考えていたからだ。でも、邯歩に病院まで付き添って少し考え方を変えた。日本で確保できる若者を言語量のタンク程度に考えていたが、そのタンクは考える頭付きだ。それだけではもったいない。使える人間もいるかもしれない。あの邯歩がどんな人間を連れてくるかには興味がある。
日本は飛び級制度がアメリカよりもずっと遅れている。そのくせ大学への進学率が高い。多くの若者が社会に出る前に無駄に言語量を浪費している。優秀な人材は、凡人に足並みを揃わされ、時間を持て余すことになってしまっている。そうやってくすぶってる人間を連れてきてくれると嬉しい。
味にこだわるつもりなんてないけど、どこにいってもアメリカと違う食べ物ばっかりというのには少し辟易させられた。嫌でも食生活が変わる。今までと違う環境だから食べる量の加減がつきにくくて、食べ過ぎたりちょっと足りなかったりしていらいらする。こだわりが無くても、嫌でも胃の方に意識がいってしまう時がある。こういうのって嫌だ。空腹も満腹も感じたくない。食べたり出したり洗ったりは、後腐れなく、後には何も残らないようにやり過ごしたい。肉体を意識するようなのは好きじゃない。
バスもだ。会社が借りてくれた部屋は狭い。バスタブも胎児のように丸まらないと完全に頭から爪先まで水中に入らない。実家はノイズが酷かったけど、実家のバスタブは深くて良かった。あれだけが良かった。
あと一分だけ入っていられる。
残り15minで出勤の準備。
服は前日の夜、寝る前に用意済み。人の形に床に並べてある。下から順番に身に付けていけばいい。
邯歩はあたしの買ったスーツに不満だそうだ。ML社に入るときに、5着同じものを買った。清潔に保ち、アイロン掛けもしてるのに、何が駄目なんだろう。帽子や小物はよくプレゼントしてくれたが、スーツのような基本的なものは自分で買うべきだと考えているらしいから、手出しはしてこなかったが。
当分は蘇京通い。同僚から、お前は飛ばされたんだとこの出向を揶揄する内容のメールが来たけど、ピンとこない。なぜあたしと同じルーキーが上司の意向を知り得るんだ? 蘇京との提携は日本攻略の戦略に関わってくる部分だし、あたし達がアメリカ本社から日本に寄こされたのも、あたし達の上司とは関係のない所で決定された事。どうして事実をありのまま受け入れずに余計な解釈を加えようとするの? 自分としては状況に対応するだけ。
今日は涼しい。汗をかかないで済みそうだ。どのみち、日本に来て会社までの距離が伸びて、歩いていける距離じゃなくなった。
昨日、邯歩から箱いっぱいのスニーカーをもらった。どういった経緯があればそんなものがタダで入手できるのか解らない。どうすればそんな事態に遭遇するのか解らない。姉はモノにこだわらないようでいて地味なこだわりを持っているから、初めから自分の為に貰ったんじゃないと思う。もっとも、汚れていい用としてなら邯歩でもこんなスニーカーを履くかもしれない。箱いっぱいに、まったく同じ、それも型落ちのスニーカー。会社で配れということだろうか?
蘇京は古い会社。ML社よりも古い。日本に来てから得た資料では表面的なことしか分らなかった。蘇京は言語系のリサーチや言語処理等では日本大手。だが、創業時のごく短い期間を除けば、売り上げの半分以上はずっと日本政府からの仕事で今まで続いてきた。IT化された今でもだが、言語処理の業務は多くの言語量を消費しがちだ。だから、政府や中央官庁といえども、事務処理や文章作成を外部に委託させる割合が大きい。政府関係の書類をそうやすやすと民間に託すわけにもいかないから、自然と結びつきの強い企業に委託することになる。業務委託先を分散させるのも都合が悪いから、ほんの2,3社だけが独占しているような状況だ。建前は入札であっても受注先は事前に決定されている。その見返りとして天下りの受皿となっている。半ば以上政府に食べさせてもらっているとも受け取れるが、しかし、30年以上の経験は無駄ではなかったようだ。
我が社が提携しようというのだから、単なる天下り先を確保する為だけの空の器であっては困る。
数では、アルバイトは社員以上に多い。洋の東西を問わず、言語処理を業務とするところが言語量を確保する為によくやる手だ。アルバイト一人当たりの業務中の言語消費量が大きくなりすぎると労働基準法に触れてしまうから、アルバイトの入れ替わりは頻繁だ。邯歩には、その補充要員を集めてほしいんじゃない。そんなのはバイト情報誌や求人サイトを使えば必要以上の募集が来るだろう。そうじゃなくて、待っているだけでは手に入らない埋もれている人材。蘇京の為の人材じゃない。
使える人間を見つけ出すのは至難の技。ネットのように検索できたらいいのに。どこにどんな能力を持った人間がいるのか、言語量によってコミュニケーションが制限された世界では探し出すのが難しい。だから蘇京のような企業が存在していられるし、必要にもなってくる。言語業界は、疎遠な人同士、人と社会をつなぐ役割を担っている。蘇京のようなところも含めてシンクタンク系の企業はいわば言語量を集約し再分配する機能を持っている。情報を集めて解釈し、それを求める場に渡す。失語者にとってもこの業務は重要だ。非失語者は失語者の代弁者の側面も持っている。
でも邯歩には必要なさそうだ。彼女にとっては、初めから言語などというものは存在していない。どうやら周りの人間は使っているようだけど、自分には関係の無い流行りのようなもの、または遊びのようなもの――その程度の認識で周りの人間の言語活動を眺めているのかもしれない。邯歩は普通の失語者とは違う。持っていたものを失ったわけじゃないということが、何か彼女に影響を与えている?
言葉を必要としていないから持っていないだけ、という感じさえする。あたしとは正反対だ。
あたしは、自分に言語量が残されている間にできることをする。あたしが失語するとどうなってしまうのか、想像はするが実感は伴わない。言葉が無い世界は非現実的な感じさえする。でも、失った後の世界をよりよくする為に、失うまでの間に、言語業界でできるだけのことをしたい。




