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短編つめあわせ

Citrus Note

作者: 陽菜

一週間前、好きだった人に彼女ができた。

その報せを聞いた日、初めて恋愛で泣いた。

その後もふとした瞬間胸が苦しくなってまた泣いて、もう1週間経つというのに、ずっと、未だに、涙腺の調子がおかしくて、自分がこんなにも泣ける人間だったのだと初めて知った。

むしろ、自分がこんなにも彼のことを好きだったことを知らなかったことが、物凄く、ショックだった。

彼が凄くモテる先輩のことを好きなことも、叶うはずないと思っていたことも知っていた。

だけどその先輩が、彼の想いを嫌がってないということも、知っていたから。だから、手を伸ばせば届くだなんて本気で思っていたわけではない。いつかこんな日がくるかもしれないと、心のどこかで気づいてさえいた。

けれど、自分がただ好きでいるだけなら問題ないし、なんて言い訳で誤魔化すことができていたから、握り締めた自分の手の力を弛める方法をいつの間にか失くしてただけだったなんて思わなかったのだ。

自分のことなのに、ちっともわかってなかった。

(さすがに呆れるなぁ……)

ぱらりとめくった大好きな漫画の中身がちっとも頭に入ってこなくて早々に放り出す。気分転換はちっとも思い通りにいかない。

宿題のない長くて短い春休み。出かけないなんて有り得ないって言ってた言葉を返上し家に閉じこもっている。勿体無いと思う反面、無理して笑わなくていいということがとても有難い。

それに今の自分はきっと酷い顔をしている。

泣いてばかりいるせいで妙に瞼が重いし、夜も良く眠れなくて体がだるい。健康的な生活をしてないから肌の調子は悪いし、髪の毛なんてぼさぼさだ。

何で私は先輩じゃないんだろう。

そんな思いが過ぎるのが嫌で、ここ暫く鏡を覗いてない自分の不細工さ加減を思うと頭が痛い。

今日会えるかも。今日会えなくても、明日は会えるかも。

そんな風に期待して、ちょっとでも会えた時のために少しでも綺麗になりたくて、毎日密かに続けた肌や髪のお手入れも今じゃ台無しどころかマイナスだろう。

好きな人のために。自分のために。そんな努力をしていた自分は案外嫌いじゃなかった。

だけどもう、外見を気にしたって意味がない。

このままじゃマズイと思う端から、マズイと思う必要さえなくなってしまったのだという現実を突きつけられることが痛くて、唇を噛む。

(今は、何もかもが嫌だ)

自分磨きも、遊びも、友達づきあいも、何ひとつだってしたくない。

情けない自分に疲れて力が湧かない。

家に閉じこもりきりの自分を家族が心配していることも知っているけれど、誰かに気を遣う心の余裕が今はない。

(……今だけでいいから)

ずっと続けられるなんて思ってないから、だから、今だけ。

今だけでいいから、思い切り哀しみに浸りたい。悲劇のヒロインに、なっていたい。


期間限定の、小さな願い。

抱き枕代わりのぬいぐるみを強い力で抱きしめる。

そのまま消えてしまうかのよう小さく体を丸め、強く顔を押し付ける。

身勝手な我侭を、どうか今だけ許して欲しいと強く願った。



――だけど自分は知らなかったのだ。

人生、何もない時はただ退屈な日々が続くのに、ひとつでたくさんと思っている時程容赦がないということを。

爆弾は、いつだって思いがけないタイミングで降ってくるということを。



「は……? や、今……」

何て言ったの、と。

問いかけようした言葉を慌てて寸で飲み込んだ。

ダメだそれは聞いてはいけないことだと聞こえた本能の声に従って。

ベッドに転がったまま思わず振り返った莉子の目が、呆れたような視線とぶつかる。ふう、と聞こえた小さなため息にぴくりと莉子の肩が揺れる。

何でどうしてどうやって。

ぐるりと回る疑問はけれど、ある意味では自明の理だ。

入室を頑なに拒んだ莉子の部屋に無理やり乱入してくるような傍若無人な輩は1人を置いて他にいない。

同級生の圭太が親の再婚で莉子の家の向かいに引っ越してきて早10年。付かず離れず微妙な距離間を保とうとする莉子とは逆に、あまり頓着しない彼が無感動な声で莉子に声をかける。

扉付近に佇んで、男にしておくには綺麗な顔が、「頭爆発してっし……」と呟くのを遠く聞く。

はあ、とあからさまなため息がもうひとつ。

莉子が咄嗟に耳を塞ごうとしたのを察してか、それより早くはっきりとした声が耳へと届く。

「だから、お前が好きだつったの」

「……っ言うな口にすんなこっちが言葉止めたんだから空気読めっ!」

かっと頬に熱が集まり直ぐ様喚く莉子に対して、しれっとした顔のまま圭太は告げる。

「そっちが流そうとすっからだろうが」

「流したいんだよわかってんでしょ何がどうなってそうなんの?!ってゆうかそんな嫌そうな顔で言う言葉なわけそれは?!」


――何でこんな時にっ!!


思わず絶叫した莉子の声を、耳を塞いでやり過ごす。

変わらない圭太の姿に力が抜けて、莉子は思い切り肩を落とした。


「追い討ちだ……何なの一体……コレハドンナ罠デスカ」

「何で罠だ。だから流そうとすんなつってんだろーが。答えなんざわかってんだからせめて聞け」

「いや意味わかんないし。何で急にそうなるの?圭太私が失恋したばっかだって知ってるじゃん。……って、ああ、もしかして同情とか?……そんなの、」

「違う」

青天の霹靂みたいな言葉でも、一呼吸おけばさすがにおかしいことに気づく。

自分では隠していたつもりの気持ちが何故か彼にはバレバレで、ことあるごとに突っ込まれてたのはついこの間のことだ。

莉子が好きだった彼が射止めた先輩はこの辺りでは非常に有名で、二人のことは即座に噂が回った。

圭太だって知っただろうし、莉子の今の惨状を見れば否定しようにも難しいだろう。

同情なんてされたくない。

こんな時にそんな慰め要らない。

圭太は良かれと思ったのかもしれないけれど、莉子には性質が悪いとしか思えなかった。

友達としての"好き"をこんな形でもらっても今は素直に受け取れない。

女として魅力不足でも、友達としてはいいヤツだ、なんて、酷い嫌味もあったものだ。

震えそうになる呼気を努めて平静に保ち、開きかけた莉子の口を再度圭太が遮った。

「違う」

「……っ」

思わず投げつけた抱き枕を、圭太が難なく片手で払う。

見せ付けるようなその力の差が悔しくて、圭太を強く睨み付けた莉子は立ち上がる。

(一発でいいから殴りたいっ)

次の瞬間、さっと動いた圭太に腕を取られて、莉子は長い睫を間近に見た。

くっきりとした二重の瞳。通った鼻筋。甘めのマスクに綺麗な肌。そこそこ長身で、細身。所謂イケ面に分類される顔立ち。彼の性格とは別に、女の子に人気のこの顔が、莉子はあまり好きではない。

反射的に顔を顰める莉子に不機嫌顕な圭太が掴んだ手に力を込める。

「聞けよ」

素直に。

込められた言葉の強さに反射的に莉子の背が震える。

一時たりとも逸らそうとしない圭太の瞳に、今まで見たことのない色を見つけた気がした。

自分に、ましてや圭太から、向けられることはないと思っていた強さにたじろぐ。

(―まさか、)

ふと莉子の心に浮かんだ疑問に気づいたかのようなタイミングで、圭太が頷いた。

揺らがない真剣な眼差しを目の前に、徐々に莉子に驚愕の波が広がっていく。

(嘘)

莉子にとっては初めてされた告白だ。

何故圭太が。よりによって自分を。

どうしても信じられなくてついまじまじ圭太を見つめる莉子。

それにしても、恥ずかしがる素振りなど一点たりとも見当たらない、これが本当に告白なのか。

(ていうか)

「……なんで今なのっ」

言いながら、自分の不躾な眼差しにも動じない圭太に改めて気づく。

少しずつ頬に熱が上っていくような気がしてきて、喘ぐように言葉を投げつける。

掴まれたままの腕が熱い。間近にある圭太の体が、とてつもなく熱く感じる。

わけもわからず兎に角恥ずかしい。予想も付かない展開に途方に暮れる気分だ。

徐々に変化していく莉子の反応に目を瞬いて、圭太は少しだけ考える素振りをした。

「言いたくなったから?」

まるで当たり前のことを告げるかのような言い様に莉子は眩暈を覚えた。

現実感が酷く遠かった。

「何でこのタイミングで言いたくなんてなるの……ってゆーかいつから……なんであたし?圭太、宇佐美さんとつきあってなかった?」

ふと浮かんだ圭太の彼女の顔。

隣のクラスで、目がぱっちりした可愛い女の子。

男の子受けするタイプだけど、意外と低姿勢だから女の子の評判も悪くない。

一緒にデートに出かける姿を少し前に見た気がするのに。

「もう別れた」

「別れた、って……」

さらりとした圭太の声にはかけらも未練が感じられない。

「惜しくなった。莉子を別のヤツにやるのが嫌になった。ゆかりより、莉子の方を手放したくなくなった」

(そっか、宇佐美さんの名前、ゆかりだっけ)

莉子が今関係ないことの方に気を取られたのはおそらく現実逃避だ。

莉子の意識が逸れたことに気づいたように、圭太に、ぶに、と頬をつねられる。

圭太は昔から莉子に優しくない。

今は別の場所で暮らしている少し年の離れた圭太の兄に可愛がられた印象は強いが、同い年の圭太とはさほど仲良しだったという感覚はない。幼い頃は一緒に遊んだし、同じ学校に通っていたから登下校が同じになることも多かったが、それだけ。お互いの家に出入りすることまであるのに、互いの距離は近くはなかった。

綺麗な顔立ちなのに可愛くない。

飄々とした態度で要領よく生きている。

不器用で損をすることも多い莉子にとって、世渡り上手な圭太の存在は少し辛いものだったのだ。

傍にいることを羨ましがられることもあったが、それで莉子が有頂天になることもないし、ましてや圭太が莉子の恋愛対象になることはなかった。

それは彼のほうも同じだと思っていたのだが――。

「……っ近っ!何顔近づけてんのっ!?」

「ちっ」

「舌打ちすんなっ」

ふと思考を飛ばしていた隙に目の前に迫っていた顔を空いた方の手でブロックする。

一体何をしようとしていたのか、考えた途端に全身の血が沸騰したような感覚を覚えた。

ありえない。

あと数センチで口と口がぶつかるところだった。

莉子の了承もなく圭太がしようとした行為に思い至って声なき悲鳴があがる。

慌てて全身の力を使って圭太を突き飛ばす。対応しきれずたたらを踏んで離れた彼からできる限り遠ざかりたくて、一目散に逃げた莉子は部屋の壁に背中を張り付ける。


(何なの一体……っ?!)


混乱ここに極まれり。

いっそ発狂しそうな気分になって莉子は叫んだ。


「と、とにかく帰れっ」

「まだ話は終わってな」

「いーから帰って!話なんてきかないっ」

「お前な、」

「わーわーわーわーわーっっ!!!」


絶対きかないっ!!


圭太の言葉を全部遮り喚いて耳と目を塞ぐ。

断固とした態度に、このやろ、と声が聞こえた気がしたけど絶対きかない!!


果たして依怙地な莉子の態度に呆れたのか諦めたのか。

声を発すると飛び出す莉子の叫びに大仰な仕草で肩を竦めて圭太が首を振って背を向ける。

去り際振り返った彼が発したらしき言葉をもう一度遮った後、漸く一人になった部屋で莉子はぐったり壁に体を預けた。


(い、意味がわかんない……)


失恋ダメージから立ち上がる前に更なるダメージを負った気がする。

自身の体を支えられずずるずるとへたりこんだ莉子は、昨日以上に憂鬱になった明日が酷く怖くて耐え切れず顔を覆うのだった。

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