第40話 最後の登校日を迎える
今日は十一月五日。Xデーの前日だ。俺は無事に寝坊することなく起床し、学校に向かって歩いていた。この通学路を歩くのもこれで最後か。目に映る景色、何もかもが懐かしい。
「おう嶋田、おはよう!」
「ういっす」
クラスメイトが、俺のことを自転車で追い越す間際に挨拶をくれた。アイツとも今日でおさらばだな。空を見上げればあいにくの曇り空。……まあ、死ぬ前日に快晴というのも微妙かもしれないしな。
学校に着いたら泣いてしまうかもしれない。修学旅行が終わり、他の皆はまた普段通りの日常に戻る。だが俺はそこから置いていかれるのだ。たった一人、俺だけが京都の思い出に取り残されていく。
「ねー、京都楽しかったねー!」
道の先で、女子の集団が和気藹々とおしゃべりを楽しんでいた。俺だって修学旅行は十分に楽しんだ。そのはずなのに、最後の最後で――大きな過ちを犯してしまったのだ。そのことが、ただただ悔しい。
通学路の余韻に浸る間もなく、校門の前に到着してしまった。この中に入れば、最後の一日が始まる。俺に残されている時間は二十時間にも満たない。すうと息を吸い込んでから、ゆっくりと足を踏み入れた。
昇降口で上靴に履き替え、廊下を歩く。教室に行けばみんながいる。そして――朱里もいる。呼吸を整えて、今は落ち着くしかない。そして、教室の前に差し掛かろうかという時、洋一と近江の姿が見えた。
「おはよう、周平」
「……お、おはよう」
「……」
洋一は相変わらずの笑顔だったが、近江は俺のことを無言で睨んだ。当然の対応だろう。この二人も裏切ってしまったのだ。俺が死んだ後、洋一たちは何を思うのだろうか。
「よしっ」
意を決して、教室の扉を開けた。あちこちに散らばって雑談を交わすクラスメイトたち。否が応でも、その中にいる幼馴染の姿を見つけてしまう。……朱里だ。
「……」
俺は何も言わず、その横を通り過ぎて自分の席へと向かう。朱里は思いつめたような顔をして、無言で俯いていた。胸が締め付けられるような思いだが、もう何も言えない。俺は朱里との別れを済ませたんだ。……済ませた、はずだったんだ。
自分の席について、鞄を置いた。最後の授業が始まる。今日くらいは真面目に受けようじゃないか。もっとも、俺の成績表が埋まることは――もう、二度とないのだけど。
「お前ら、席につけー」
担任が教室に入ってきて、ホームルームが始まったのだった。
***
「じゃあなー、嶋田ー!」
「おう、またなー」
また、という機会が存在しないことなど分かっているのに、ついくせでそう答えてしまった。これといって特に何が起こるでもなく、今日の授業は全て終わった。意外と呆気ないものだな。俺は放課後の教室を見回してみる。
「ん……」
どうやら朱里は既に帰宅したようだ。他の生徒達も次々に教室を出ていく。昼過ぎから土砂降りの雨が降ってきたこともあり、今日は全ての部活が中止になったのだ。道が冠水する前に早く帰りなさい、ということらしい。
クラスメイトに最後の挨拶を、という気にはならなかった。あらたまって「お元気で」などと言ったら怪しまれてしまうし、そもそもそんな気力がなかったのだ。昨日見た夢のように、死んだ後に葬式で会えればそれでいい。みんな、さようなら。また会う日まで、どうかお元気で。
席を立ち、出口へと向かう。教室を出る間際、俺は振り返ってぺこりと礼をした。この学び舎ともおさらばだ。明日から俺の机には花瓶が置かれるのかな。水くらいはちゃんと替えてくれるといいな。少し烏滸がましい心配をしながら、鞄から折り畳み傘を取り出し、昇降口へと歩き出した。
***
「はあー……」
誰もいない自宅に帰りつき、居間のソファにごろんと寝転がった。今の時刻は十六時前。俺が死ぬのは明日の午前一時半くらいだから、あと九時間半とちょっとだな。ここに来て、意外と心が落ち着いてきたな。最後の最後で「受容」の段階に至ったというわけか。
テーブルに置かれたお茶とお菓子をちらりと見る。両親には京都のお土産と言って渡したが、本来の目的は違う。死ぬ前、最後に口にしようと思って自分のために買ってきたものだ。死刑囚だって、処刑の直前に菓子を食べられるらしいからな。俺にも人生の最後に砂糖の甘みを感じる権利くらいあるだろう。
「眠いな……」
人生があと僅かしか残されていないのに、眠気が襲ってきた。昼寝なんかで時間を使うのはもったいない気もする。だが、これといってすることもないしな。何か考え事をしてしまうくらいなら、いっそのこと寝てしまうのもありかもしれない。そっと目を瞑り、無心でいようと努める。
「……」
ゆっくり、暗闇が目の前に現れる。おやすみ世界。もう一度だけ目覚めた後、最後の晩餐といこうじゃないか。そうだ、そうしよう……。
「……んあ?」
眠ったと思っていたのに、目の前が明るくなった。この光は――あのクソじじい? いや、人型の像が現れていない。光だけが降り注いでいる。不思議に思っているうち、再び暗くなってしまった。
「……?」
なんだ、死ぬ前の挨拶に来たのかと思ったのに。つばの一つでも吐きかけてやりたかったが、残念だったな。昼寝の邪魔だけしやがって。まったく――
「ん?」
その時、玄関の呼び鈴の音がして、目を覚ました。なんだ? こんな時に。大雨なんだから宅配便だって今日はお休みでいいだろう。まったく、業者の人もご苦労なことだな。眠い目をこすりながら立ち上がり、玄関の方へと歩き出した。
「あれ」
再び、呼び鈴の音。なんだなんだ、そんなに呼びつけてどうしたんだろう。もしかして速達? それともいまどき電報? まさかな――
「おい!! 周平いるか!!」
「えっ?」
聞こえてきたのは玄関の扉を叩く音と、洋一の必死な声。これはただ事じゃない、俺は慌てて走っていき、扉を開けた。
「ど、どうしたんだよ?」
「う……梅宮さんが……」
「え、朱里がどうかしたのか?」
「いや、さっき……道ですれ違ったんだけど……」
洋一はびしょ濡れの制服姿で、はあはあと息を切らしていた。傘を忘れたのか、それともそれどころでない事態なのか。
「なんだか思いつめた顔でさ……話しかけたら、『恋の神社に行く』って言ってて……」
「こ、恋の神社?」
朱里、もしかして――俺との恋愛成就を願って、神頼みに? それにしても、恋の神社ってなんだろう。もしかして近江の家のことか?
「近江の家に行ったってことか?」
「お……俺もそう思ったよ……でも梅宮さん、長靴にレインコートだったんだよ……」
「へっ?」
「『山の方にある』って言うんだけど……お前、何か知らないかと思って……」
「山……」
山と言ってもここは住宅街。そんなものほとんどないが……。いや、待てよ。子供の頃、朱里と学校の裏山によく行ったもんだ。たしか、妙な神社を訪れたことがあった気がする。朱里が怪我をして、助けに――
「あっ!!」
「しゅ、周平?」
「洋一、ついてこい!!」
「ど、どうしたんだよ周平!?」
俺は靴を履き替えると玄関を飛び出した。朱里、頼むから近江の家に行っていてくれ。頼むからあそこには行ってくれるな! こんな雨の日に行けば――
「朱里が、朱里が……!」
無我夢中で、大雨の中を駆けていった。
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