ACT.1 針谷 翔
カインの血を、遠く東洋の果て東京で一際強く持つ男がいた。
名は針谷 翔。
彼は人間だけが持つ特性「遠くへ物を投げる」という事を世界で1番上手く熟せる人間であった。
この特性で彼が失ったモノは数多い。
社会での居場所、キャリア、名声。
不幸な事に、彼の投法への理解は無い。
彼の投法を見る事も出来なければ、知れたとしてもそれは断末魔の瞬きであるから。
彼はあらゆる態勢から目標に投擲する事が出来た。
寝ながらは勿論、逆さずりの状態から頭の一振りで毛髪を撃ち放つ。
目潰しに遭った組員は2撃目を喰らい、命ごいをしながら翔の足の縄を解く。
地に立った翔は缶ビールのプルタブを本体から捻り取ると、
伝説の侍の如く振りかぶり、射出されたプルタブは組員の脳幹にまで達して永遠に静寂した。
針谷 翔はとびっきりの人間潔癖症であった。
針谷 翔は現在指名手配中だが、顔写真が掲載されていないただ一人の人間だ。
ポカンと空いている指名手配中のポスターを観ていると、
その空白の分だけの彼の弾痕が有るようで怖かった。
つまりこう言う事だ。
「『彼を知っている。』と彼に知られてしまう」か「彼に狙われたか」のどちらかの理由で、
彼に射殺されたので、詳細を知る者はこの世から居なくなってしまったのだ。
この事実は東京の過疎化の原因の一つだとも目されていた。
彼はまだ知らない。
彼に愛憎を抱くたった一人の女がいる事を。
「針谷 翔」の全身を知って生きているたった一人の人間の事を。
女の名は「松本 圭子」
親の仇を取る為に、人生と身体を汚してきた若き女。
彼女は確実に翔を殺す為、翔が殺した組員の事務所に乗り込んで自ら性志願した。
NGの無い彼女を最初こそ組員も面白がったが、次第に気味が悪くなっていった。
アダルトビデオ収録時、彼女の性技で組長が腹上死した。
組合の大きな葬式と組相続のゴタゴタの中、
彼女は「お腹にあの人の子がいます、男の子です。」と言った。
その次の瞬間には若頭の頭が片方の耳だけを残して失くなっていた。
他の有力な兄貴分の頭も、マガジンの弾薬の数だけ失くなった。
親分のベレッタだった。
「この子が組を相続するまで、人を殺します。」
そう言って立ち去る喪服の後ろ姿に、死神の美を見た。
東京の地は感染症の流行の後、幾つかの事変を経て過疎化した。
首相暗殺、禁酒煙法の実施、首相暗殺未遂。
関東の暴力団闘争と松本組の勝利。
松本組のYoutubeの公式サイト設営と、同チャンネルの「針谷 翔」の身バレ配信。
この時世に初めて連続殺人犯のモノと思われる情報が世に投下された。
身バレ配信中から始まった武蔵野市一帯の連続殺戮事件。
事件発生後、3日目には市警の殉職率が80パーセントに達した。
武蔵野市への自衛隊投下による日米合同作戦も、作戦が決定される間際で司令部の全職員が殉職したため中止した。
大量の死者を出した自衛隊の作戦続行の可否を問う国会中継が始まった。
この辺りから確実に都民の地方への避難は始まっていたと思う。
「武蔵野の殺人鬼が、都民全体いや、国民全員の安全を脅かしているのに、与党は何も対策しないつもりでっ」
決定打だったのは国会中継中の射殺である。
人の殺しの前に、まずTV中継のカメラが破壊された事実に、彼の人間潔癖症の有様をみた。
臨時首相を含む国会議事堂全員が投擲殺されたのは、確実なんだろう。
少なくとも100日以上経過した現在においても、首相陣の公式会見がない事がその事実を強めていた。
関東にいる人間は「針谷 翔を殺そうとしている松本組に頼っていれば、針谷 翔から守ってくれる。」と信じ、
松本組も関東を維持する御題目を得て組織を拡大した。
僕は斉藤時央。
こんな時代に浅はかにも針谷 翔という偉大な化け物と戦う組の組員になった、浅はかな男だ。
ゴッドマザーこと松本 圭子にお会いする事が出来る。
その事実だけで組員に志願した男女がいたくらいには、この事実は現在の東京で輝いていた。
「針谷 翔が怖いんじゃあない、マザーに嫌われるのが嫌なだけなんだ。」
そんな事を言っているこれからの同僚をすり抜けて、松本 圭子と僕は対峙した。
「お掛けになってください。」
会釈のあと、上品に畳が一枚敷かれた上の座布団を指して、
ただただ丁寧に茶の支度をする松本 圭子は、お腹の子を気にする美人な奥さんという印象以上のインパクトは無かった。
貰ったお茶に手をかけきったとき、後頭部が銃と思わしき痛い触感を与えていた。
「この男を撃ち殺すか、私ごと殺すか、どちらかにして下さい。」
そう強迫されて、やけっぱちの斉藤時央は脱力する。
脱力しきったところで、一気に力を入れて飛ぶように立ち上がる!
そのあとはそのまま後ろの相手に倒れ込んで、裸じめにする。
案の定、立ち上がった時の衝撃で相手は銃を手に持っていなかった。
時央、生き残り。
なんかの拳銃も手に入れちゃって立場逆転Boy。
と調子にのっていたら、着物の裾からドスが飛び出して顎を刺していた。
いっっっっでっ、えぇえぇぇぇぇっ!
「あなたが針谷 翔を殺してくれるなら、どんな援助も惜しみません。」
「組員になってくれますか?」
「それとも死にますか?」
じだがいまず。じだがいまずがら、ゆるじでぇ…
シトッとドスが抜かれると、痛みで脳がショートして真っ白になった。
その白くなって意識を失うほんの僅かな合間にイヤに冷静な冴えた意識の間があって、
「いったい何がこの普通よりちょっとカワイイくらいの奥さんを、ここまでの存在にしてしまったのか?」
と考えて面白く感じてしまった。
このイカれた東京でポジティブに生きるにはこれくらい面白くないと。
素敵な生きる目標を得た事に安心した僕は、暫くの間失神した。