第44話 報われる
死ぬのは――俺だった? な、なんだよおい。ジジイ、どこまで俺のことを愚弄する気だよ……! 俺は道化か? 幼馴染の死を肩代わりした、その決意すらまがい物だったと言うのか?
「騙してたのか!?」
「人聞きが悪いのお。噓も方便という言葉を知らんのか」
「はあ?」
「ワシはな、お前を焚きつけたんじゃ。娘との縁を切るようにな」
「た、焚きつけた?」
「お前は娘の死を引き受けて、いわば英雄の気分だったはずじゃ。それでいろいろと努力したじゃろう? その結果、お前は運命を変えることが出来たんじゃ」
「……そうかよ」
たしかに、俺はどこか悲劇のヒロインのような気分だった。幼馴染の身代わりになり、円満に別れる方法を模索していた。だからこそ、朱里との縁を切ることが出来た……ジジイはそう言いたいのだろう。
どこまでも、どこまでもコイツの手のひらの上で踊らされていたのか。腹立たしいという感情すら起こらない。……待て、そもそも俺はどうして死ぬことになっているんだ?
「一つ聞いていいか?」
「なんじゃ?」
「俺はなんで死ぬんだ?」
「ふぉっふぉっふぉ! なんじゃ、気づいておらんかったのか?」
「えっ?」
人型の像が動き出し、俺の胸を指さした。心臓? たしか心臓に悪いものがついてるとかなんとか言ってたよな。だけど病弱だった朱里とは違って、俺はもともと健康体そのものだったはず。思い当たる節がない。
「何と言ったか……棒と球を使う遊びがあったじゃろう?」
「野球のことか?」
「そう、それじゃ!」
「……それが何だ?」
野球? 俺、帰宅部だぞ? 直近で野球なんかしたのは、球技大会の時だけ……いや、まさかな。たしかにサードを守ったとき、左胸に打球が直撃したことがあった。けど、まさか――
「胸に球が当たり、お前の心臓には小さな綻びが出来たのじゃ。医者も見つけることの出来ない、小さな小さな綻びじゃがな」
「う、嘘だろ?」
「近頃お前が感じている苦しみも、綻びが広がっているせいじゃ。――そして、その綻びは間もなくちぎれる。それがお前の命取りになるのじゃ」
「なっ……」
俺が死ぬことになったのは、ジジイに身代わりを申し出た時じゃない。あの球技大会の時だったんだ! そうか、そういうことか。球技大会の後にコイツが現れたのは、俺の運命が確定したタイミングだったから。そう考えれば辻褄は合う。
「ジジイ、お前は知っていたのか?」
「無論じゃ。あの球遊びでお前が死ぬ、という未来は初めて会った時から見えておった。それであの日、改めてお前に知らせに行ったのじゃ」
「なんだよ、それ……」
この一か月間、俺は何のために頑張ってきたんだろう。何を恨めばいい? 俺を三塁手に起用した洋一か? 朱里にいいところを見せようと背伸びした俺自身か? ……なんて、無駄な話か。誰も俺を殺そうとしたわけじゃない。こんなことを考えたところで慰めにしかならないよな。
朱里は今も目を覚ましていない。大雨に打たれながら、必死に生き延びようと息をしている。俺のせいでこんな目に。俺と結ばれることを願って、ここまで足を運んだんだよな? 朱里、ごめんな。……俺とお前の縁が悪縁だったなんて、信じられないよな。
「なあ、ジジイ」
「なんじゃ?」
「俺がしてきたことって、無駄だったのか……?」
「ふぉっふぉっふぉ! 何を言う、お前はよくやったと言ったじゃろう?」
「だって、俺のせいで朱里が!」
「お前の努力が娘の延命に繋がったんじゃ。誇るがいい」
「さっきから延命延命ってなんだよ!? 明日の昼に死ぬってのに――」
そう言いかけたところで、ピンと来た。明日の昼で死ぬってのが延命だとすれば、本来はもっと早く死ぬはずだったってことか……?
「……まさかとは思うが、朱里の寿命も明日までだったのか?」
「そのまさかじゃ。まあ、お前には伝えてもよかろう」
「へっ?」
前に会ったときと同じように、ジジイは帳面を取り出した。あれって……俺の死ぬ日付が書いてあった物だよな。ってことは、朱里の本来の命日も書いてあるのか。ジジイは帳面を読みながら、感心したような声を上げた。
「ううむ……やはり、お前はよくやったの」
「何がだよ!?」
「梅宮朱里の本来の死について、じゃ。いいか」
想像したくもないが、ここは聞くしかないだろう。どうして明日死ぬはずだったのか。俺は心臓のせいで死ぬとして、朱里が死ぬ理由などないはずだが……。
「令和六年、十一月六日午前八時二分。道に飛び出したところを車に撥ねられ、即死」
「……は?」
車? 交通事故? いや、違う。朝練のある日、朱里はもっと早く登校するはずだ。その時間に道なんか歩いていない。
「お、おかしいだろ!? なんで朱里が車に轢かれるんだよ!?」
「違う。その娘は『飛び出した』と言ったじゃろ?」
「はっ?」
「明日の朝、隣家……すなわちお前の家の騒ぎを聞きつけた娘は、そこでお前の死を知ることになったはずじゃ」
「それで?」
「娘はひどく悲しむ。そして――後を追うんじゃ」
「あっ……」
……全身の力が抜けていくような感覚だった。どうして気がつかなかったんだろう。自分で言うのは恥ずかしいが、朱里は俺のことをとても愛していた。それもきっと、俺には想像もつかないくらいに愛していたのだろう。だから、俺が死んだらその後を追ってしまうんだ。
「さっきから何度も言っているじゃろう? お前はよくやったんじゃ」
「……縁が切れたから、朱里が俺の後を追うことが無くなったってことか?」
「そういうことじゃ。お前と悪縁で結びついたままでは、娘まであの世行きだったんじゃよ」
さっきジジイが言っていた「災い」とは、朱里の後追いのことだったのか。つまり、コイツはそれを避けるために俺に助言をしたというわけだな。
「なあ、教えてくれ。俺は本当に朱里の運命を変えたのか?」
「ああ、そうじゃ。お前の一か月は無駄じゃない。むしろ価値のあるものじゃ」
「それって、つまり――」
俺が顔を上げると、像の顔がやや和らいだかのように見えた。それは本当に神々しくて――コイツがただのジジイでないということを嫌でも分からされてしまう。そして、ジジイはまるで子どもを褒めるように口を開いた。
「縁切りによって、お前は四時間も娘の寿命を延ばしたんじゃ。ワシのような神ではなく、お前という人間の手でな」
「よ……四時間……?」
この一か月の成果が――たったの四時間。俺は報われたのだと、ジジイはそう言いたいんだよな? そんな残酷なことってあるかよ。朱里はこの後、明日の昼まで生き地獄を味わう。目を覚ますことも出来ず、きっと痛みに苦しむことになるのだろう。それが……俺が必死になって手に入れた運命なのか?
「おや、そろそろかの。じゃあの、周平」
「ま、待てっ……!」
用件は伝え終わったとばかりに、ジジイの像はあっという間に霧散してしまった。いつの間にか日は沈みかけていたようで、周囲はかなり暗い。俺はやりどころのない感情を抱えたまま、その場に立ち尽くす。
「しゅ、周平……」
「あはは……あーっはっはっは!!」
「周平!? どうしたんだよ、周平!?」
気が付けば、俺は両手を広げて天を仰いでいた。両方の目から涙を流し、自らの感情をぶちまける。
「俺は死ぬんだ! しかも朱里を救うことすら出来ずに!」
「周平! しっかりしろ!」
洋一が俺の身体を揺さぶってくる。だが、もはや何をされても感じることがない。ちくしょう、ちくしょう……!
「嶋田周平はまことの道化でござい! あはは! あーはっはっはっは! あーはっは……!」
「周平……」
一生分の涙を流して、再び膝から崩れ落ちる。――救助隊がやってきたのは、それから間もなくのことだった。




