第1章-14 オッドアイの女
“Naga, sattha-sajjā na kātabbā nu kho?”
“aññāni cattāri rattīni atthi — na kiñci, sarissati.”
“tena hi, tāta, gacchāmi’ti.”
“āma, sādhu, paṭijaggha.”
ガンダーラ国、首都タクシラ。
(現在のパキスタン、イスラマバード付近)
米屋の息子、Nagaは今年24歳、ジャティラ隊のメンバーとして3年目を迎える若手のホープである。
キャラバンが出ない時期には、家業の手伝いをして、もっぱら米の入った大袋を配達する仕事をしている。
今朝も、日の出前に隣村へ配達で米袋(30-50kg程度)を担いで、足早に店を出ていった。
隣村まではおよそ1yojana、現在の7~9kmの距離にあたる。
16歳の頃から毎日のように隣村へ定期便として脚で運んでいるので、足腰が自然に鍛えられて、今ではタクシラで一番の俊足ランナーになっている。
年に1回、開催される街の陸上競技の大会では、もう4年間、一位の座を守っているのだ。
後に、彼の俊足によってある一つの奇跡を生み出すことを、彼はこのときにはまだ知る由もなかった。
“handa, niccaṃ tumhe upakārakā.”
“Nago’ti? pubbe āgatosi.”
隣村の食料雑貨店に着いたナガは、店の奥にある倉庫室に米を運び入れると、空いた棚の上に置いた。
“niccaṃ mama hitaṃ karosi. pānaṃ pivituṃ icchasi?”
“no hetaṃ; ajja khippaṃ gamissāmi, satthassa sajjā kātabbā.”
“evaṃ hotu, sādhu gaccha.”
“anumodāmi; atha aññadivasaṃ passissāma.”
“āma.”
隣村のその店を出ると、ナガは小走りに街道を戻っていった。
街の中心を過ぎたところに、縦横が30danus程の公設市場がある。
昔はただの空き地で、近隣の農家の主婦が朝獲れの新鮮な野菜を自分の背丈もある大きな竹カゴに入れて持ってきては店開きしたり、山羊などの家畜の肉を扱うシュードラ階層の部落から枝肉(精肉する前の大雑把な肉塊)、或いは、生きたまま蛇やカエル、フクロウ、タヌキ等を持ってきて並べていた。
しかし、街の人口増で需要が次第に増してくると、いわゆる”流れ者”の売り手も増えて来るようになった。
すると、もともと店を出している地元の人間たちと「場所取り」でトラブルが相次ぎ、仕舞いには刃傷沙汰になった為、この街の商人ギルドが管理するようになった。
今では、綺麗に区画整理され長屋の形状で奥に伸びる店列には、椰子の葉を何枚も重ねた屋根があって雨天でも買い物できるように整備された。
日が昇って間もないが、市場の中には買い物客が結構いる。
その公設市場の入り口の横で、骨董品のようなガラクタのようなモノを並べた老人が、刻みタバコを煙管で燻らせる。
その向こうでは、
小さな机のような台を置いた後ろに、小さな樽に座っている年増おんながこっちを見ている。
ナガが、通り過ぎようとした時、その年増おんなが声をかけてきた。
bho daharo,
ナガは、素通りするのも気が引けて立ち止まり、
āma, kiṃ nu kho
appakaṃ nimittaṃ passāminu kho?
ahaṃ pana, dhanaṃ natthi.
sādhu, ajja visaṭṭhaṃ—muñcitaṃ, mūlaṃ natthi.
evaṃ nu kho? atha kho mayhaṃ nimittesu chando natthi.
handa, mama cakkhūni passa.
ナガは、その年増おんなの開けているのかどうかわからんような細い眼をジッと見た。
よく見るとおんなの瞳は黒ではなく、銀色をしていた。
(ガンダーラの人ではないな)
そう思った。
このガンダーラには、西国バクトリアからの流民も入って来る。近年、西方交易が活発になり、キャラバンの往来も増加しているためだろうか、自然に人の出入りも多くなっていた。
やがて、
その年増おんなが告げた。
tvaṃ pana…
ekaṃ kalyānaṃ saddaṃ atthi, ekaṃ pāpakaṃ saddaṃ atthi.
kataraṃ paṭhamaṃ sotuṃ icchasi?
aññattha sutapubbaṃ viya, atha kho—ṭhātu.
tena hi, kalyāṇaṃ saddaṃ.
itthī aññādisā.
eh? ettakaṃ yeva?
āma, ettakaṃ yeva.
atha kho, pāpako saddoatamo?
nikkhamanaṃ paṭikkhittaṃ.
ettakaṃ yeva?
evaṃ, ettakaṃ yeva.
kiñci panaupadesaṃ dehi na?
すると、年増おんなは右手の掌を上に向けて差し出して来た。
(あ、なるほど〜。そう言う商売の仕方かぁ)
ナガは、ありがとうと言い残して、その年増おんなのところを離れた。
ーーーーーーーー
村の外れまで来ると、辺りいちめん麦畑になった。
向かいから、2頭のラバが引く幌車が2台と荷物をたくさん積んだ平台車が2台、合計4台が列をなしてこちらに向かってくる。
ちょうど小さな橋に差し掛かったところだった。
ナガは橋を引き返して道の脇に避けて通り過ぎるのを待っていた。
―ガラガラガラ、パコパコパコパコ―
―ブ フルルル~ ブ フルルルッ―
眼の前を通り過ぎるのを見送っていると、最後の平台車の一番うしろのところに、長い髪を全部ではなくいくつか細く編み込んだ紐状にし、そこにキラキラする髪飾りを着けた女の子が座っていた。
こちらに気づいたらしく、クルッと振り向いてこちらをじっと見ている。
ナガの眼の前を通り過ぎる頃になって、その女の子の左がグリーン、右目がブルーであることに気がついた。それに、背が低いので女の子だと思っていたが、顔をまじまじと見たら、いい年頃の女であることが伺えた。
(18?いやもっと上か?)
ナガは、その女性を平台車が見えなくなるまでずっと見送っていた。
(あ、「変わった女」って言うの当たってた)
(でも、「出発は見送る」って言うのは、、キャラバン?
だったら、そいつは譲れんだろう、、微笑)
このとき、
ナガは、これがVajira との最初の出会いだとは、夢にも思わなかった。
そして、、、、
[BGM]
“Kim Carnes - Bette Davis Eyes”
◯オッドアイ
正式名称:光彩異色症 。
先天性と後天性があり、日本人の発症率は0.05%程度だが、ヨーロッパに分布する流浪の民Romaには美しいオッドアイの人が多い。
Romaのルーツはインド北部のアーリヤ系であることに着目し、この登場人物を追加した。
尚、米国の人気ドラマ「Mentalist 」のエピソードにもRomaの生活の断片が描かれるが、一般的な常識では理解できない独特の慣習がある。
◯Nago’t
Naga>Nago に変化している。
親しい人間を呼ぶとき、リエゾンのような変化をすることがある。
例えば、現代の韓国では常識的な親しい相手の名前の変化した呼び方のように。
例)장금 チャングム
>장금이 チャングミ
>장금아 チャングマ
◯縦横が30danus
1ダヌス=約1.9m
30✕1.9m≒60m
故に、約60平方メートルの敷地
◯穀物類の種類について
Dīgha Nikaya (長部経典)の大念処経の身随観のパティクーラマナシカーラ(嫌厭洞察)の中に、当時の米や豆類の存在を示すブッダの説示がある。
DN22 Mahāsatipaṭṭhānasuttaṃ
>kāyānupassanā >paṭikūlamanasikārapabbaṃ
“ seyyathidaṃ sālīnaṃ vīhīnaṃ muggānaṃ māsānaṃ tilānaṃ taṇḍulānaṃ. tamenaṃ cakkhumā puriso muñcitvā paccavekkheyya”
それぞれ以下の通り。
1. sālīnaṃ(サーリーナン)
sāli=上質な稲、長粒米、インド高級米
→ 「サーリ米の、(サーリ)米類の」
2. vīhīnaṃ(ヴィーヒーナン)
vīhī(ヴィーヒー)=稲、米の一般名
→ 「一般の米の」
3. muggānaṃ(ムッガーナン)
mugga=緑豆(ムング豆)
→ 「ムング豆の」
4. māsānaṃ(マーサーナン)
māsa=小豆・黒豆系の豆類
→ 「(小豆・黒豆の類の)豆の」
5. tilānaṃ(ティラー ナン)
tila=ゴマ(sesame)
→ 「胡麻の」
6. taṇḍulānaṃ(タンドゥラー ナン)
taṇḍula=精米・搗いた米(husked rice)
→ 「精白した米の、搗き米の」




