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隼人 第1話

書いてる内に楽しくなった一作です。

「いらっしゃいませ隼人さま」


我らが街の中でも、特に治安の良い区画の一角にあるこじんまりとした店、ここはいわゆる女郎屋、遊廓、言い方は色々あるが結局は女を買いに来る所だ。


「ああ、桃姫とうきちゃん空いてるかな?」


俺は既にここの常連なので誰を勧められる事もなく自分で聞く。


「はいはい空いておりますよ。

それでは二階のいつもの部屋ですので…」


「わかった……んっ」


前金で払いを済ませ二階へと向かう。


いつもの部屋とはこの店の再奥、二階のどん詰まりにある煌びやかな扉が目印の部屋だ。


「お邪魔するよ」


その扉を開けると……一面のピンクピンクピンク!

敷物がピンク、棚や家具類がピンク、天井を含む壁がピンク、そのどれもが微妙に色を変えてあるので物の識別は可能だが、流石にやり過ぎの感がある。


「おかえりなさいませ隼人さま…」


その中で三つ指をついて出迎えてくれた女性が桃姫だ。


このピンクの世界の中で唯一異彩を放つ黒髪黒目の桃姫、長くて艶やかな髪をしなだれさせ、深々と頭を下げている。


「ただいま♪今日は泊まらずに帰るつもりなんだ」


「でしたらお酒はどういたしましょう?」


鈴が転がったような綺麗な声で問い掛けられた。


酒が入るとどうしても男の生理は弱くなる。


だからこれは今日まぐわうのかの確認だ。


「呑みたい。

先日出してくれた老酒がいいな♪」


だからこれは今日はいたさないと言う返答。


「では…」


桃姫が傍らにあった鈴を鳴らすと、すぐに扉の外に気配が現れ、


「お酒を…江東より取り寄せた老酒をお持ちなさい」


声を張り上げるでなく、さりとて小声でもない特殊な声で、入室の許可すら出さずに命令する。


相手も姿や声すら出さずに立ち去る。


いつもの事ながらよく教育されてるな。


「それじゃあ今日は耳掻きからお願い出来る?」


俺はそのまま桃姫に近付き、ゴロンと膝枕に寝転ぶ。


「はい…本当に隼人さまは耳掻きがお好きなんですね」


今までも何回か耳掻きしてもらってるので、桃姫も慣れたもので、傍らの小物入れから耳掻きを取り出し耳掻きを始める。


「いいよな~♪好きな女に耳掻きされてる時とか大好きなんだ♪」


まずは軽く入り口をカサカサと擦ってから、

おもむろに耳の穴に耳掻きが侵入してくる。


深すぎず浅すぎず、実際耳垢なんぞそんなに溜まっているわけではない。


好きな女に耳掻きされるのが快感なのだ。


「御痒い所は御座いませんか?」


「ああ…大丈夫だよ……気持ちいい…」


うっとりと至福の時間を味わった後で、耳掻きの最中に戸外に用意された酒を桃姫が回収し、桃姫の酌による酒呑みが始まる。


「今回は随分間が空きましたね?」

何気ない風に桃姫が話を始める。


「新しい仕事任されたからな。

桃姫は外出しないけど、警備隊はわかるだろ?」


遊廓のNo.1たる桃姫は、実を言えば街中を歩く位の自由は軽く持っている。


だが、その美貌に注目が集まる事で味わう煩わしさを嫌い、あまり外に出ようとしない。


更に桃姫クラスになれば、欲しい物があれば客におねだりしたり、最終手段として自分で買えば大体の物が手に入る。


そうなると出不精に拍車がかかるのは仕方ない。


「ええ存じています。

確か通りの角に新しく交番?とか言うのが出来たとか…」


だからといって遊女、特に桃姫クラスの女は物知らずではない。


表裏の情報が錯綜する世界で生きるならば、『情報に疎い』それだけで一瞬で潰されるのだから。


「そうそう交番。

あれが俺の警備隊隊長としての最初の仕事と言ってもいいかな?」


「それでは、あまり私達を苛めないようお願いしないといけませんわね?」


遊廓が違法でない世界でとはいえ、あまり司法と性風俗の仲は良くはない。


性風俗はその稼業から、どうしても裏-犯罪組織-と繋がりが深い。


それは人買いからの人員補充、要は借金のカタやさらわれて来た人間を金で買ったりする。


言葉が合っているかはわからないが、奴隷売買のような物だ。


今の漢王朝としては奴隷は表面上は禁止している。


しかし実際は黙認されているのが現実、

だが名目としてでも禁止されている事をやっている以上、性風俗が司法と相容れないのは当然と言えば当然だ。


「くっくっくっ…俺は無理な歪みさえ作らなきゃ、わざわざ自分からちょっかいかけるつもりはない。

だが、既得権益を守ろうと刃向かってくるなら…」


桃姫が注いでくれた老酒をグイッと呷ると、


「身の程を思い知ってもらう」


ニヤリと声を荒げるでなく断言する。


それを見て桃姫は、


「ふふふ…肝に銘じますわ…」


艶やかに笑顔を浮かべながら酌をしてくれる。


「ありがとよ。

だが、次の施策にこの店は関係ないだろうな」


「お聞きしても宜しいのかしら?」


「別に桃姫ならいいさ。

お前は俺の女であり、そしてここら界隈の元締めたる店主の懐刀なんだからな」


俺の言葉にも桃姫は変わらぬ笑みを浮かべ続ける。


「店主にも伝えておいてくれな」


それにも構わず、一方的に警備隊による街の-特に店舗に対する-警備の強化案と、警備隊自体の増強案の両方を伝える。


「……って事だ」


一通り語ってまた杯を干す。


「それでしたら…隣の方々には死活問題かもしれませんわね」


俺の杯が干されて一拍置き、桃姫は酌をしながら囁く。


「ああ。あそこは店からのみかじめ料が収入の大半だからな…」


クイッと再度杯を傾け、何気ないような口調で呟き、


「一度大捕り物しないと、腐った部分が取り除けないだろう…」


独白のように後をつげる。


「騒がしくなりますわね…」


少し伏し目がちに呟く桃姫に、


「終わればまた静かになるさ」


杯を卓に置いて軽く口づける。


その後は、何でもない話をしながら大いに老酒を楽しみ、夜も更けた頃-0時少し過ぎ-桃姫の部屋から出て店を後にする。


今日は月が半分出ているとはいえ、この時代の深夜となれば一寸先は闇。


だが、俺の鍛え上げられた暗視からすれば、この程度の明かりがあれば問題なく見渡せる。


そしてそれ以上に鋭敏な感覚が俺へと向けられた微かな殺気を感じ取る。


今俺がいるのは店から出て城へと至る小道、とはいえ治安の良い一画だけに家と家の間隔はある程度離れていてゴミゴミとした印象はない。


(桃姫の所の刺客…ではなさそうだな)


俺は思案の間も歩き続け、前述の交番に立ち寄ると中にいた警備兵を軽く労い-凄い恐縮していた-そのまま何事もないように外に出る。


そして交番からある程度離れた所で立ち止まり、


「今日は気持ち良く呑んだ後なんだ。

遠慮してくれないか?」


纏わりつく微弱な殺気に向けて声をかける。


「…………」


そのまま立ち止まって何秒たったか。


スッ…


俺が視線を送っていた路地から、黒ずくめの男?が現れた。


「退く気は?」


一応聞くが、刺客は無言で大振りの小剣-剣と小剣の中間位の剣-を構える。


刀身が黒く塗り潰してあるが、表面の感じから毒でも塗ってあるんだろう。


「ほんじゃ依頼人は?」


勿論答える可能性があるなんて思ってない、ただの言葉による牽制だ。


刺客は無言で間をつめるが、俺に隙を見いだせないのか一気に襲いかかっては来ない。


「俺を狙うとするなら…華琳の所で一気に出世した俺を妬む奴…」


俺は話し掛けるというよりは独白のように喋り、その間も刺客から視線は外さないよう注意する。


「…今度の施策をしった馬鹿が雇った?

いや、それにしては腕利き過ぎるか…」


ジリジリと刺客は俺の周りをぐるぐると回るが、俺はニヤリと笑いながら相対を続ける。


「…後、可能性があるとすれば…陳グンの爺さん辺りか…」


どんな訓練された刺客だろうと、まさかという問いに対しては瞬間的に反応してしまうものだ。


それに気付くには途方もない鍛錬と才能が必要だが、俺はその両方を備えている。


気配の察知能力だけなら俺の右に出る者は-師匠を含め-いないだろう。


この才能だけは師匠にすら勝てるのだから。


「そうか陳グンの爺さんか…ならばお前にもう用はないな」


刺客はそれでも口を開かないが、俺の言葉に殺気を強める。


「しょうがねぇよな。

あの爺さんは俺が加入する事に最後まで反対していた。

いつかはこうなっていたんだろうさ…」


俺は完全に独白に切り替え、言葉をきると同時に踏み込む!


自然体からの急加速による踏み込みに、刺客は反応する。


右足で踏み込むと同時に胸へと刃が迫るが、半身になった体を傾けて難なく避ける。


相手は毒の刃を使用している事もあり、突きの体勢から無理やり凪払うように追撃!


だが、そんな事をする前に俺は間合いに入っている。


神速と言っていい踏み込みに反応したのは評価出来るが、毒に頼り過ぎて体術は一流止まり。


そんな奴に負ける程鈍っちゃいない。


体を捻ったまま更に踏み込み、捻る力を利用して刺客の手首と肩を極めてから足を払い、地面に押さえつけると同時に肩関節と手首を砕く!


「ぐっ!」


刺客が呻きをあげるが、これ以上生かしておく必要はないので、砕いた肩関節から手を離すと、うつ伏せになって無防備な頸椎に一本拳で打撃を与えて殺す。


こいつは総合力で言えば一流以上だったが、狙った相手が悪すぎた。


「ふ~…終わり」


酔いは覚めてしまった。


それが少し寂しいが-折角の老酒だったんだ-、やる事が出来てしまった。


俺は俺に敵対する者を基本的に許さない。


利用価値があったりで生かしておく事もあるが、今回は刺客まで繰り出して来られてはどうしようもない。


華琳にも最初に会った夜秋蘭を刺客として差し向けられたが、あれは試された部分が大きい-それでも普通許さんが-、だが今回は完全に殺し以外の目的は無いだろう。


ならば敵対者を許す必要はない。


刺客の死体を見聞し、特に証拠や何かが無いことを確認してから死体を担いで一画先の民家へ向かい、扉を一定の間隔と強さで叩く。


すると扉がゆっくり開いて女が顔を出す。


コイツは俺の子飼いの密偵集団の内の1人、女に死体を預けて処理を指示、女は何も言わずに頷くと死体を担いで家に入ると、静かに扉を閉めた。


これで死体の処理は完了。


次は陳グンへの反撃を始める。


だが、俺は命を狙われる程の敵対行動をとられているというのに、陳グンに対する殺意が湧かない自分を自覚している。


何故なら陳グンは清廉潔白にして内政の達人、道義を重んじ、主の意見だろうと間違いがあれば正せる、真の意味での重臣にして忠臣なのだから…。


そして華琳にとっては、幼い頃から仕えてくれた家族と言ってよい程親しい相手。


彼が俺を警戒し、敵対するのは当然なのだ。


俺はどこから来たのかもしれない風来坊、華琳は名門の中でも一流所で将来を切望される才人。


乱世とはいえ俺のような者が華琳の傍にいるのは好ましくないし、内政的にも好ましくないし問題がある。


華琳は最初から俺を危険視する陳グンを宥めていたが、彼の俺への不信の目は消えなかった。


これで俺が軍事のみに関わっていれば、或いは陳グンも手出ししなかったのかもしれない。


しかし俺は警備隊という、内政に近しい司法の一端を担ってしまった。


それは華琳からの設問に答える形が元になっていたとしても、結局は彼が危惧した俺の発言力の強化、内政面への進出に見えたとしても仕方ない。


誰が悪いわけではない。


華琳は部下の力を最大限引き出しただけだし、陳グンは華琳を想い危険要素を排除しようとしただけ、俺は自分の出来る事をやっただけ。


だが、陳グンは俺を殺そうとした、ならば俺は陳グンを殺さねばならない。


(……ままならない物だ)


そんな事を考えながら別の一画にある家の裏口、そこでまた一定の間隔と強さで扉を叩く。


叩き続けると中に人の気配。


そこで叩くのをやめれば、さっきと同様に扉が静かに開く。


今度出て来たのは男、当然こいつも俺の子飼いの密偵だ。


「陳グンの居場所は?」


俺が陳グンの居場所を聞けば、


「本日は自らの邸宅にお帰りになっています」


抑揚のない声で答える。


「わかった。ご苦労」


軽い労いの言葉をかけて立ち去る。


背後で静かに扉が閉まる気配がするが、振り向きもせず俺はそのまま陳グンの館に向かう。


-陳グンの邸宅


その邸宅は簡素な塀で周囲を囲っただけの大きな館、規模だけなら邸宅とも呼べるが、そこには高級感のある彫り物や、仰々しい警備の兵等はいない。


一般の争い事-物取りや暴漢等-なら追い返せるだけの兵と、固く重そうな樫の木の門扉、例えばクーデター等があれば一発で潰されるような警備なのだ。


(陳グン爺さんらしい自宅と言えばそうか…)


そんな警備だけに俺は難なく館に侵入する。


館内も質素堅実を絵に書いたような内装だ。


そんな館内だけに蝋燭の明かりが灯る部屋は一ヶ所のみ、陳グンの執務室だけだった。


(出来れば館の間取りなんて無駄になればとも思ったが…)


館内部の通路を足音を立てずに静かに進む。


そして扉の近くまで来た所で隠していた気配を現す。


コンコン♪


俺は自分が来た事がバレるのも構わずノックした。


「入るがいい…」


予想通り中から許可が出される。


俺は何の気負いもなくノブを回して中に入る。


そこは竹簡と書類がうずたかく積まれた部屋だった。


机には書類が何個も山になり、床の敷物の上には数え切れない竹簡が山と積まれ、さながら何かの倉庫を連想させる有り様。


そんな部屋で唯一灯された獣脂の蝋燭、その前で一心不乱に書類と格闘するのは、この部屋の主たる陳グンその人だ。


後ろ姿だけだが、頭髪は全て真っ白になり地肌も透けて見え、肩幅も若い時分の何割減なのかほっそりし、書き物をする腕は枯れ木のように細い。


だが、その背中から発せられる気迫は老人のそれではない。


未だ政治の最前線で活躍する者のみが纏う事の出来る気迫が感じられる。


「しばし待っておれ」


こちらを振り向きもせずに命令する陳グンに、だが俺は反抗心を抱く事もなく静かに待つ。


それから数分、陳グンが書類に筆を走らせる音のみが部屋を支配した。


「これでええじゃろう…」


筆を走らせ終え、書面を確認した陳グンが頷きを繰り返す。


「待たせたの」


そしてやっとこちらを振り向いて俺を睨む。


「時間は有限だが、手向けの時間がないほど急ぎでもない」


いつもの俺しか知らない人間が聞いたら、別人かと思われるような淡々とした口調で答える。


「用件は儂の命だな?」


「そうだ」


「儂がおぬしの命を狙ったからか?」


「そうだ」


「ならば仕方ないの…」


フンっとため息を一つつき、陳グンは立ち上がる。


背は俺よりは低いが、老人にしては高い方だろう。


腰も曲がらず矍鑠とした立ち姿は中々立派だ。


「俺はあんたが好きだよ」


軽い口調で話し掛ける。


「儂はおぬしが大嫌いじゃ」


陳グンはさも憎々しいと言いたげに、口元を歪めて吐き捨てる。


「あんたが動かなければ俺も動かなかった」


「おぬしが動かなくても、儂はおぬしの存在を許せなかった」


「お前が今後動かないなら、今回だけは目を瞑ってもいい」


「儂の考えは変わらん。

ここで見逃しても同じ事をする」


「華琳が悲しむぞ」


「あの方は強い…儂がいなくなっても天下を目指して下さろう」


淡々と問答に答えた陳グンが、華琳の話題の時のみ好々爺の顔になる。


「あの方は覇王じゃ、何人もあの方の性質を変える事は出来ん」


俺から視線を外して、城のある方角に顔を向ける。


「俺はあんたの内政の手腕が、これからの華琳に必要だと思っている」


「儂もきさまの能力にだけは敬意を払ってもよいと思っとる」


再度憎々しげな眼差しになりこちらを向く。


「俺を華琳を支える者として見る事は出来ないのか?」


「もし曹操さまと出会わなければ?儂はおぬしを主として選んだやもしれん」


「ならば…」


「しかし儂は曹操さまと出会ってしまった。

そして今やあの方以外を頂く気はない」


完璧なる拒絶の言葉。


「神北よ。

一つの国に太陽は2つあってはならんのじゃ」


諭すように語り掛ける陳グンの瞳は、死への決意のみが映し出されている。


「もしかしたならば、曹操さまときさまとが並び立つ事が出来るのかもしれん」


静かに目を閉じて、もしかするとその想像を瞼の裏に思い描こうとしているのかもしれない。


「儂には見えん。

この老いた頭には、そのような物は夢物語にしか思えんのじゃ」


目を開いてため息混じりに独白する。


「それならば儂が生き残るか、きさまが生き残るかしかあるまい?」


俺から視線を外して、どこか疲れたように結論を語る。


「そして儂は最強の一手をきった。

しかし現れたのはきさまじゃ。

ならば儂の命運はここまでなんじゃろうさ」


どこか寂しそうに語る老人からは、先程までの気迫はなくなっていた。


「儂の考えた施策は全て書き残した。

ならば儂に思い残す事は…一つしかない」


そう言って、初めて俺へ真摯な視線を向ける。


「あの方は強い…しかしそれだけに固い。

固い物は砕けるんじゃ……もう儂にはあの方を支える事は出来ん。

ならば神北殿、あなたに後事を託したい。

身勝手と罵られようともかまわん。

この年寄りの末期の願いを叶えてはくれんか?」


切々と語る陳グン。


先程と話している内容に矛盾が生じるが、先程までは華琳の忠臣としての陳グン、今は幼少より知る華琳に対しての陳グンだと解釈すれば矛盾はない。


「…わかった。元より華琳が華琳である限り裏切るつもりはない。

安心して逝け…」


陳グンの願いを快諾し、懐から10cmはある細い針を取り出す。


「ならば、もう思い残す事はない…」


俺が入ってきた時点…いや、俺がノックした時点で覚悟は出来ていたのだろう、陳グンは目を閉じると体から力を抜く。


俺は苦しまないよう一瞬で背後をとり、脊椎上に針を根元まで刺して即死させる。


細い針を使ったが、完全に痕跡を消すのは難しい。


しかし未来の医学は時間さえあればだが、その僅かな痕跡すら消せるのだ。


俺は師匠から習った鍼灸術の応用により、針の跡を完璧に消して遺体を椅子に座らせる。


あくまで彼は寿命で死んだのだ。


そう偽装出来るように細工を行う。


そして俺は館から難なく脱出し、城の自室に帰り就寝した。


-次の日


朝はいつも通り早く起き、一通りの鍛錬を行っているうちに、城の中が騒がしくなる。


忙しく歩く文官を捕まえて聞けば、


「これは神北将軍。

実は今朝陳グンさまが亡くなったと連絡がありまして…」


内政の達人の突然の死去に動揺を隠せない様子。


「いた~!ここにいたか隼人!」


表面上の付き合いで故人を悼んだ表情をしていたら、何故か春蘭が現れて俺を指差す。


それを見て文官はそそくさと仕事に戻る。


「おはよう春蘭」


ずかずかと近付いて来る春蘭に挨拶したのだが、春蘭は挨拶を返すでなく無言で肩を怒らせる。


「どしたん?」


「華琳さまがお待ちだ!一緒に来い!」


俺の言葉には一切答えず、いきなり手を握るとやはり大股でずかずか先行する。


(何だかな~)


あまりの勢いに、一反もめんのように風に靡きながら愚痴る。


-華琳の執務室


バカ~ン!


執務室の扉が勢いよく開かれて、満面の笑みを浮かべた春蘭が、俺を引きずって中に入ると、


「華琳さま♪隼人の奴を引っ立てて参りました♪」


さらにとろけるような笑顔で報告する。


報告された華琳は…、


「…御苦労だったわね春蘭。

でも、私は隼人を連れてくるようにしか頼まなかった筈だけれど?」


あ、ちょっと怒ってる。


「はい!ですからこうやって引っ立てて参りました♪」


春蘭…話聞けよ…。


そして獲物よろしく俺を突き出すな。


「よ!おはよう華琳」


別にダメージないから挨拶位するけどさ。


「まあ…いいわ…」


いや、よくないと思うな。


だって君、こめかみ押さえてるじゃん。


「春蘭御苦労さま。

少し隼人と話があるから外してくれるかしら」


改めて労いの言葉をかけてから、内々の話なんだろう、春蘭すら人払いする。


「かしこまりました。

ですが華琳さま、このような野獣と2人だけでは危険です。

縄か鎖で縛っておきましょうか?

それとも腕の一本位…」


「不穏な事言って柄に手をかけんな馬鹿!」


実際に腰の物に手をかけた春蘭に危険を感じ、全力で春蘭の手から脱出する。


「な・ん・だ・と~!誰が馬鹿だ誰が!」


怒鳴ると同時に七星餓狼を抜き放つ。


めったやたらに振り回してくるが、室内で動きが制限されるとはいえ、攻撃せずに防御だけなら何とかなる。


「そうやってすぐに…」


首をなぎにきた刃をしゃがんで避け、


「力に訴えるのが…」


振り抜いた姿勢から、そのままショルダータックルして来るのを、受け流すようにして立ち位置を入れ替え、


「馬鹿って言うんだよ!」


思い切り怒鳴り返す。


立ち位置を入れ替えた事で、ショルダータックルがすかされて蹈鞴をふむが、すぐに体勢を持ち直し振り向く春蘭。


その顔は真っ赤に染まり、


「きっさま~!

そこに直れ!叩き斬ってやる!!」


先程に倍する怒鳴り声を発して、七星餓狼を構え直す。


「そう簡単に斬られてたまるか!」


俺だって負けずに構えるが、


「……やめなさい…」


そこで華琳がボソリと呟く。


呟きは俺達と比べれば、聞き逃してもおかしくない程小さい声だというに、その威力たるや、


「「はい!」」


俺も春蘭も、先程までのヒートアップが嘘のように直立不動。


「春蘭…私は隼人に話があるわ…席を外しなさい…」


言ってる内容は先程と同じなのにこの迫力、かなり怒ってるな。


「は、はい!では私は秋蘭の所に!」


春蘭は敬礼すると、ロボットのように左右の手足が一緒に動いて退室する。


「……華琳?」


それを見届けてから遠慮がちに問いかける。


「何よ?」


表情は変わらず笑顔だが、目が怖いままだし迫力も増したままだ。


「いつもなら…いつものお前なら、あの位であんなに怒らんだろ?」


「あなたに何が!……いえ、そうね…」


俺の言葉にかっとした華琳だが、最後まで言い切る事なく自制を取り戻す。


「あなたの言う通りかもしれないわね。

少し余裕がなくなっていたわ、ありがとう」


まだ影響があるのか若干早口だけれど、一応雰囲気が和らいだので一安心。


「では、本題に入りましょう…」


そう言って執務机から一枚の『紙』の書類を取り出す。


「今朝方陳グンが亡くなったのは知ってるわね?」


「ああ」


「内政を動かしていた彼の欠員は痛手よ。

早急に内政面での人員補給、効率的な人員配置が必要だわ」


淡々と事務的に話す華琳、だが俺には微かながらも悲しみが見て取れる。


「だろうな」


しかし俺はそれに対して今出来る事がない。


もう少し落ち着くのを…せめて夜までは待つべきだろう。


「結論から言えば、あなたに警備隊の全権を委譲します」


予想通りと言えば予想通り。


陳グンの横槍で停滞していた警備隊の権限を、この機会に全て俺に渡す事で責任の所在と、内政面への俺の影響力を増す気だろう。


「いいのか?陳グンが亡くなったこんな時期に…」


別に陳グンだけが敵対-もしくは俺を快く思っていない-勢力ではない。


特に内政面を司る文官は、ぽっと出であり新たな施策を行おうとする俺を、憎らしく思っている者は多い。


「そんな事で潰れるあなたじゃないでしょうに」


クスリと笑顔を見せる華琳、こういった時の表情は可愛いんだがな。


「俺が言いたいのはそういう事じゃないのはわかるだろ?」


「ええ、しかしそれでも断行するわ。

あなたも私の言葉を忘れてるんじゃないかしら?

私は一刻も早く、内政面の人員配置をしなければいけないのよ。

悠長にあなたの能力を認めさせる時間などないの」


まあ話はわかるんだ。


陳グンがいた時なら、陳グンに認めさせる為に時間を使っても、その間当の陳グンが内政面をしっかり回してくれたが、彼が亡くなった今の状況では同じようにはいかない。


「まあ…仕方ないか。

華琳にそこまで買って貰ってるなら、それなりの仕事しなきゃな」


華琳の言う通り、抵抗勢力がいた所で、俺は俺のやるべき事をやるだけだし。


実力行使してくるなら…不幸な事故にあってもらうだけ。


「ならばこの辞令により、あなたは警備隊隊長兼、市街整備担当官よ」


先程の紙を差し出す。


「市街整備担当官ね」


内容を一瞥するが、細かい内容まではわからない。


「細かい権限は部署に行って確認なさい。

そして、本日中に着任と簡単な総括をを書面にて提出しなさい」


「了解」


話は終わったと、また執務机に向かう華琳を置いて、書類に書かれた部署に向かう。


-夜


部署にて竹簡を確認した結果、一言で言えば市街整備担当官は、街の建設的な問題を一手に仕切る部署であり、警備隊との連携等兼任するのにもってこいの仕事だ。


そしてやろうと思えば、私腹を肥やすのにこんなに便利な権力もない。


元々の予算が破格な上に、建物の入居者を選別するのもこの部署。


例えば、一等地を買い取り建物を建て直そうとしたくとも、この部署が一度駄目だと言ったら、どんな金があろうと建て直しは出来ない。


賄賂を貰おうとしたら、際限なく搾り取れる、そんな部署だった。


これはかなり清廉な人間か、金に興味のない者、更に華琳の信頼の置ける者にしか務まらない。


前任が陳グンなのも納得だ。


そして陳グンが前任者であった事に感謝したい。


文官の教育が行き届いており、後任がまず確認しておかなければいけない事がしっかり纏められていたのだ。


文官達は俺を快く思ってはいないようだが、仕事に関しては文句のつけ所の少ない仕事ぶり。


1日でとりあえずの把握が終わらせるのは、普通ならば難しいだけの情報量が、陳グンのおかげで半日に短縮された。


そして残った時間で華琳に提出する書類を纏め、今俺は華琳の執務室の前に帰ってきた。


コンコン…


「入りなさい」


ノックと同時に許可がでた。


執務室の中に入れば、今朝別れた時とほぼ同じ姿勢で机に向かう華琳が1人。


「纏めた書類を提出に来たんだが?」


「見せなさい」


見せなさいと言いながらも手は相も変わらず動き続けるんで、仕方なしに自分で竹簡を広げて華琳の視界の隅に広げる。


「……問題はなさそうね…」


「陳グンのおかげの部分が大半だがな」


淀みなく手を動かす華琳だが、陳グンの名前を出した時に一瞬だけ視線が泳ぐ。


「これからが大変だっていうのに…陳爺も嫌な時に逝ったもんだわ」


だが一瞬後にはほろ苦い笑みを浮かべて、ポツリと呟き仕事に戻る。


「…陳グンの所には行ったんだろ?」


そこで話は終わりとばかりに俺を意識の外におく華琳に話し掛ける。


「……ええ…長年の奉公を労って、紙の本と俸禄を与えてきたわ」


「本か、陳グン爺さんには似合いの出向けだわな」


一応答えを返してくれたので話を継ぎ、執務机の前から移動して壁に体を預ける。


「………華琳…重要な話がある…」


このタイミングしかないだろう事は間違いないので華琳に静かに告げる。


「……私は仕事中よ?」


「その仕事より重要だと思うから話を振ったのさ」


「………」


部屋には静かな沈黙と華琳の筆を走らせる音、そして思い出したように発せられる蜜蝋の燃える音が横たわる。


「………」


「………」


そのままどの位の時間が経ったのか…1分?10分?いや、何秒なのかもしれない。


「………出来たわ」


沈黙を破ったのは華琳だった。


書き終えた竹簡に目を走らせて確認すると、墨を乾かす為だろう、広げたまま傍らに積んである竹簡の山にそっと置く。


「それで?重要な話を聞かせてもらえるかしら?」


挑むように視線を向けてくる華琳…その瞳を見て確信するが、それに対しては何も言わずに俺は話始める。


「陳グンの事だ」


俺が答えれば華琳の瞳は薄く細められる。


「続けなさい」


そして表情を消して先を促される。


「昨夜淫桃屋の帰り道に襲撃を受けた。

人数は1人、かなりの手練れだったが撃退して処理済みだ。

そして襲撃者の依頼人は陳グンだった…」


俺は静かに話を始める。


「これは昨日陳グンに直接聞いたから間違いない。

命を狙われた、だから陳グンは俺の手で殺した」


淡々と感情を交えず事実のみを説明、華琳も無表情に話を聞いていたが、流石に陳グンを殺したと言った時には肩がピクリと反応する。


「どうする華琳?俺を罰するか?」


そんな反応を見ながらも、構わずに華琳に問い掛ける。


俺を罰-処刑-するか?と…


「………ふぅ…」


華琳は疲れたようにため息を吐き、顔の前で掌を組み表情を隠す。


「…仕掛けたのは陳グンなのね?」


「本人から聞いたからな」


「あなたを疑うわけではないわ。

ただ確認したかっただけよ」


「ああわかっている…」


俺が誤魔化す理由がない事を華琳はわかっているんだから。


「……罪には問わないわ。

仕掛けたのが陳グンからな以上、あなたは自分の身を守るために動いたのだから…」


公平な裁きを下す華琳だが、やはり表情は手で隠されて見えない。


「……陳爺は何か言い残したかしら?」


こんな時でも覇王たる華琳の気配は揺るがない。


「陳グンはお前の覇道は誰にも変えられない。

俺が華琳の隣にいる未来を想像出来ないと、そしてこうなっては自分がいなくなっても大丈夫なように用意したと言っていたよ」


「…そう…」


掠れるような声ながらも、華琳はハッキリと聞こえる声で答える。


「そして…家臣としての陳グンではなく、華琳を古くから知る陳爺としては…」


事実をありのまま話すだけなのに、俺は少し言い淀んでしまう。


しかし陳グンの末期の言葉を伝えるのも、命を絶った俺の責任だろうさ。


「…俺にお前を支えてくれと。

思い残しはそれだけだと言っていたよ」


「……っ!…」


ギリッと音が聞こえそうな程華琳の気配が固くなる。


「陳グンは最後まで忠臣であり、お前の理解者だったんだろうな…」


最後に自分の感想を交えて締めくくる。


「理解者…ならば何故!あなたを狙わなければ……!」


俺の意見に噛みつくように立ち上がり顔を上げた華琳、その瞳には涙が盛り上がっていた。


「華琳にもわかっているんだろう?

俺が危険分子であり、陳グンは可能性とはいえそれを看過出来なかったって…」


俺は華琳の涙に濡れる瞳を正面から受け止め、何でもない事のように淡々と指摘する。


「わかっているわ!それでも……!」


激情に突き動かされる華琳、その姿は覇王ではなく珍しく年相応に見えた。


「…華琳に聞きたい事が増えたな…」


そんな姿を見たら聞かずにはいられない。


「華琳、お前が陳グンを手に掛けた俺を見るのが辛いなら…俺は消える事も出来るぞ?

お前が俺を馘首にすれば、俺がここにいる理由は…」


「ふざけないで!」


俺が訥々と語る言葉を遮り華琳が吠える!


「あなたは陳爺から後を託されたんでしょう!

ならばあなたは私の下で我が覇業を共に歩む責任があるのよ!!」


そこに居たのは涙を流す美少女な筈なのに、吠える華琳の瞳は、纏うオーラは既に覇王のそれに戻っている。


「陳爺は私の政務の片腕だったのよ!

その大切な人材を失い!更にあなたまで失う等看過出来るわけないじゃない!!」


ここで『あなたを失いたくない♪』とか言われたらグラッと来るのにな。


だが、


「華琳がそう言うのならば、俺は君の下にいよう。

陳グンとの約束であり、君との元々の約束でもあるからな」


華琳はこうじゃなきゃ♪


「……興奮し過ぎてしまったわ…」


返答を聞いて冷静になったのか、涙を隠すように顔を背ける華琳。


(やべー可愛い!)


そんな華琳の姿は可憐で纏う雰囲気とのギャップに心ときめく。


「…明日からも仕事は満載よ。

私も今日は春蘭と寝る事にするわ、だからあなたも休みなさい」


顔を背けたまま退室を促されて、実はかなり後ろ髪引かれたんだが、


「ああ…おやすみ華琳」


素直に退室する。


扉を閉めた時に押し殺した嗚咽を聞いた気がしたが、彼女の名誉の為にも気のせいとしておこう。


-夜・城壁の上


俺は淫桃屋から譲って貰った老酒を傾けながら月を眺める。


「見送りは高い所からだよな…」


霊界やら死後の世界なんて物には興味はない。


だが、故人-自分が手に掛けたとしても-を悼む気持ちまで否定する程腐ってはいない。


「陳グンよ…お前の言う通り華琳は覇王だよ……そしてお前の願い通り覇道を歩むだろうさ…」


杯に手酌で老酒を注ぎ、その杯を月に向かって掲げて呟く。


「願わくば華琳が変質せぬ事を…俺が華琳と敵対せぬ事を…そこから祈っていてくれ!」


呟いた後一気に杯を呷り、


パリーン!


そのまま空の杯を地面に叩き付け割る。


そして俺は城壁から身を翻して夜の闇に帰る。


静かに…そこが自分の居場所だと言うように…

多分今の所、自分の中での最高傑作だと思ってます。

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