祝福
門の前の空気が、ふっと緩んだ。
先ほどまで張りつめていた魔力の余韻が静まり、代わりに、懐かしさのような温度が漂いはじめる。
男が息を整えようとした、そのときだった。
「まったく……また勝手なことをしておるな」
背後から、しわがれたが朗らかな声が響いた。
振り返ると、そこには学園長が立っていた。いつの間に現れたのか、足音も気配もなかった。だがその存在感は、学園そのものの延長のように自然だった。
「迎え入れる前に試験とは、少し性急が過ぎるぞ、アニマ」
学園長がそう言うと、空中でくるりと一回転していたアニマ・フォルマが、肩をすくめる。
「だって。学園に入る者は、わたしの“子”みたいなものだもの。ちゃんと見ておきたいじゃない」
口調は軽やかだが、その奥には確かな責任が滲んでいた。
「この学園ができた日から、わたしはここを見てきたの。来る者、去る者、折れる者、育つ者。……だから、見定める必要があるのよ」
学園長はやれやれといった様子で、だが口元は緩んでいる。
「その性格、昔から変わらん。わしがまだ子供だった頃も、そうやって偉そうに講釈を垂れておったな」
「だって、あなたは放っておくと無茶ばかりするんだもの」
アニマはぷいと顔を背け、次の瞬間には学園長の周囲をふわりと一周する。
「転んで泣いて、魔力を暴発させて。あの頃は、毎日が世話焼きだったわ」
「ふぉっふぉっふぉ。懐かしい話じゃな」
学園長はまるで幼子をあやすように、アニマの動きに目を細めた。
「この子はな、学園の“母”のようなものだ。わしがここに立つよりも、ずっと昔から、この場所を見守っておる」
その言葉を、存在は静かに受け取った。
彼女にはわかる。アニマの明るさの奥にある、長い時間と、選ばなかった干渉の重みが。
学園長は、ふと表情を改め、男と存在へと向き直った。
「来てくれて感謝する。こうして門をくぐる前に会えたのも、縁じゃろう」
そのときだった。
アニマが、じとり、と男を見る。
さきほどまでの朗らかさが嘘のように、値踏みする視線。
「……彼女のことは聞いていたわ」
男は思わず背筋を伸ばす。
「でも。もう一人の“彼”って、誰?」
存在が答えるより早く、男は口を開いた。
「僕は……彼女の夫です」
はっきりと、迷いなく。
「心配だったから、ついてきました」
一拍の沈黙。
次の瞬間。
「えっ!? 夫婦!?」
アニマの声が、思いきり裏返った。
「うそでしょ!? 本当に!? この子が!? あなたと!?」
そう叫ぶや否や、アニマは男の周囲を高速で飛び回りはじめた。
「ちょっと、ちょっとちょっと! どうやって!? 何したの!? 魅了? 契約? それとも――」
つんつん。
肩を突かれる。
袖を引かれる。
頬の前まで顔を近づけられる。
男は完全にたじろいだ。
「もしかして。……凄い技をもってるとか?」
ニタァと表情をくしゃげるアニマ。
おじさんみたいだなぁと心の中でつぶやきつつ、男はたじろぐ。
「い、いや、その……特別なことは……」
そのとき、男は気づく。
存在が、じっとこちらを見ている。
無表情。
だが、不快なのか、戸惑っているのか、あるいは別の感情なのか――判別がつかない。
(……まずい)
空気が、微妙に歪む。
そこへ、学園長の豪快な笑い声が割って入った。
「ふぉっふぉっふぉ! その辺にしておけ、アニマ。いつもの悪戯も、度が過ぎるぞ」
「えー、だって気になるんだもの」
「そろそろ訓練場の子供たちが待っておる。見学に来た客人を、門前で疲れさせるものではない」
アニマは一瞬だけ頬を膨らませ、それから、ふっと表情を和らげた。
「……まぁ、いいわ」
ふわりと、彼女は男と存在の頭上へと舞い上がる。
「歓迎するわ。あなたたちを」
声は、柔らかく、どこか祝福めいていた。
「この学園は、探求する者の場所。ここで過ごす時間は、あるいは一生のうちで最も贅沢で、最も過酷なものになるかもしれない。
それでも。さあ、臆することなく踏み出しなさい。あなたたちが、この学び舎のなかでどのような時間を刻み、どのような『答え』へと辿り着くのか。その旅路を、わたしは心から楽しみにしている」
光が、ぱっと弾ける。
次の瞬間、アニマの姿は消えていた。
魔力の残滓だけが、風のように漂い、やがて学園の奥へと溶けていく。
学園長は、杖を軽く鳴らし、門を示した。
「さあ、入るがよい。ここからが、本当の始まりじゃ」
男と存在は、顔を見合わせる。
そして、並んで一歩を踏み出した。
学園の内側へと。




