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不老不死にはわからない  作者: ある
訪問者
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問い

 存在は、ゆっくりと老人と視線を合わせた。

 学園長と名乗ったその男の目は、年齢にそぐわず澄みきっている。長い年月で磨かれた理性と、衰えぬ好奇心。そして――ほんの少しの企み。隠す気もないそれらが、混ざり合って静かに光っていた。


「……こんにちは。はじめまして」


 存在は、静かに口を開いた。

 誰かに教わったわけではない。だが、この家で暮らすうちに、自然と身についた行為だった。相手を前にしたとき、言葉を交わすという文化。彼女はそれを、もう“理解している”。


 学園長の眉が、楽しげにぴくりと跳ねた。


「おお、これはこれは。礼儀正しいお嬢さんじゃな。実に好ましい。わしはこの地の北にある《魔術学園》の学園長を務めておる者じゃ。……君に会いに来た」


「……私に?」


 存在は、表情を変えずに問い返す。

 そこに警戒はない。ただ、事実を確認するための純粋な疑問だけがあった。


 学園長は満足そうに頷き、座ったまま杖を軽く床に鳴らした。

 乾いた音が響いた瞬間、居間の空気がわずかに震える。魔力が、意図せず滲み出たのだと、存在は即座に理解した。


(……独特ね)


 老魔術師の魔力は、荒々しさとも、鋭さとも違う。長い時間をかけて積み重ねられた、層のような重み。

 だが、それ以上に存在が意識したのは――彼の視線だった。


 学園長は、隠そうともせず、存在の内側を覗き込むように見つめている。値踏みでも、敵意でもない。

 それは、未知の書物を前にした研究者の目だった。


「……あなた、見えているのね?」


 存在が静かに言うと、学園長は小さく喉を鳴らして笑った。


「完全には、じゃ。だが“片鱗”くらいはな。その魔力の質。以前、似た感覚を知ったことがある。……お嬢さん、もしや君は――」


 言葉が続く前に、学園長はふっと口を閉じた。

 わずかな沈黙。存在は、この老人になら、制限を解いてもいいと感じていた。危険ではない。むしろ、面白そうだ。


 だが――彼女は自ら視線を逸らした。


「いや、詮索はせん。知らぬままが良いこともある。……それでも、会えてよかった」


 その様子に、弟はぽかんと口を開けている。

 存在は、彼にだけ向けるような、少し悪戯っぽい笑みを浮かべた。一方で学園長は、彼女に対して、静かな敬意を滲ませている。


「実はな、弟くんから話を聞いたのじゃ。“兄の妻になった人が、とんでもなく凄い”とな。最初はよくある惚気話かと思ったのじゃが……この気配。確かに常人ではない」


 存在は、小さく頷いた。


「普通ではないわね。……でも、それは時に脅威にもなる。なぜ、学園の長が私に興味を?」


 率直な問いだった。

 それは同時に、“あなたの目的は何か”と突きつける言葉でもある。


 だが、学園長は少しも動じなかった。むしろ、心から愉しそうに笑った。


「目的は明白じゃ。“未知”を理解するため。わしらの世界は、知ることで成り立っておる。新たな存在、新たな法則、新たな可能性……それらを見逃すほど、わしは老いぼれておらんよ」


「あなたたちの“学び”は、そういうもの?」


「そうとも。学びとは、“己を知り、世界を知る”行為じゃ。……そして何より」


 学園長は、まっすぐに存在を見据えた。


「君が何者なのかを、君自身が知る。その助けになる」


 その言葉に、存在の瞳が、わずかに揺れた。


 ――自分を、知る。


 それは、彼女が誰にも語らず抱え続けてきた問いだった。

 廃屋での長い眠り。目覚めてからの日々。知識を得るほどに、分からないことは増えていった。


 男と過ごす中で、笑うことを知った。

 戸惑い、怒り、安らぎ、そして――未来を想像すること。


 だが、それでも根源の“自分”は、霧の向こうにある。


「……私は、あなたたちのように生まれてはいない。生きるという概念すら、曖昧なまま。それでも……あなたのいう“学園”という場所で、受け入れられるの?」


 学園長は静かに目を閉じ、少しの間、考えるように沈黙した。


「君のような存在が“外”にいること自体が奇跡じゃ。その奇跡を、拒む理由はどこにもない」


 ゆっくりと目を開く。


「わしの学園は、人間だけの場所ではない。人間以外の種族も、魂だけの存在もおる。学びたい意思があるなら、等しく門は開かれておる」


 存在は視線を外し、居間の窓へと目を向けた。

 そこには、空が広がっている。流れる雲。揺れる木々。風の向こうに、まだ知らない世界がある。


(……世界)


 ここは、彼と築いた“居場所”。

 だが、その外側には、触れたことのない無数の扉がある。


 学園長の声が、穏やかに続く。


「急がずともよい。強制でもない。ただの“誘い”じゃ。君が世界に触れるための、一歩としてな」


 存在は、しばらく黙って空を見ていた。

 胸の奥で、小さな何かが動き出すのを感じながら。


 ――これは、変化の兆し。

 彼女が“妻”としてだけでなく、“自分”として世界と向き合うための、最初の扉だった。

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