第47話 告白する。そして、走る
一人、朱里の病床の横に立つ。本当はこんな時間に面会など出来ないらしいが、無理を言ってお願いしたのだ。運命を変えられなければ、俺は朱里に会えないまま死ぬことになるだろう。今生の別れかもしれない。その覚悟を持って、俺は今立っている。
「なあ、朱里……?」
そっと、頬を撫でた。温かい。心電図のモニターは一定のテンポで音を鳴らしており、人工呼吸器からもスースーと音がする。まだ生きている。朱里はたしかに生きている!
「守ってやれなくて、ごめん。俺のために頑張ってくれたんだもんな」
朱里は何も答えない。依然として目を瞑ったままだ。だが山にいたときよりはいくらか安らかな顔で、静かに眠っている。よかった、あそこで死ぬようなことにならなくて。
この幼馴染を前にして、何を言えばいいのか。これが本当に最後かもしれない。そう思えば言うべき言葉は一つしかなかった。あの時、京都駅で伝えられなかった言葉。それを今、はっきりと言うよ。
「朱里、お前のことが好きだ。世界で一番愛している」
「……」
「これから、俺は朱里の――いや、俺たちの運命を変えてみせる。だから、どうか……どうか待っていてくれよ」
俺はもう泣かない。これから朱里のことを救いに行くんだ。今度こそ守ってみせると、強く誓う。そして、俺は半分に割れた朱里のガラス玉と――自分のガラス玉を取り出した。
「ほら、見ろよ朱里。二つ合わせれば……ちょうどぴったりだ!」
何の偶然か、両者の割れ目がぴったりと合い――一つの玉になったのだ。少し歪な形だが、それでも何かを感じざるを得ない。俺たちにまだツキはある。諦めるには早すぎる……!
「これ、置いておくから。じゃあ、頑張るからね」
そう言って、病床を離れようとしたのだが――後ろ髪を引かれたような気がした。まるで朱里から「置いていかないで」と言われているかのように。そうか、まだ足りないか。俺は踵を返して、再び朱里の側に立つ。
よく考えれば、今ので俺たちは恋人同士……ってことなのか? なんだか照れ臭い。けど、そうだとしたらするべきことがあるよな。昔、外国の絵本に描いてあったのを一緒に読んだもんな。
「ごめんな、失礼するよ」
俺は、朱里の柔らかな頬に――そっと口づけをした。今思えば、キスすらしたことがなかったよな。こんなんじゃ、朱里にまた怒られちまうなあ……。
「さよなら……ってのは変だよな。行ってきます」
後ろを振り返らず、病室を後にする。廊下を通って待合室に戻ると、洋一と近江の姿があった。
「もういいのか、周平?」
「もう吹っ切れた。後はやるだけだ!」
「よっし、お前はそう来なくちゃな!」
***
俺たち三人は病院を飛び出し、ひたすら近江の家に向かって走っていた。もう俺の心臓がどうなってもいい。むしろ明日の一時半まで死なないことが分かっているんだ。どんなに苦しかろうが、死ぬことは絶対にない!
「はあっ、はあっ……ぜいっ……!」
「ちょっと嶋田、アンタ本当に大丈夫なの?」
「いいから、早くしないと……!」
「周平、行くぞ!」
洋一は俺の心配をすることもなく、ひたすら走っている。そうだ、お前はよく分かっている。俺の望みは心配されることじゃない。一刻も早く近江の家にたどり着くことなんだ!
痛いほど締め付けてくる胸。ああ、本当に死期が近いんだな。だがもう絶望はしない。いや、今更絶望したって仕方ない。絶望なんかを見ている暇がないほど、この世には希望があふれているのだから!
ひたすら、ひたすら走り続けた。もう時刻は夜十時を過ぎたところ。こんな時間に三人で走るなんて、間違いなく青春と呼べるだろうな。
「こら、そこの君たちー!」
「えっ?」
「止まりなさい! 今何時だと思っているんだー!」
快調に走っていたところ、自転車に乗っている警察官に止められてしまった。そりゃあ、ずぶ濡れの制服姿の高校生が夜十時に全力疾走してたら補導の対象だよなあ。だけど今はそんなことを気にしている場合じゃない!
「その、時間がないんです!」
「時間って何の――」
「俺、余命があと三時間半なんです!」
「は、はあ?」
「じゃ、そういうことで!」
「ま、待ちなさーい!」
警察官の脇をすり抜け、洋一たちと共に再び走り出す。誰も俺たちを止めることなど出来ない。ああ、恋に生きている。俺たち三人は恋に生きている!
「いいのか周平、あんなことしてー?」
「いいだろ洋一、分かってんだろ!」
「あはは、だけど制服で学校が割れるぞ?」
「構うもんか!」
「仕方ねえなあ、一緒に怒られてやるよ!」
「ちょっ、アタシまで巻き込むなし!」
ああ、本当にコイツらが一緒で良かった。この二人がいなければ、もう一度運命を変えようなどと思わなかっただろう。俺は死に、朱里も死ぬ。それだけだったはずだ。
だが、俺は未だに走り続けている。大好きな朱里のため、あと三時間半の寿命を惜しみなく費やしている。何の後悔もない。最後の晩餐? いらん! そんなもんより大事なものが、今目の前にある!
「着いたー!」
そしてようやく、俺たちは近江の家に着いた。三人そろって鳥居の下に立つ。たしかにあのジジイは「近江の神社と対になるのがこの神社」などとぬかしていた。となれば、ここにいる神はジジイと対等な力を持っているはずだ。
「周平、どうするんだ?」
「そうだな……本殿の方に行って、神を呼び寄せるしかない」
「アタシ、鍵取ってくる! 場所は知ってるから!」
「ありがとう近江、恩に着るよ」
近江がいてよかった。朱里、洋一、近江。三人のうち誰かが欠けていれば、運命に挑むことすら出来ていなかった。友人というのは世界一の財産だと、強く思う。
「あったー!」
間もなく、鍵を携えた近江が戻ってきた。これで準備は整ったわけだ。気が付けば、今の時刻は夜十時半。タイムリミットはあと三時間というわけか。
「二人とも、いいか?」
「ああ」
「うん。いいよ」
すうと息を吸い込んだ。運命を変える、そんなこと難しいに決まっている。だけど挑戦するしかない。そのために――俺はここに立っている!
「行こう!」
地面を踏みしめ、拝殿に向かって歩き出した――




