第39話 手紙を綴ろうと試みる
……暗い。目の前が真っ暗だ。しかも身動きが取れない。というか、体が動かない。どこなんだここは。箱の中?
「息子さん、心臓だったんですって?」
「ええ……。朝起こしにいったら、もう事切れてて……!」
「お、奥さんしっかり……!」
外の方から母親が泣き崩れているのが聞こえてくる。そしてクラスメイトのものらしき声もちらほらと。ああ、分かった。……俺、死んだんだ。
「まさか嶋田が……」
「信じらんないよ……」
俺のことを悼む声。意外と皆が自分のことを大事に思っていてくれたことを知り、安堵する。わざわざ葬式に来てくれるなんて、嬉しい限りだな。
「間もなく最後のお別れでございます。皆様、どうか周平さんをお見送りください」
司会者らしき人物がアナウンスした。これから火葬場で焼かれて、本当に空の上に行くんだなあ。まさかこんなに若くして死ぬとは、未だに自分でも信じられない。
やり残したことなど、ない。仮にあったとしてもどうしようもない。こんな亡骸で何が出来ると言うのだろうか。そう、後悔なんて――
「あ、朱里ちゃんっ!?」
その瞬間、母親が驚く声が聞こえてきた。棺の窓が開いたらしく、目の前がぱーっと明るくなる。眩しいと思う間もなく、大きな声が響き渡った。
「しまちゃんのばかーっ!!」
朱里の声だ。目の前はただ眩しいばかりで、どんな顔をしているのかは分からない。だけど、きっとくしゃくしゃの顔をしているのだろう。……京都駅で見たのと、同じような顔を。
「ばかっ! ばかっ! なんで死んじゃうのお……」
悲痛な泣き声。その嗚咽は俺の心にもぐさぐさと突き刺さる。
「わだし、好きだった! 好きだったのにい……! 置いてくなんてひどいよ……! ねえ、しまちゃん……!」
どうしようもない。どうしようもないんだ。もう終わったんだ。朱里、頼むから何も言わないでくれ。それ以上言えば――俺は、この世に未練を残したままになる。お願いだ、朱里……!
「なんで好きって言ってくれなかったの!!」
「はっ!!」
――顔を上げると、俺は自室の机の前に座っていた。下を見ると、そこには涙で濡れた便箋が数枚。どうやら突っ伏して寝てしまっていたらしい。夢か……。
「はあ……」
深く息を吐いた。置いてあるデジタル時計を見ると、そこには「11月4日(月) 23:13」の表示。そうか、修学旅行が終わって三日も過ぎてしまったんだなあ。今日は祝日なので、明日が俺にとっての最後の登校日というわけだ。
「……」
部屋を見回すと、不要な物はまとめられており、床には塵一つ落ちていない。京都から帰ってきてから、俺は「終活」を行っていた。部屋の大掃除をして、口座に貯めていたお年玉を全部下ろした。そして、携帯に保存してある二枚の写真を印刷して、机の引き出しにそっと忍ばせておいた。
最初はどの写真を選ぶか迷った。洋一が奈良公園で撮ってくれた写真と、朱里が清水寺で撮ってくれた写真。自分で散々悩み抜いた末、選べなかったので両方を刷ることにしたのだ。きっと家族が最良のものを選んでくれるだろう。……そう、「遺影」として。
ここ三日間、人生の終わり支度に集中していた。もちろん、残された者に迷惑をかけないようにという思いもあった。しかし――そうでもしないと朱里のことを思い出してしまうから、というのが本音であった。
朱里との別れは、はっきり言って失敗に終わった。俺への想いを抱えたまま、アイツは悲劇を迎えようとしている。俺はこの一か月でひどく朱里の心を痛めつけてしまった。それなのに、自らの死でなおのこと追い打ちをかけようとしているのだ。史上最低の男と言ってもいいかもしれないな。
隣の家に行けば、朱里と会うことなど造作もない。だが、俺は語る言葉を持たないのだ。いまさら何を言ったところで、朱里の心の傷を深くするだけ。だったら何もしない方がいい。
「はあ……」
再びため息を吐きつつ、俺はペンを手に取った。朱里とうまくお別れが出来なかったこともあり、俺の心は「死」に対する恐怖で満たされていた。自分の身体に異変が起こっていることも、修学旅行の時から分かってはいた。だけど怖いものは怖い。自分の心がいかに未熟で、子どもなのか。まざまざと実感させられた。
せめてもの抵抗として、病院に行ったりもした。しかし、必死に自らの身体の症状について訴えたものの、いざ検査をしても「異常なし」との診断だった。やはり恋の神とやらに宣告された寿命には逆らえないらしい。机の隅に置かれた長寿の御守りを見るたび、どうしようもなく切なくなる。
「……」
無言で、便箋に言葉を書き連ねていく。遺書は書かないと決めていたはずなのに、気づけばコンビニでペンと紙を買っている自分がいた。死への恐怖から、少しでも自分の言葉を吐き出して安心したかったのかもしれない。
「先立つ不孝をお許しください。私、嶋田周平は……ああああああっ!!」
大声で叫び、力任せにペンを放り投げ、便箋をくしゃくしゃに丸めた。恐怖と後悔と絶望と。ありとあらゆる思いが波のように押し寄せてきて、自分でも対処しようがなかったのだ。そして、俺は涙を流す。はあはあと息を切らしながら、行き場のない感情を必死に飲み込もうとしていた。
「死にたくない……死にたくない……!」
席を立ち、壁をどんどんと叩く。こんなことをしても無駄だとは思っている。幼馴染と満足に別れることすら出来なかった。神の定めた運命に対し、俺という存在はあまりにも無力だった。無力。ああ、どうしてこうなったんだ……。
「ちょっとー、さっきから大丈夫ー?」
その時、母親が階段を登ってくる足音がした。あまりに騒いでいたものだから、心配して様子を見に来たようだ。もう会えなくなるのは朱里だけではない。父さんと母さんもだ。まだ高校二年生の俺は、親との別れに際して笑顔でいられるほど大人ではなかった。俺は部屋の扉越しに、母親に対して返事をする。
「ああ、大丈夫だよ。もう寝る」
「そう? 明日寝坊しないでね」
「分かってるよ。おやすみ」
「うん、おやすみ――」
「あっ、待って母さん」
「えっ?」
落ち着け。死ぬことを告げるわけにはいかない。でも、これ以上の後悔はしたくない。せめて、一言だけでも。
「いつもありがとう、母さん」
「やあだ、何よ急に? ちゃんと寝なさいよー」
階段を降りていく足音が聞こえる。母親と話して、少しだけ落ち着くことが出来た。今の会話でもう遺言には十分だろう。俺は丸めた便箋を広げたあと、ビリビリに破いて口の中に入れた。死後にゴミ箱を漁られて、こんな遺書もどきが見つかっても困るからな。もしゃもしゃと噛んだあと、思い切り飲み込んだ。
「……寝るか」
泣いても笑っても、明日が学校に行く最後の日。せめて遅刻しないように、今日はもう床に就くことにしよう。
俺の命日まで――あと、二日。




