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第1章-20 究極の山羊シチューとカシミール産スノートラウトの甘辛酸っぱいソース、ハチミツとギーまぶし揚げ菓子のヨーグルト添え -ガンダーラ国プシュカラヴァティ-

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(第1章-19 托鉢・乞食の行より続き)

ガンダーラ国プシュカラヴァティで、生まれて初めての托鉢をする慧。

しかし、、、文字でさらっと読めるほど、どのような時代でも世の中はそれほど甘くない。












(つぎへ)

(バンテ、15軒目ですよ。もう、無理じゃ?)






(つぎ)

(っへぁーい)





ガンダーラ国、プシュカラヴァティの街。


家々を回るが、家の中から人が出てくる気配がない。つぎつぎと家を回っていると、扉を開け放している家の前に立った。


すると慧の立っている気配を察したようで、家主が声をかけてきた。









Koci(おや?)idha atthi(誰かいるのかい) nu?














(無言)

(でも)






(教義遵守)

(うぐぐ、、、)






未明から歩き通しで、そろそろ日が45度の高さに上がってきている。

慧が空腹で不平を漏らすのも無理はないが、ヤナカの身体を間借りして居るような状態のため逆らえない。さらに、意に反した挙動をすると、頭にガツーンと激痛が走る。




結局、その家の主も出てはこなかった。


そして、また次の家、次の家と乞食をして歩いていると、はるか向こうに何かの店先に立った人が手招きしている。



慧はなんだろうかと思いながら近づいてゆくと、織物商の大店おおだなのようだった。



その店には大きなベッドような平台がデーンと中央においてあり、奥の壁際と左右の壁際には織物生地がずらりと陳列されていた。


慧を手招きした年配の男は、どうやらその店の主らしい。





"nīla-kaṭiyā n(藍色の腰布)ivāsanaṃ(、バンテ), samaṇo (ケイさま)bhante Ke(ですね?)i?"





穏やかな笑顔で尋ねてきた。





(沈黙)

(、、、)





慧は、胸の前で手を合わせて、男の瞳をじっと見つめてから、目を伏せた。





"Etha, idh(こちらへ)a nisīd(お上がり)atha.(下さい)"





店の主は、その店のホットスポットというべき大きな平台の上に上がるように促した。




店主は、慧の前に広がっている白い布をサッと引き寄せた。


そこにはなんと!

大きな化粧盆の上に並べられた小皿の群れ、そして長粒種の白飯の入った飯籠が用意されている。


そして、その化粧盆の横には色とりどりのフルーツが大ぶりのバスケットに入って、まるでオーケストラのような出で立ちで待機している。





(すっっっっんげーー!)

(沈黙)






慧が、驚くのも無理はない。

おそらく、これまでの人生でお目にかかったことがない、、、、生まれてはじめての豪勢な食事?





献立内容;

最上級のサーリ米ご飯 sāli

焼きパン apūpa

山羊のシチュー avika

鶏肉の串焼き kukkuṭa

魚料理 maccha-maṃsa

赤豆の煮込み Sūpa

焼き菓子 apūpa

揚げ菓子 khajjaka

はちみつとギーのソース Madhuphāṇita

ヨーグルト dadhī



その横フルーツバスケット;

ぶどうmaddava

ザクロdāḷima

グアバudumbara

プラムkola

野いちごphalaka

デーツkharjūra






(美味すぎる)

(沈黙)





ふわふわの最上級サーリ米は、すいすい腹に収まってゆく。このままずっと明日まで食べ続けていられそうな米だ。




そして、鶏肉の串焼きはクミンの一味スパイス、それにローズクォーツ色のヒマラヤ岩塩に彩られたまさしく”ガンダーラ地方の炭火焼き鳥”じゃないか!

これはもう笑うほかにどう表現しろというのか。




初挑戦の山羊シチューの優しい味、あぁ俺あなたを一生忘れません。




魚料理の魚は、おそらく川魚だと思われるが白身でふっくらしていて川魚特有の臭みがない。

これも甘酸っぱい中にあるピリ辛の素晴らしきソースを身にまとい、舌の上で舞い踊りを踊っている。



赤豆の煮込み(Sūpa)をサーリ米(sāli)の上に乗せる。すると舌が、サリーのスーパーな魔法にかかったようにくらくらと幻想的な世界へ飛び込む。





クッキーとパンの中間のような焼き菓子、それに揚げ菓子はドーナツに近いがどこか違う、似て非なる味。


この両名には、 はちみつとギーのソース(Madhuphāṇita)、そこに追い打ちをかけるようにヨーグルト(dadhī) を掬っては掛けて喰い、

  掬っては掛けて喰い、

    掬っては掛けて喰い


の永久ループに突入。



”もう、入りませんよ”


と言いながら、野いちごに手を出した。





(酸っぱー!野いちごって酸っぱいものなんだ。あ、あとから甘い)

(沈黙)






(最後、ぶどうだけ)

(自制)





ヤナカの忠告を無視して、ぶどうを一房平らげた。





(しま)え)

(はい。ゲッフー、これが毎日なら修行も悪くない)



(何?)

(いいいいぃえー何でもありません~!)







(布施主に祝福マントラを唱え)

(マントラ?知りませんよ俺、マントラなんて)






(我が唱える。声に出せ)

(あ、了解です)





[BGM]

“Chris Pat Metheny”

挿絵(By みてみん)







     “Sukhaṃ vo hotu, dāyakā;

     khemaṃ vo hotu sabbadā.

     Ārogyaṃ bala-sampattiṃ,

     dīghaṃ āyuṃ dadantu vo.

      Hitāni ca anukampā,

     sabbabhūtānamuttamaṃ;

     puññassa phalanubhāvena,

      santi hotu nirantarā.”



『施しを与えた人々に、幸いがありますように。

  常に安穏が続きますように。

 健康、力、繁栄、そして長寿が与えられますように。

  すべての生き物に対し、

  慈しみと善意が満ちますように。

 絶え間ない平安が訪れますように』





詠唱を終え、慧はその場をあとにした。






プシュカラヴァティのギルド長老ラッタディンナは、アーロカから託された願いをタクシラのプックサ長老に伝えると同時に、ここプシュカラヴァティの市中の商業ギルドのコミュニティにも通達を出していた。



“Nīlakaṭiyā nivāsanaṃ paridahitvā ājīvako samaṇo, nāmaṃ tassa Kei.

Yo tassa addhāne anuggahaṃ akāsi, so tena puññena paṭipūrito hoti.”


(藍色の腰布を纏ったアージーヴィカ行者、名は慧。

 道中に恵みを与えし者には、報奨を与える)


と。




しかしその後、数ヶ月を経ても、その報奨を受け取るために申し出た者は無かった。





プシュカラヴァティの商業ギルド長老ラッタディンナの手記には、そのように記されていた。


















【脚注】

◯パーリ語

文中のローマ字(発音付き)は、古代インド語のひとつパーリ語。読み方はそのままローマ字読みでOK。


故に、

 Sukhaṃ vo hotu, dāyakā;

 スッカン ウォ ホトゥ、ダーヤカー


◯托鉢中の戒律

托鉢を行う際に、衣の準備、手足の挙動、視線の方向、そして無言、沈黙と言う戒がある。


僧院で隊列をなして托鉢に出る際、以下のようになる。


· 道中無言

· 先頭の比丘と同じ足取り、挙動、視線の方向



また、

個々の托鉢時も、比丘は施主との会話をしない。


特に女性施主が質問をしてきた場合、ダンマ(法)に関することであれば数問までは短い回答を許されるが、政治、噂話、市井の話題、男女の話題、金銭的内容などは禁止。

ただし、それぞれの寺院の規範によって厳格に無言を貫くケースも有る。



仏典の中では、"大衣を携え托鉢に村へ入る" とあるが、現代のテーラワーダ寺院では、大衣(Sanghati)を持って托鉢には出ない。


大衣は仏典の中では比丘の資具としてよく出てくる。その用途は、防寒、雨具、日除け、敷物、寝具など。


ブッダの時代、北インドの気候は現在よりも温度が低く、日中は陽射しが強く暑くなり、夜は冷え込んだと比定される。そのため、大衣は比丘の健康を維持し修行に支障が出ないようにする資具として重要だった。


しかし、現代のヤンゴン周辺では赤道に近くの高温多湿の熱帯地域で、インド北部とは気候が異なる。故に、大衣は儀礼的な要素にとどまり、日常での活用は薄い。


また、東南アジアの国によっては、傘をさして日除けや雨避けをし、足にはサンダルを履いてゆく托鉢のスタイルもある。

しかし、ミャンマーでは素足で托鉢に出る。また、傘などの被り物は使えず、寺院の規範でヤトン(比丘の扇)を左手に持って出るところもある。



托鉢の際、布施主側の作法として、これらの環境は仏典にも詠われており、現代でも受け継がれている。


1.門前にダガ(布施主)が出て食の準備、立ち止まって受ける

2.庭に食の準備、立ったまま受ける

3.庭に食の準備、椅子に腰かけて受ける

4.家の中へ招き入れられ、椅子に腰掛けて受ける


尚、家に招き入れられる場合には、飲み物や軽食などを別途布施された場合には、持ち帰らずその場で食すことが許される。ただし、それは午前中のみ。

正午以降、何らかの事情により在家宅、一般民家等を訪れた際、布施された飲み物は受容しても良いが、軽食を布施された場合には戒律上、手をつけない。尤も、在家宅であれば心得ていて、食になるものは常識的に出さない。

しかし、これは地域差がありタイ国の場合には許容範囲がやや広がる。



「肉や魚を出されないか?」


これは逆に言うと、ミャンマー、タイなどの場合「ベジタリアン食を調理する方が、布施のコストも手間も時間も掛かる」と言う経済的、労働力的な負荷が発生する。


本来、托鉢食というものの位置づけは、

「家庭の食卓の延長線上」であって、

「信仰による供物としての別料理」ではない。


実際、比丘は調理済みの魚介・畜肉を布施食として受けるが、実は厳格な戒律があって、その特性はイスラムのハラールにやや近似している。

(例えば、ムスリムは死獣肉、血、豚肉等で、比丘は馬肉等の10種がNG等)


尚、初期仏教、現代のテーラワーダ仏教においての肉食に関するブッダの説示、および戒律、また、ベジタリアン食(テッタッルゥ料理 သက်သတ်လွတ်အစားအစာ)の詳細については、ジャイナの始祖が登場するコーサラ国以降に、ハラールなども含めて各宗教を比較しながら述懐してみたい。



◯魚料理

カブール川・スワート川上流で取れたスノートラウト。

(Schizothorax plagiostomus)、コイ科に属する淡水魚。

主にヒマラヤ山脈一帯の冷たく流れの速い河川や湖沼に生息。


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