アニマ・フォルマ
学園は、想像していたよりも静かだった。
高い石壁と、緩やかな弧を描く門。装飾は控えめだが、刻まれた紋様の一つ一つに魔力の残滓が宿っている。長い時間をかけて積み重ねられた「場」の力が、門の前に立つだけでじわりと伝わってきた。
「……ここが、学園」
男は門の前で立ち止まり、無意識に姿勢を正した。
入学できなかった場所。憧れと、ほんの少しの苦味が混ざった記憶。その全てが、胸の奥で静かにざわめく。
「勝手に入っていいのかな……?」
誰かを待つべきか、呼び鈴のようなものがあるのか。視線を巡らせる男の横で、存在はすでに門の内側へ意識を向けていた。
「……躊躇する理由はないわ」
存在は、門ではなく、少し離れた空間へ視線を向ける。
「挨拶はした。ここまで来て、隠れているのは無作法よ。――出てきなさい」
その声は、強くも威圧的でもない。
だが、空間そのものに届く、確かな呼びかけだった。
次の瞬間。
空気が、ふっと揺れた。
何もなかったはずの場所に、淡い光の粒が集まり始める。蛍火のような小さな光が、円を描きながら集約され、次第に輪郭を形作っていく。
「……え?」
男は思わず息を呑んだ。
光は、人の形を成していく。
細い腕、華奢な肩、長い髪。少女の姿をした“何か”が、光の中からゆっくりと歩み出た。
年の頃は、存在よりも少し幼く見える。
だが、その雰囲気は不思議と子供らしくない。無垢と成熟が、同時にそこにあった。
「やだなぁ、ばれてた?」
少女は、くるりと一回転しながら笑った。
声は明るく、鈴が転がるように軽い。
「初対面なのに、いきなり見抜かれるなんて。さすがだね」
男は、反射的に存在の前へ半歩出る。
「……誰だ?」
少女は首を傾げ、楽しそうに男を見る。
「うーん、生徒に見える? それとも精霊? それとも……」
指先で顎をつつき、少し考える素振りをしてから、にぱっと笑った。
「正解は――アニマ・フォルマ。長いから、アニマちゃんでいいよ」
「……アニマ?」
存在は、じっと彼女を見つめていた。
敵意はない。だが、好奇心とも違う、深い観察の視線。
「魔法で創られた存在ね」
「大正解! 総じて、そう呼ばれている。でも、なんか堅苦しいし愛嬌がないじゃない? だから、ちゃんて良いなって!」
アニマはぱちん、と指を鳴らす。
「この学園ができたときにね、記録と調整と、あと――“見守る役”として創られたの。魂だけの存在、って言えば分かりやすいかな」
男は眉をひそめる。
「……魂、だけ?」
「うん。身体は魔力で出来てる。でも、意識はちゃんとあるよ。考えるし、感じるし、退屈もする」
そう言って、アニマは門の柱にもたれかかる。
その動作は自然で、実体のない存在だとは思えない。
存在は、静かに口を開いた。
「珍しいわね。ここまで自我が安定して、長く留まっている存在は」
アニマの目が、きらりと光る。
「あ、分かるんだ」
「ええ。魔法で創られた存在は、点在している。でも大抵は、目的を終えれば霧散するか、人格が摩耗する」
「うんうん。だから私は“質が高い”って言われる」
アニマは胸を張る。
「自分で言うのもなんだけど、けっこう自信作なんだよ? 学園長も、昔はよく調整してくれてさ」
男は、存在とアニマを交互に見る。
話の内容は難解だが、空気は不思議と和やかだった。
「それでね」
アニマは、ぴたりと存在の前に立った。
距離は近い。だが、存在は一歩も退かない。
「あなたのこと、知ってるよ」
「……そう」
「あなたが何者で、何を欲しているかも、だいたい分かる」
アニマの声は、先ほどより少しだけ低くなった。
「知りたい? 答え。あなたが探してる“情報”」
男は、思わず存在を見る。
だが、存在の表情は揺れなかった。
「必要ないわ」
即答だった。
アニマは、目を瞬かせる。
「……へぇ」
「私は、ここで見つけに来たの。答えを与えられるためじゃない」
存在の声は静かだが、芯があった。
「未知を、観測するために来た。答えを先に知るのは、それを歪める」
アニマは、数秒沈黙したあと――くすっと笑った。
「……合格」
「え?」
男が声を漏らす。
アニマは、くるりと背を向け、門の方へ歩きながら言った。
「未知を探求する姿勢。その覚悟。その距離感。――うん、この学園にふさわしい」
そして振り返る。
「あなたは、“見る側”に立てる存在だね。歓迎するよ」
存在は、わずかに目を細めた。
「……試したの?」
「もちろん」
アニマは悪戯っぽく笑う。
「学園はね、誰でも受け入れるわけじゃない。ここは“学びたい者”の場所だから」
門の奥から、かすかな足音が近づいてくる。
年老いたが確かな魔力の気配。
「そろそろ、あの人も来るよ」
アニマは肩越しに視線をやり、楽しそうに言った。
「初対面としては、上出来じゃない?」
男は、存在の横顔を見る。
彼女は、確かに――この場所を、もう拒んでいなかった。
学園の門は、静かに、だが確実に。
二人を迎え入れようとしていた。




