第五章
現時刻11時半過ぎ…ほんの一時間半前まで騒がしかった館も今ではしんと静まり返っていた。その中で蓮華はライエム卿の部屋に向かう。館の一番奥に設置された部屋の前に立つと蓮華はその扉に手をついた。
――――バンッ
勢い良く開け放った扉の向こうには震えているライエム卿とその妻、そしてまだ幼い息子がいた。ガードマンはいない。当たり前だ、全員死んだのだから。蓮華は中に足を踏み入れる。途端、ビクンと肩を震わせる面々に蓮華は立ち止まった。
「こんばんは、ライエム卿、ご夫人、そしてお坊ちゃん。夜分遅くにすみませんね?」
蓮華は返り血を被った顔でにっこりと笑う。その表情さえ今は恐ろしく見えた。
「き、貴様、何が望みだ!?何が欲しい!?金か!?金が望みかッ!?」
この聞き飽きたありきたりの台詞。今までに何人もの人が泣き叫んで言った。
「私の望み?私の欲しいもの?あなたの命、ただそれだけ。ま、私からしたらどうでもいいんですけど、依頼、ですので」
「な、ならこうでどうだ!?その依頼者の2倍…い、いや10倍は出そう!!」
この台詞も聞き飽きた。蓮華は静かに鞘に手をやる。
「申し訳ありませんけど、できませんね。私にとって今夜の仕事はこの一つだけ」
「な。なら好きなだけやる!!だからせめて妻と息子だけでも助けてくれ!!頼む!!」
「悪いんだけど」
口調がガラリと変わった。鞘から氷桜龍を抜き出して切っ先をライエム卿に向ける。ざっと青ざめるライエム卿と大事そうに息子を包み込む妻と泣いている息子が目に映る。
「こっちはあんた達と違って暇じゃないんだよ。あんた達を殺した後、次は研究者達を殺しに行かないといけないんだから」
「な、何だとッ!?」
ライエム卿の表情が恐怖から一変して怒気に変わった。それまでして守りたい研究。だが蓮華が刀をズイッと差し出すとまたしても恐怖がライエム卿を支配した。
「ところで…一つ聞きたいのだがこいつは誰だ?」
蓮華はポシェットからあの少年の写真を取り出した。その瞬間、ライエム卿の眼が大きく見開き、慌てた口調で叫んだ。
「な、何故貴様がそいつのことをッ!?い、いや、そんなことよりも依頼主は誰だ!!誰なんだ!?」
「…今の状況が分かって言ってるの?お前が私にそんな口を聞ける立場であると思うのか?それに質問しているのはこちらだ。もう一度だけチャンスをやる。こいつは誰だ!」
少し声を荒げて言う蓮華にライエム卿はぐっと言葉を飲み込んでしまった。そして少しの間を開けて決意したように口を開いた。
「言えん」
決意に満ちたライエム卿の眼をじっと見つめ、蓮華は目を軽く閉じた。そして、殺しの眼となって開かれた。
「そうか。ではもう貴様に用はない。…死ね」
突きつけていた刀を一旦引くと一気に斬りかかった。蓮華の攻撃をなすすべもなく受けたライエム卿はそのまま息絶えた。彼の死を目の前で感じた妻と息子は泣き叫んで近付いてくる。それを容赦なく斬って蓮華は刀を一振りして血を払う。振り返れば寄り添うように静かにそこにいる三人の家族がある。蓮華はそっと部屋を出た。
(さて、と…ここにこいつがいないとなると、研究室か)
蓮華は研究室に向かって歩き出す。研究室はこの館の地下に作られている。血の匂いが広がる部屋を抜けて最奥にある地下への入り口に着いた。そして地下の入り口にいたガードマンを殺して蓮華はカードを奪った。カードを通すと機械で出来た扉は認証して扉を開く。扉の影に隠れて中野様子を窺う。
「…これは…ッ」
蓮華の目の前には白衣を着た男女の研究員、そして5・6歳の小さな子どもも研究者くらい、いやそれ以上の数がいた。
「なんでこんなところに子どもが…」
蓮華は戸惑った。立場上、蓮華は“全滅”の命令が下っている。ということは研究者はもちろんのこと、こんな小さな子どもも殺さなくてはいけない。戸惑っていた蓮華だったがやがてそっと目を閉じた。
(私には関係ないか…今までだって殺してきた)
ぎゅっと氷桜龍を握り締めるとばっと飛び出した。
「だ、誰だ!?」
突然の蓮華の出現に慌てる研究員。だが、蓮華は答えない。無言のまま斬りかかった。赤い血が白い白衣を染めて研究室を一気に彩った。思ったとおり研究者は抵抗という抵抗はしない。逃げようと必死だ。研究者は叫んで、子どもは泣いている。蓮華はネズミ一匹すら逃がさないように全員を殺していく。そして500名くらい研究員は15分で絶命した。しかし蓮華は一つ疑問を抱いていた。
「おかしい…あいつがいない?」
ターゲットである写真の少年が殺した研究者の中にも、子どもの中にもいなかった。もう一度殺した奴らの顔を覗いて確認するがやはりいなかった。
「全員殺しているのに。依頼者が間違えた?…いや、それならライエムのあの慌てようは…」
疑問が晴れない。誰かが逃げ出した形跡もない。もちろん上にいる可能性も少ない。いるとしたらこの研究室だけだ。思考をめぐらしていると何かが蓮華の髪を撫ぜた。
「…風?」
振り返った蓮華は微風を受けた。風の吹く方向に歩いていくと頑丈な扉があった。風はその扉の下からもれて出ている。蓮華は奪ったカードを使って扉を開ける。そして蓮華は驚いた。
「…なんだよ、これ」
扉を開けたその先にはまたしても頑丈な扉があった。蓮華がその扉を開くとまたしても扉が現れて…そんな動作を10回程繰り返し、ようやく最後の扉へと着いた。最後の扉にはカードではなく南京錠で閉められていた。しかし、当たり前だが蓮華は鍵を持ってなどいない。
「…フン、小ざかしい!」
蓮華は氷桜龍を鞘に収めて短パンにつけていた小型銃を取り出した。銃口を南京錠に向けて発砲した。
――――バンッバンッバンッ!!!
3発の銃弾が南京錠に向かって放たれ、南京錠は見事に壊れた。蓮華は思いっきり扉を蹴り破った。
――――バンッ!!!
扉は綺麗に吹っ飛んだ。そしてその部屋の中には一人の生存者がいた。初対面だが蓮華は何度もその顔を見た。
「…見つけた」
「お前、誰?」
彼は、写真の少年は蓮華を見て首をかしげた。蓮華はゆっくり中へ入っていく。
「…蓮華、神崎蓮華だ」
「へぇ~、蓮華って言うんだ…いい名前だな。新しい研究員?それにしちゃ服装違うし…その顔についている赤いの何?」
「…私は研究者じゃない、殺し屋だ。私がここにいるのは依頼を受けて殺しに来ただけのこと。この赤いの何かだと?そこらに転がっている研究者達の返り血だ。今、この館で生きているのは私とお前の二人だけ」
少年は驚いて目を丸くしたが、すぐに元に戻った。
「ふぅん、そんな仕事してんだ。で、何でここにいんの?ここ俺しかいないのに。ライエム卿なら上にいるよ?」
「知ってる。ここに来る前に殺したし」
「じゃあなんでここに?」
ほわんとした少年に蓮華は冷酷にいい放つ。
「私の今回のターゲットはライエム卿ではなくお前だ。つまりお前を殺せば私の仕事は完遂させる」
蓮華はすっと少年に銃口を向ける。銃口を向けられた少年はこれまた驚いたように目を見張ったが、またほわんとした笑み蓮華に向ける。
「そっか。そうなんだ」
少年は笑って蓮華を見ていた。笑うというよりは微笑んでいたの方が正しいのかもしれない。ただ穏やかな顔がそこにあった。少年のそんな笑みに蓮華は驚きを隠せなかった。蓮華が相手にしてきたターゲットは死ぬ直前、泣いて情けを請うか、ただひたすらに怯えているかのどちらかだ。だが、この少年は笑っているのだ。それも恐怖で壊れた笑みではなく死を受け入れた笑みを。
「お前、私の言っていることが分かっているのか…お前、今から死ぬんだぞ…」
「みたいだね」
「私はお前を殺すんだぞ…死んでこの世からいなくなるんだぞ」
「あのな…いくら俺が馬鹿でもそれくらい分かるよ。失礼な奴だな」
少しむっとした少年は蓮華に言う。しかし蓮華はそんな少年の言葉を聞いているのか、いないのか、更に声を荒げた。
「ではなぜ笑っていられる…!?死が怖くないのか…ッ」
「死ぬのはそりゃ怖いよ。でも泣いて叫んだら見逃してくれる?それともそうして欲しいの?」
「そういうわけじゃ…」
蓮華の声が下がる。少年はにっと笑って蓮華を見る。
「だろ?じゃあ、死ぬときくらい笑っていたいじゃん!」
蓮華の思考は一時停止した。こんな奴は初めてだ。
「あ、そうだ!」
突然声を上げた少年に蓮華はガラにもなく驚いてしまった。が、少年は気にしてなく満面の笑顔で蓮華に言った。
「…何?」
「光輝。浪風光輝 って言うんだ、俺の名前」
「…なんで、こんなときに自己紹介してんのよ」
「だって、俺が蓮華を知ってて蓮華が俺を知らないっておかしくない?俺長い間ずっとここいるから俺と同じくらいの奴って会ったことねぇんだよな…蓮華が初めてだったんだ」
嬉しそうに笑って蓮華を見る。蓮華は無意識に銃を下ろしてしまっていた。そしてこの光輝と名乗る少年の話を聞き入ってしまっていた。
「蓮華が今から俺を殺す殺し屋だろうとそんなの関係ない。嬉しかったんだ。だから殺されても名前ぐらい言っておかねぇと成仏しようにも出来ないじゃん?」
蓮華は一言も言えないままずっと光輝を見ていた。光輝の笑みは嘘を語っておらず本当にただ純粋に喜んでいた。
「ただ…」
急に光輝の笑顔に影がかかった。蓮華はどうしたことかと光輝の言葉を待った。
「ただ…願いを叶えてくれるなら、外に出たかったかな」
「………」
「ほら、俺、さっき言ったとおりずっとここにいるじゃん?最後の外の景色って2歳だったかな?だから記憶もあやふやで。だから外に、外の世界を見たかったな」
外の世界に憧れている光輝は天井を通り越して外を見るように目を細めていた。蓮華はゆっくり瞼を閉じてそしてそっと開いた。下ろしていた銃口を再び光輝へ向ける。
「そうか。聞いてやりたいが残念ながら時間だ。悪いがここで死んでもらう」
「だよね。それが蓮華の仕事だもん。いいよ、名前も伝えたし、もう心残りはねぇからさ」
「そう……それじゃ」
――――カチャ…
引き金に指をかける。焦点を光輝の頭に合わせた。
「さようなら」
――――バンッ!!
蓮華は引き金を引いた。銃弾は光輝に向かって放たれた。長い長い一夜はこうして幕を閉じた。
長かった第五章でしたがようやく準主人公登場です!!
と思ったらいきなり死亡!?というなんともいえない話でした。
次話でどうなるか、楽しみにしてください!