第42話 恋の神を呼びつける
「げほっ、げほっ……はあっ……」
「おい周平、大丈夫か?」
「お、俺のことは気にするな……あと少しだ……」
死にそうな思いをしながら、洋一とともに小学校の裏山を走っていく。もう心臓は限界に近いのかもしれない。ひょっとして、この行動が俺の命取りになるかもしれない。それでも、朱里のためなら。
それにしても、何の文句も言わずについてきてくれた洋一には感謝しかない。ずぶ濡れの制服に身をつつみ、泥沼とすら言える地面を走ってくれている。やはりコイツが親友で良かったと、心から思う。
「なあ、神社ってのは本当にあるのかよ?」
「ある。朱里と行ったことがあるんだ!」
疑問に思うのも無理はないだろう。こんな山奥、それも道から外れた場所に神社があるとは思わないのが普通だ。頼む朱里、近江の家に行っていてくれ。こんな場所には来ないでいてくれ……!
「周平、あれ見ろ!」
「あれは……」
洋一が指さしていた先では、土砂崩れが起きていた。やっぱりこの雨じゃこうなるか。あの神社も無事なのかどうか――
「あ……」
土砂の向こうに、屋根がひしゃげた小屋のようなものがあった。見覚えがある。斜面を転がり落ちた朱里を助けに行ったとき、たしかあんなものがあった。そう、まるで祠のような。
……待て。建物の向こうに誰か倒れている。あの髪、忘れるわけもない。――体中から、血の気が引いていくような思いがした。
「あ、朱里いいいっ!!」
心臓のことも忘れて、猛然と走り出す。嘘だ、嘘であってくれ。こんなことはあってはならない。なぜだ? なぜ? 俺は朱里の死を肩代わりしたはずなのに。どうしてこんなことが起こる? ……くそったれ!
「朱里っ!!」
「梅宮さん!!」
俺と洋一が神社にたどり着くと、朱里は下半身が土砂に埋もれた状態で、背中から祠に突っ込むようにして倒れこんでいた。ボロの木製小屋だからか、その勢いで盛大に壊れてしまったようだ。どうやら土砂崩れに巻き込まれたところを、祠のおかげで流されずに済んだらしい。だが朱里の顔色は悪く、鼻から血も出ている。
「朱里っ! しっかりしろ! 朱里っ!」
朱里の肩を引っ掴み、泣きそうになりながら必死に揺さぶった。幸いにしてまだ息はあり、心臓も動いているようだ。だが何度呼びかけても答えてくれない。頭を強く打ったのか? どこか怪我しているのか?
「よ、洋一! 掘り出すぞ!」
「だめだ、下手に動かせばまた土砂が崩れる! 俺たちも巻き添えになるぞ!」
「……くそっ!」
「俺は救助を呼ぶから、お前は梅宮さんの側にいてやれ!」
「あ、ああ!」
洋一は携帯を取り出し、急いで電話をかけていた。俺は朱里に寄り添うように、地面に手をつく。青白くなっていく顔と、ぴくりとも動かない体。俺はここにいる。すぐそばにいるのに――何も出来ない。どこまで俺は無力なんだ。昔、朱里のことを守ると誓った。……それなのに、守ってやれなかった。
「なんでだよ……!」
気づいたときには、俺は涙をぼろぼろと流していた。透明な水滴が朱里の頬に落ちていく。しかしそれも雨粒と混ざり、どれが涙か分からなくなってしまった。ああ、なんでこんなことに。どうして朱里がこんな目に。こんなのって、ないだろ……!
死ぬのは俺だったはずだ。俺の命と引き換えに、朱里はこれからも人生を歩み続ける。そのつもりで神に申し出たんだ。嘘だろ? あの神に嘘をつかれたのか? 信じた俺がバカだったのか? ……それとも、俺が告白を断ったせいなのか?
朱里のため、そう思って一か月間考え続けた。その結論が「朱里を振る」ことだったはずだ。それがもし、過っていたとするなら。考えたくもない。自分の死を覚悟して、幼馴染のために努力してきたことが――全てただの自己満足だったってことか?
なんだよ、それ。いったい何のために頑張ってきたんだよ。それとも努力が足りなかったのか? もっと朱里のことを考えればよかったのか? ああ、後悔してもしきれない。
なあ、神様。……いや、クソジジイと呼ぼうか。お前、言ったよな。「お前はまだ『何も』成しえていない」って。いい加減、その意味を聞こうじゃないか。俺は死ぬ、朱里も死にかけている。このクソッタレな状況の意味を、お前に問うてやろうじゃないか!
「周平、救助が来るみたいだ。それまで――って、どうした?」
俺はすっと立ち上がり、キッと天を睨んだ。どうせ見てるんだろ? だったら堂々と呼び出してやろう。いっつも睡眠妨害ばかりしてくるんだから、たまにはこっちから呼びつけてやっても文句はないはずだ。
「いるんだろー!! 恋の神ー!!」
「……はっ? 周平、何言ってんだよ?」
「いいから出てこい!! お前、何が目的なんだー!!」
「周平!! こんな時に何ふざけて――」
「ふぉーふぉっふぉっふぉ!!」
「うわっ!」
あまりの眩しさに、洋一は手で目を覆った。曇り空を晴れ渡らせてしまうほどの光が、俺たちの上から降り注いでくる。そして、見覚えのある人型の像が――目の前に現れた。
「な、なんだお前!」
「おや? そこの小僧は神を見るのは初めてかの?」
洋一は恐怖してその場にへたり込んでしまった。だが今は親友のことを気にしている場合ではない!
「クソジジイ、てめえに用がある!」
「おや、やっぱりお前には信仰心が足らんのお」
「うるせえ! 誰がてめえなんか!」
「それで、何の用かの?」
クソジジイはしらじらしく問うてきた。コイツだけは絶対に許さん。俺は朱里の方を見て、説明を求める。
「これ、見ろよ!」
「ああ、その娘かの?」
「なんでこうなるんだよ! 説明してくれよ!」
「ふぉっふぉっふぉ、なるほどなるほど。お前はとうとう成し遂げたんじゃの」
「成し遂げたって、何がだ!?」
これほどまでにはらわたが煮えくり返ったことはない。怒りという感情で脳内が支配されつつあったころ、ジジイは嬉しそうに口を開いた。
「お前はその娘の運命を変えた。褒めてやろう、人間が運命を変えることなど滅多にあることでない」
「だから!! 何が言いたいんだよ!!」
「心配するな、その娘は明日の昼までは持つ。すぐには死なん」
「へっ……?」
崩れ落ちるように、地面に座り込む。明日の昼まで……って、冗談だよな? 本当に朱里も死んじまうのか? 俺が……俺が身代わりになった意味って、なんだったんだ? なあ、この一か月の成果がこれなのか?
朱里の顔を見る。目を瞑り、苦しそうに息をするばかりで何も言わない。だけど、生きてはいる。間違いなく生きているんだ。それなのに、明日の昼には――死んでしまうのだ。こんなの、あんまりじゃないか……!
「おい、ジジイ。……俺はいったい、何を成し遂げたんだ?」
「さっきも言ったじゃろ? その娘の運命を変えたのじゃ」
「それじゃ分かんねえよ! なあ、何が運命なんだよ!」
「よく聞け、若人――いや、周平よ。お前は」
再びもったいぶるジジイ。なんだよ、なんなんだよ。ああ、もどかしい――
「『縁切り』を成し遂げ、娘の延命を果たしたのじゃ。よく頑張ったの」




