30.婚約の解消
アレク様と応接室で待っていると、
マルス義兄様がお義父様とお義母様を連れて部屋に入ってくる。
王宮でラファエル様から聞いた話をすると、
お義母様とマルス義兄様はお義父様を軽くにらみつけた。
それに対して、お義父様は汗をぬぐいながら言い訳を始めた。
「いや、二人ともそんな目で見なくても……。
学園に入るまではあの娘もそんな感じじゃなかったんだ」
「マルドレ侯爵家との婚約は公爵が決めたのか?」
「はい。マルドレ侯爵とは友人なのです。
ヴィルマの婚約相手にどうかと言われ……。
身分としてもちょうどいいと思って受けたのですが、
アナベル嬢が学園に入学したころからおかしくなり始めて」
「入学後に何かあったのか?」
「……アレクシス様とラファエル様の存在ですよ。
なまじ同じ学年に王子が二人もいて、
どちらも十八歳になるまで婚約者を決めることはないと知ったから、
自分が選ばれるかもしれないと思ってしまったそうです」
言われてみれば、理解できないわけでもない。
マルドレ侯爵家のアナベル様はその学年では一番身分が高い令嬢。
ジュディット様が入学するまで二年間もあるわけで、
その間に王子と仲良くなれば選ばれるかもしれないと思ってもおかしくない。
だが、それは婚約者がいない場合だと思うけど。
同じように思っているのか、お義母様は目を吊り上げた。
「あなた、そんなのんきなことを言っているから、
今まで婚約解消できなかったのよ?」
「わかっているよ。
だが、王子二人が婚約者を決めたら目が覚めるだろうから、
それまで待ってくれと泣きつかれてしまったんだ」
「いくらあなたの友人の娘であっても、
結婚して苦労するのはヴィルマなのよ?」
「ああ、そうだな。
今回のことはさすがにマルドレ侯爵も許すことはしないはずだ。
今日中に婚約解消を申し込むことにするよ」
「ええ、そうしてちょうだい」
婚約者がいるのに、ラファエル様の婚約者候補になりたがっていたこと、
婚約解消する予定だと両家の話し合いもないままに王子に告げたこと、
どちらもオダン公爵家を馬鹿にしているとしか思えない。
お義母様に叱られ、お義父様は大きな身体を小さくして、
マルドレ侯爵家に送る手紙を用意するために出て行った。
「ヴィルマの婚約者のことでラファエル様にも御迷惑をおかけしましたわ」
「いや、オダン公爵家の責任ではないだろう。
今回の件でヴィルマとの婚約が解消されれば、
クラリスにとってもいいことだと思ったから話したんだ」
「私にですか?」
「ああ。義理の姉になるわけだろう?
マルドレ侯爵家のアナベルとはあまり関わったことはないが、
苛烈な性格だというのは聞いたことがあった。
クラリスと会わせるのは心配だったんだ。
婚約が解消されれば、関わることもない」
「そんな令嬢だったのですね」
私はお茶会に一度も行ったことがないため、
学年が違う令嬢はほとんど知らないままだ。
家庭教師から教えられたので貴族の名は覚えているが、
顔や性格までは知ることはできない。
「もう少し落ち着いたら、お茶会にも出席しましょうね。
オダン公爵家で開く時はバルベナ公爵家とマルドレ侯爵家は呼ばないわ。
クラリスと性格が合いそうな令嬢を呼びましょうね」
「はい、お義母様」
「令嬢や夫人たちとのつきあいかたは夫人にまかせれば大丈夫だろう。
あとは、ラファエルがジュディットを婚約者候補にしてからが問題だな」
「婚約者候補同士が顔を合わせる機会は多いのでしょうか?」
「なくはないな。夜会などでは一緒の王族席にいることになる。
クルナディアから留学生が来たら夜会を開くことになっているし、
そこで婚約者候補としてお披露目をしなければならない。
さすがにその場でもめ事を起こすとは思えないが……ジュディットだからな」
バルベナ公爵家を出て以来、ジュディット様とは会っていない。
お母様があんなに必死に私をバルベナ公爵家に戻そうとするくらいだから、
ジュディット様は怒っているに違いない。
他人がいる場所では私を怒ったりしないと思うので、
夜会の会場では大丈夫なはずだが、控室などで何が言われるかもしれない。
「ああ、だが、ラファエルの婚約者候補になったからには、
ジュディットは学園には来なくなると思う」
「え?」
「母上がジュディットに教師をつけると言っていただろう。
学園に通わせていたら間に合わない。
休ませてでも勉強をし直すと思う」
「学園を休んでも大丈夫なのですか?」
「王妃がそれを認めれば、学園長は何も言えないだろう。
ジュディットとしても、上級クラスの授業にはついていけなかったようだし、
これ幸いと王妃の話を受けるはずだ」
「そうですか。学園は休むんですね」
毎日学園に通い続けていれば、いくら授業の時間がずれていても、
いつかは会うことになると思っていた。
その心配がなくなり、ほっとしていることに気がついた。
自分で思っているよりも、ジュディット様と会うことを恐れていたらしい。
「クラリスは学園での生活を楽しんでいればいい。
特別クラスでの授業の様子は教師たちの間で評判になっていた。
試験の結果も本当の実力だったと認めてくれている。
学生たちに知れ渡るのも時間の問題だろう」
「まぁ、クラリスは優秀なだけではなく、
性格も控えめで真面目ですからね!
すぐに今までの悪評が嘘だってわかりますよ!」
アレク様にマルス義兄様が満面の笑みで答える。
結果的に二人に褒められる形になって、
褒め慣れていない私は恥ずかしくてお義母様に視線で助けを求める。
「クラリス、うれしい時は素直に笑ってもいいのよ。
貴族令嬢は感情を表に出してはいけない、だなんて、
そんなものは建前のことで、誰も守ってはいないわ。
周りの夫人や令嬢を見ても、そう思うでしょう?」
「あ、はい。そうですね」
お母様やジュディット様を思えばそうかもしれない。
私は礼儀作法や社交について家庭教師から習ってはいるが、
実際には何も知らない状態だ。
「クラリスはクラリスのままでいい。
無理に頑張ろうとしなくて大丈夫だから」
「はい、アレク様」
夜も遅くなったので、アレク様は王宮へと帰っていった。
その少し後、お義父様がマルドレ侯爵家へと婚約解消の手紙を送り、
翌日の朝にはヴィルマ義兄様とアナベル様の婚約は正式に解消となった。