トラック9
トラック9
私は俗に言う底辺大学に入った。
そりゃそうだ。
元から大して頭もよくないくせに、ろくに勉強もしていなかったから当然だ。
美咲とのことがあったし、その上に伊織との贖罪デートもあったからね。
滑り止めだったはずの大学は全部落ちたし、本命の受験日そのものをぶっ飛ばしたりもした。
マジで散々な結果だった。
それでも父さんは『大卒の資格は持っとき』と謎のコネクションがある大学に私を裏口から叩き込んだ。
行き過ぎた親バカだと娘の私でさえ思うけど、それを断るほど真面目に生きてきた訳でもない。
一人娘らしく堂々と甘えることにした。
勿論、遠くの大学に行くわけじゃないから今の家からでも全然通える。
だから父さんと二人暮らしでも特に問題はなかった。
けど、私は何というか……諸々合って変化を欲していたから、ダメもとでこの家を出てみたいって言った。
父さんにはきっと何もかもお見通しだったんだろう。
『確かに社会っちゅーもんを知るのも、お前にとってはええ体験やな』
って、あっさりと家を出ることを認めてくれた。
認めてくれたんだけど、
『社会勉強の一環なんやから支援はせえへん。人生でいっぺんくらい、自分の力だけで生き延びてみいや~』
と言われてしまった。
家具、家電、家賃、光熱費、仕送り、その他諸々は当たり前に支援して貰えるだろうと思ってたから普通に泣いた。
その結果、私は思い描いていた理想とかなり違うワンルームの牢屋を手に入れた。
マジで古いし埃っぽいし狭いし終わってる。
スウェーデンだかノルウェーだかの刑務所の方が、よっぽど人間味ある生活送れるんじゃないか?
最低最悪のマイハウスを手に入れたところで、何故か時期を重ねるようにして、空き部屋だった隣に誰かが引っ越してきた。
おいおい、なんでこんな古めかしい……いや、クソボロいアパートに私以外の新規入居者が?
女の私が言うのもなんだけど、絶対ヤバいよここ。
見るからにセキュリティー低いし。
それに、確か……その部屋は事故物件だったでしょ。
『こっちの部屋だったら半額なんすけどね笑笑』
って、ゲラゲラ笑ってた不動産屋の顔を私は一生忘れない。
深夜壁ドンしてきたらマジで三百六十五日念仏唱えて幽霊共々発狂させてやるからな!
私は最底辺の大学に通いつつ、一人でも生きていける方法を模索し始めた。
だから履修登録もしっかりとしたし、授業も毎回吹っ飛ばすことなく出席してるし、バイトだってちゃんと始めた。
正直に言うと一人ぼっちの生活は初めてだから、滅茶苦茶不安だしマジで心細かった。
それでも、もう……私の隣には誰もいない。
一生隣に居て欲しかった美咲はもういない。
どれだけ後悔しようとも、どれだけ懺悔しようとも、ぶっ壊したものはもう元には戻らない。
それも私自身の手で叩き壊したから、誰かが救いの手を差し伸べてくれるなんてことはない。
だから、ふっと息絶えるまでは、だれも隣に置かず一人で生きていくしかないんだ。
そんな風に落ち込んでいた日の深夜、インターフォンが押された。
ピンポーンの『ピ』が聞えた辺りで私はもう覚醒していて、勢いよく布団から飛び起きていた。
常識無さすぎだろ。
いや待て、常識備えてる奴は深夜に一人暮らしの女の家のインターフォンなんか鳴らさないよね?
また美咲の同類の登場か?
勘弁してよ。あーもう……だ、か、ら、居留守だっつーの!
息を潜めてるんだから空気読んで察して帰ってよ。
がちゃがちゃ。どんどん。
いやいや、マジで怖いけど?
私の幼気な女の子の部分が出ちゃって、
『いい加減にしろよ! 次やったら分かってんだろうな!』
って怒鳴ってた。
落ち着けー……私は女子高生殺人未遂犯(仮)の女子大生だ。
襲われることは初めてでも襲うことには一家言ある。
不法侵入者に屈してしまうような、柔な罪は犯していない。
なんか武器になりそうなもんあったかなぁ。がさごそ。
んー……手に馴染むものは置いてきちゃったんだよね。
はぁ、ホント私って世間知らずなのかも、こういう事態を想定して持ってくるべきだった。
ないものねだりしても意味ないし、何か他に使えそうな道具はー……やっぱりありきたりだけど包丁?
うちにあるの百円ショップのだけど、いけそ?
つーかこれって骨断てる?
まぁ、とりあえず刺せればいいか。
さて、と。
相手が一人だったら道連れにしてやる。
複数人だったら?
決まってる。やっぱり何人かは道連れ確定だ。
音が止んだ。
ふぅー……諦めたか。
『お隣さんが酔っ払って帰ってきたから、うっかり部屋を間違えたのでしょう』
って自分に言い聞かせた。
白状するとチビりかけた。マジで尊厳失いかけた。
握りしめた包丁の柄が軋んでいた。
深呼吸をする。
繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返す。
兎に角、身体を平時に戻そうと必死だった。
ダメだ。全然戻らない。
全身の血管ブチぎれそうなくらいイライラする。
クソ、あれから何分経った?
時間の感覚がおかしくなってる。
次いでに指もおかしくなってる。
五本の指全部が包丁の柄に接着剤でガッチリくっつけられて、その上からビニールテープでグルグル巻きにされてるって感じだった。
仕方ないから、包丁に張り付いた右手を左手で無理矢理剥がすことにした。
ヤバ、ウケる。
マジ取れんわ。
あーあー、ほんっと最悪。
明日早いのに。寝れるかなこれ。
アドレナリンだっけ?
あれがドバドバ出てるんじゃないか、マジで。
完全に意識が覚醒しちゃってるんだけど。
取り敢えず、何とかして包丁を手放して布団入らなきゃね。
そしたら疲れがどっと来て、案外寝られるかもしれないしさ。
かしゃん。
は……?
鍵開いちゃったけど?
なんで?
ここ私の家ですけど?
流石の私も一難去って『めでたしめでたし』だと思っちゃってた。
何より、いくらボロアパートとはいえ、そんなスムーズにピッキングされるとは思わなくて……フリーズした。
アホヅラ晒してる間にドアが開いて、何かがすっと入ってきた。
そんで、その何かはゆっくりと音も立てずにドアを閉めた。
包丁を握る手は更に力を増した。
柄がまた軋んだ気がした。
そうして真っ暗の中、下手人と対峙することとなった。
ガチャン。
鍵が閉まった。
中に入ってきたのは一人だけ。
外に仲間がいるかどうかは分からない。
会話らしい会話は聞えなかったけど、正直かなり取り乱してたし、耳が正常に機能していた保証はない。
なるほど。
正真正銘マジでヤバイってことか。
ここから逃がす気はないって意思表示だろ?
玄関のカギ閉めたってことはさ。
クソ、住む部屋一階にしとけば窓から逃げられた……とは言え、ボロアパートの二階ってそんなに高さがあるわけじゃない。
ずるっと落っこちたって骨折るかどうかってとこだ。
ならベランダから飛び降りるか?
いや、背を向けるのはマズい。
私の悪魔がそれは駄目だと告げている。
つくづくムカつくよ、お前の存在が。
私に美咲を傷つけさせるくせに、こういう時に限っては私の味方をする。
目が少し慣れてきた。
肉付きとか、髪の長さとか、そういうシルエットで分かる情報を繋げていくと
『こいつ女だな』
って思った。
だけど女にしては上背がある。私より断然高い。
そうなると女装の線も捨てきれない。
まぁ……どっちだろうが関係ない話なんだけどね。
女だろうが男だろうが、私を害するものは等しく殺すに決まってんだろうが。
静寂。
互いの呼吸が、僅かな服の衣擦れが、小さく空間に響くだけ。
こいつは不法侵入慣れてんのか?
さっきからやけに冷静過ぎない?
まさか……我慢比べ?
勘弁してよ。時代劇の殺陣じゃないんだからさ。
達人同士の駆け引きなんて今の私に出来るわけないでしょ?
父さんにボコられてばっかの日々が、懐かしいとさえ感じてるんだから。
他にも腑に落ちないところがあった。
私の獲物は五寸だか六寸くらいの包丁だ。短刀だってもう少しは長い。
この道具は頼りないけど無いよりはいいってだけのものだ。
でも、対敵は私より戦場を舐め腐ってる。
コイツは無手だった。
マジで何がしたいんだ……?
道具は間合いの長さを決定する。
間合いの長さは戦場において己を有利にする。
それなのに、だ。
自ら侵入してきたくせに、その手には道具が無い。
まさか……私が無抵抗で触れられ、犯され、殺されてくれるとでも思っているのか?
まあ、いい。
分からないことは考えても意味がない。
私は包丁を右手に握っている。対敵は少なくとも今は何も持っていない。
それが全て。
仮に対敵が道具を持っていないなら、私が生き残る確率が上がるだけ。
ただ、それだけ。
ん? それはそれで不味いのか……?
無手の相手を斬って捨てれば、私は今度こそ殺人犯かもしれない。
正当防衛が成立しなかったら世間的にはお終いってヤツだ。
……くっは、あっはは、狂ってるでしょ。
勝つつもりでいるよ、私という阿呆は。
あーあ、可笑しくて堪らない。
何故そんな前提でモノを見ているのか。
そういう驕りが流れを断ち切ると知っているのにね。
嗤えるよ、一二三宇多葉。
状況を整理しよう。
対敵は一人。
今のところ無手。道具の有無は不明。
下手人に仲間がいるかもまた、不明。
そして。
今の私にとって、この状況を乗り越えるのに必要なのは……恐らく忌々しい悪魔だろう。
なるほど。
それで戦機が掴めるとは到底思えないが、錆びついた流儀では心許ないのも事実。
それに悪魔に突き動かされている間はそいつの下僕だから、私の中に生まれた迷いや恐怖が肉体に影響を及ぼすことはない。
大丈夫、ちゃんと出来る。
で、あるなら。
左半身を盾とし、右手で包丁を突き刺す。
肉を切らせて骨を断つ。
その一手が生存するための最適解。
それに命を賭ける。
無傷で生き残りたいよ、そりゃ。
でも、それは私の淡い願望に過ぎない。
願望で生き残れるほど、戦場は甘くないんだよ。
待つなど悪手。
先手必勝。
だから、私が先に動いた。
駆け引きを楽しむなんて真似はしない。
この一合で片をつける。
僅かな距離を貪りつくし最高効率で加速をする、が──。
下手人は未だ不動。
居着いたわけではない。
現に、あいまいだった『匂い』は変化し明確な意図を香らせている。
くそ……最悪だ。
見誤った。
こいつは武人だ。
それも私から出る『匂い』を感じ取れる血生臭い武士だ!
なら、何とかして刺し違える。
どうせここで殺されるってんなら、ちゃっかりお前も殺してやる。
接触する──筈だった。
青い軌跡が描かれる。
それは極度の集中が生み出した幻か、或いはただの目の錯覚か。
なんにせよ、私の飛び込むような突きは半身で躱されていた。
もし……流れ落ちる滝を登るように、下から斬り上げていれば流れは掴めたか?
いや、過ぎたことは考えるな。
次の一手を考えろ。
体勢を立て直し、右腕を振るう。
やはり悪魔では『武』足りえない。
錆びつこうとも死合いには流儀が必要不可欠。
間に合え。
散々やってきたはずだろう。
この肉体は今でも覚えているはずだ。
幼い頃から叩き込まれてきた技法を!
人を殺める領域までひたすらに練磨した技を!
これで終わり。
お前はここで死ね。
初伝──
包丁はその素っ首を裂かんと真一文字に迫った。
ばちん。
だけど、届かなかった。
ピンポイントで腕を左拳で打ち抜かれていた。
からんからん。
途轍もない痛みに、思わず包丁を落としてしまった。
それは私の敗北を伝えるゴングだった。
相打ちに持っていくことすら出来ないほど、私は衰えてしまったらしい。
あー嫌だな。これで終わりなのかな。
頼むから痛くしないでよね。辛いから。
あ、でも罰はいるか。現世での罪は現世で償わなきゃね。
程よい痛みでお願いします。
私の願いに反して痛みはやってこなくて、なんなら代わりに抱きしめられていた。
いい匂いがした。
あーダメなんだよね、これ。
極限状態でハイになってた頭が更にハイになっちゃうよ。
てか、胸当たってるよ?
あーいいね。柔らかいね。揉んでいい?
はぁ、もうこれ私も抱き返していいよね?
ダメですかそうですか。じゃあ、代わりに提案なんだけどさ。
私とキスとかどうよ?
なんならもうセックスでもいいよ。
あー……先に謝っとくけど、私の布団煎餅より薄いんだ。
ないよりましだと思うけど……どう、ヤってく?
いやいや、待て待て待て待て。
流石に待てって。
一旦落ち着け、な?
キスとかセックスとかの前におかしいことが沢山あるでしょうが!
私の音立てて弾けた脳みそでは状況が何一つ理解できないけど、おかしいことだけは分かるよ。
後、力強すぎ。私浮いちゃってんだけど。そろそろ降ろしてくんない?
「ただいま、宇多葉」
ばっかじゃねえの。
もう一回言うよ。準備できた?
じゃあいくよ。せーので。
ばっかじゃねえの!
一体、何時、私と、美咲が、同居なんかしてたんだよ!
するわけないだろうが!
ていうかー……なんで私の新居知ってんの?
つーか、もう、なに?
マジでなに……?
大体、私が嬉々として美咲に、
『おかえり、美咲。ご飯にする? お風呂にする? それともセックスにする? セックス以外用意してないけど!』
とか言うと思ってんの?
さっきはいつも通り理性を失いかけたけど、普通にそのツラはトラウマなんですけど?
自業自得だったわ。私が十割悪いじゃん。泣いていい?
泣く前に抱き返しちゃってもいい?
「宇多葉はこんなとこ住んじゃダメだよ。危ない人に襲われたらどうするの?」
だろうね!
頭の螺子全部抜けた女がピッキングして不法侵入して満面の笑顔で家主を抱きつぶしてんだもんね。なんも言い返せないよ私。
美咲はそう言って抱擁を終えた後、私に鍵を渡してきた。
なにこれ。
意味を説明して。
「宇多葉、私と暮らそう。大丈夫、家具も買った。足りないのは宇多葉だけなんだ」
頭抱えていいかな?
いいよね?
これ怖いのが、私に対して提案とか一切ないし、同意した記憶も一切ないんだよね。
あー……これあれですか?
無理矢理犯した意趣返しですか?
責任取れ的な奴ですか?
「しょーがないなぁ……美咲がそこまで言うなら折れてあげる」
悔しいけど……心臓が早鐘打っちゃってんだよね。
諦めきれなかった好きな子と暮らせる嬉しさと、美咲の狂気のせいで。
思考が返事を模索してる間に、口が脊髄反射で承諾しちゃってた。
あんなことしておいてよくもまあ飽きもせず欲求のまま行動するよね、お前。
仕方ないじゃん好きなんだよ。
恋は呪いだよ。
美咲は頭おかしいよ。
いよいよイくとこまでイっちゃってるでしょ。
とりあえず一旦深呼吸させて。
いやいや、そんなことしたら駄目に決まってる。
また悪魔がでちゃうでしょうが。
美咲の匂いが刺激的過ぎるんだよ。香水とかつけてんのかな?
つけてるなら教えて欲しいね。
毎日枕に吹きかけて眠れぬ夜を過ごしたいからさ。
「んー……今日はもう時間も遅いから、ここで同衾しようよ。隣の部屋さ、幽霊いるから今日は一緒に寝て欲しい」
「は?」
隣に引っ越してきたの美咲かよ。
なんでだよ。意味わかんないよ。
ひょっとしてストーカーなの?
ストーカーなら見守るだけで満足しててよ。勝手に入ってくんなよ。
そんで同衾なんか絶対にしないわ!
コイツ自分が何されたか憶えてないのかよ。
頭にカビでも生えてんのか?
イカれ過ぎててヤバいってホント。
もう幽霊にツッコむ気力もないけど、いたんだやっぱり。
なんで平然としてんだよ。何週間かは暮らしてたでしょ。
「てか、だったらルームシェアはどこですんの……?」
「はぁ? そんなのタワマンに決まってるけど……えっ? もう忘れたの? 一回来たじゃん宇多葉」
「あ、あそこね……」
このバカは人の心とか無いんか。
犯行現場に犯人と暮らすアホがいるかよ。
そして何のために隣の部屋に越してきたんだよ。
金持ちお嬢様は考えることが一味違いますわね!
これが初めての一人暮らし。
期間が短いね。
私のせいじゃないんだけどね。




