第1章-21 吟遊詩人 -ガンダーラ国ジェルム-
ガンダーラ国ジェルム。
ジャティラ隊長の率いるキャラバンは、街の外れにある宿営地に到着した。
当時、その国が管理するśibira(宿営地)は、野盗や山賊に襲われる危険が低く、また街に近いことからキャラバンの野営にはうってつけのスペースとなっており、天幕を張って雨風を凌いだ。
この宿営地では軍隊から派遣された衛兵が20名前後は駐留している。
そして、飲料水の採れる深い井戸もあるため、キャラバンは荒野や草原での野営よりもある程度の警戒を緩めることが可能だった。
早速、30人ほどの使役人夫は天幕の設営にかかり、料理・水管理の隊員ら15人は水を汲み、数カ所に分散して火を起こして調理準備に入る。
街道沿いの荒野や林で野営をする場合、火を使わない。なぜなら、焚き火の灯りと煙の匂いで山賊の襲撃を招く恐れがあった。
また、go-nāyakaと牛飼いたちは、牛を荷車から解放し、隣接した放牧地で牛を休ませると同時に、荷台車の整備に追われる。
このキャラバンでは、牛は320頭もいたのでその世話をする牛飼いの人数も当然多くなり、約40人が忙しく働く。
そのうちの3割ほどは若い牛飼い、もしくは退役軍人などが混じっている。いわゆる本職の牛飼いとして生業を営むものは2割ほどだった。
一方、ラクダにはそれぞれの主従関係があり、持ち主によって世話がなされていた。
“Sādhu. Ārakkhake ca padhāna-purise ca kammante niyutte ca ṭhapetvā, sabbavibhāgānaṃ vīsati-bhāgaṃ yodhānaṃ bahi-gamanānujānaṃ dadāmi.”
ジャティラ隊長は副隊長2名に命令し、第二隊のモッガラーナ副隊長はすぐさま馬に乗り後続の第二隊の集まっている天幕群の方へ走っていった。
本隊副隊長カルダッタは、各部署の統括責任者を集めるとジャティラ隊長の指示を伝え、街中での原則事項を付け加えた。
“Suṇātha. Bahi-gamanassa kālo candassa majjha-ākāse ārohantā yāva.Surāpānaṃ, veśiyā-ghara-gamanaṃ, rathyā-veśiyā ca ekantena paṭikkhittaṃ hoti.”
命令は素早く隊員全部に浸透し、宿営地をあとにして街の方へ歩いてゆく姿がチラホラと見えていた。
その中の一人には、あの青年ナガも混じっていた。
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ナガは、プシュカラヴァティから来たというシーラダッサと一緒だった。
酒場への立ち入りは禁じられ、女色も行けないとなると、街の中の屋台でなにか買ってぶらぶら食べ歩きするぐらいしか手はない。
ご多分に漏れず、この二人も、さっきヤシ油のランプを灯した屋台で買った鶏の串焼きを一本、
噛じりながらぶらついていた。
街の中は宵市のような雰囲気に包まれ、屋台があちこちに出ていて灯りを灯す。その先には、何かの興行を見せる見世物小屋のような建物があり、入口付近に20人ほどの人だかりがある。
ナガとシーラダッサは、その入口のところでお立ち台の上に立って演目と見どころの口上を述べているずんぐりと太った黒服男の話しを聞いて、お互いに、
“He, idaṃ kho rammaṃ maññe!”
ということで、1マーシャカを払って入ることにした。
中に入ってみると、入口の狭さとは裏腹に結構な広さがあり、客席は地べたにゴザを帯状に何列も敷いているだけの自由席だが、演舞台は半円状を描いた立派なものだった。
演舞台の向こうにはいわゆる上手・下手に舞台袖が張ってあり、演者は舞台の奥から出てくる本格的な演芸場の造りだった。
照明には松明を焚き、普通の焚き火よりも明るくなる薪材を使って工夫している。
煙は天井の吹き抜けから屋根の中央にある四角いベント(排気筒)を抜けて外に出されるので、客席は煙くならない。
さながら”薪能”を見るような環境だった。
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客も随分入場してきて、ざっと見たところ200人前後もいるかと思われる。そうこうしているうちに、最初の演目が始まった。
最初に出てきたのはmāyākāra。彼による出し物は、ナガとシーラダッサの口をぽかんと開けさせるのには十分だった。
その魔術師は、なんの道具もなく手で触れもせずに革紐で吊るした玉子を横半分に真っ二つにして見せた。そして、更にその革紐を真ん中からプッツリと切り払った。
ナガとシーラダッサは、完全にこの演芸場の幻想的な世界に酔わされていた。
次に登場したのは、火を吹き出す怪力の大男(kusaḷa sippikā)、これはどこでも定番の出し物だが、この大きな男は荷台の上に美女3人を乗せて荷車を引いた。
三番目の演舞は美女三人の伝統舞踊で、踊りの特徴は椅子に腰掛けているかのような中腰の状態で踊り、手と指先の動きで様々な情景を描き出すような踊りだった。
そして、その後にいくつかの出し物が出てきたあと、最後のシメを飾る歌姫・吟遊詩人(gandhabba)と呼ばれる歌い手の小柄な女性が舞台に立った。
ナガは、その髪飾りに見覚えがあった。
そして、確かめるようにその女の瞳を見た。
“He! Sā itthī—sāva tadā diṭṭhā!”
その瞳は、左がエメラルドグリーン、右はインディゴブルーだった。
彼女は、ナガをちらっと見たが表情を変えずにそのまま、別の方向に眼を転じた。
彼女の歌が始まる。
[BGM]
“עפרה חזה - יד ענוגה | קליפ”
(↑文字化けではなくヘブライ語)
誰もが、
うっとりと、
癒やされるように彼女の歌声に聞き入っている。
昼間の太陽の焼け付くような暑さで火照った身体が、彼女の声によって冷まされてゆくようだった。
次第に、
彼女は両手を上げ、
髪を振り乱しながら激しく腰を振り、
身体を鞭のようにしならせて踊る。
クルクルと何度も回転しながら、演舞台が客席にせり出したところまで来ると、
クルッ!クルッ!クルっ!
と歯切れよく瞬間的に回転した。
その最後の回転のとき、彼女の方から何かが飛んできて、ナガの左足の太ももに当たって敷ゴザの上に落ちた。
ナガがその紐のようなものを拾い上げてみると、緑色の石でできた不思議な形をしたペンダントだった。
“Oho, idaṃ dullabhaṃ nāma. Veḷuriyaṃ—Mahā-Cīnassa ākārena kataṃ kho pana idaṃ!”
そう、シーラダッサは教えてくれた。
“Gaṇha taṃ! Ayaṃ pi koci paccayo bhavissati—addhā eva!”
ナガは首から下げている羊の皮で作った巾着に、そのペンダントを切れた紐ごとしまい込んだ。
(後半に続く)
【脚注】
◯娯楽
およそ2600年前の古代インド、どのような娯楽があったか?
今でこそ、手のひらの中で”観る・聴く”のあらゆる娯楽を楽しむことができるが、この時代、ライブで観るか聴くしかなかった。
仏典からは様々な娯楽が存在していたことが読み取れる。
話しているのはブッダ、聞き手はマガダ国 アジャータサットゥ王。
【DN02 sāmaññaphalasuttaṃn,majjhimasīlaṃ】
(長部経典 第2経 沙門果経 中戒 遊興の戒律)
「また、信仰によって与えられた食物(布施食)によって生かされていながら、このような世俗的な遊興に溺れて生きる、一部の沙門やバラモンがいます。
すなわち、次のようなものです。
踊り、歌、器楽、演劇。
バラードの朗読、手拍子の演奏、シンバルやドラム。
魔法のランタン、アクロバット、 曲芸、手品、マジック。
珍奇な見世物、追放者による芸。
竹細工の展示、洗濯ショー。
象の闘い、馬の闘い、水牛の闘い。
雄牛の闘い、山羊の闘い、雄羊の闘い。
闘鶏、ウズラの闘い。
棒術、ボクシング、レスリング。
サバイバルゲーム、
点呼、 軍隊の召集、陣形、部隊の観閲式。
しかし、彼はそのような世俗の遊興からは遠ざかっている。
これもまた、彼の美徳・戒の一部です。」




