第35話 運命を分かつ日が始まる
「ふああ……」
あくびと共に目を覚まし、身を起こす。周囲を見回せば、そこにあるのは雑魚寝するクラスメイトたちの姿。今いる宿では畳敷きの大広間で寝ることになっていたのだ。どうやら俺が一番乗りで起きてしまったらしい。
「……」
他の連中を起こさないように、そっと布団を抜き出し、窓の方へと歩いていく。障子をそっと開けると、見えたのは朝早くの京都の街だった。
「京都に来たんだな……」
昨日も京都市内の寺を皆で訪れたわけだから、初めて来たわけでもない。だがじっくりと観光するのは今日が最初だ。そして――最後でもある。
京都は不思議だ。ここにいるだけでも、どこか心の琴線に触れるものがある。街の空気がそうさせているのかもしれない。
「おう、早いな周平」
「洋一……」
いつの間にか、親友のイケメンも起きてきたようだ。俺と同じように街の景色を眺め、感慨深そうにしている。そしてクラスメイトたちを起こさぬように、静かに口を開いた。
「もう今日で終わりか。意外と早かったな」
「まあな。呆気ないもんだな」
「周平。……返事、するのか?」
洋一は優しい。「振るのか」ではなく「返事をするのか」と問うてくるあたり、俺の気持ちにとことん配慮している。
「返事するよ。ありがとな、いろいろと」
「別に、俺は何もしてないさ」
そんなわけない。朱里の告白を後押しして、球技大会では俺を目立つように気を回してくれた。その他にもいろいろと、数え切れないくらいの手助けをくれたんだ。それがどんなに嬉しかったことか。そして――それを裏切ることが、どんなに申し訳ないことか。
そろそろクラスメイトたちも目覚め始めたようで、徐々に布団から出る人間の数が多くなっていった。さて、朝飯の時間か。
「飯行こうぜ、洋一」
「そうだな」
「今日は歩き回るからいっぱい食べないとな~」
「ははは、元気だな」
俺は洋一を引き連れ、朝食の会場に向かったのだった。
***
「食べ過ぎた……」
「気合い入りすぎだよ、周平」
朝飯で膨らんだ腹をさすりながら、ホテルの玄関に向かって歩いている。朱里や近江とは外で待ち合わせているので、合流しようというわけだ。いよいよ三日目、京都での自由行動が始まる。
「あっ、しまちゃーん!」
「遅いぞ洋一!」
「悪い悪い、周平がいっぱい食べるからさ」
「……うっぷ」
思わずげっぷをしながら、女子二人のもとに到着した。今日は清水寺や伏見稲荷といった名所を巡る予定で、朱里も特に楽しみにしていた日のようだ。
「じゃあ行きましょうか!」
「行くか! うっぷ」
「ねえ嶋田、それなんとかならないの?」
それにしても、今日は随分といい天気だ。風も心地よく吹いていて、優しい日差しが俺たちのことを照らしている。まさに秋晴れだ。朱里との最後の思い出を作るには――絶好の天気と言っていいだろう。
……最後の思い出、か。意識しないようにしていたけど、改めて考えると胸が締め付けられるような思いだ。隣を歩く朱里は、まだ何も知らない。これから自分の恋が終わることも。そして――幼馴染と永遠に分かたれる運命にあることも。
「しまちゃん、お昼ご飯はどうする?」
「お腹いっぱいで考えられない」
「も~、食べ過ぎだよ」
クスクスと笑うその顔はとても可愛らしい。いや、いつだって俺の幼馴染は可愛いんだ。世界一と言ってもいいだろう。付き合えないと告げれば、この顔がどんな風に変わってしまうのか。想像したくもない。
「ねえ、しまちゃん」
「なに?」
その時、朱里がそっと背伸びをして俺の耳もとに顔を寄せてきた。なんだろう? 不思議に思っていると、朱里は小声で呟いた。
「私、いつでも待ってるからね」
思わず声の聞こえた方に向くと、朱里は何食わぬ顔で歩いていた。しかし俺が視線を向けたことに気づいたようで、少しだけ顔を赤くしてはにかんだ。朱里は待っている。俺のことを待ってくれているんだ。
もう修学旅行の最終日となってしまった。そして朱里が隣を歩いてくれる幸せな時間も、今日をもって終わる。十数年に及ぶ朱里との付き合いに蹴りをつけ、この世とは永遠におさらば。その瞬間が訪れようとしているのだ。
「修学旅行が……」
「なに? しまちゃん」
「修学旅行が、終わらなければいいのにな」
初日に呟いた台詞をもう一度口にする。終わってしまう。全てが終わってしまうのだ。修学旅行も、朱里との思い出も、俺の人生も。その運命に抗えないことなど分かっている。分かっているはずなのに――まだ朱里と生き続けていたい、という感情に嘘はつけなかった。
「……私も、終わってほしくないな」
「そうなの?」
「うん! しまちゃんと一緒だから、楽しいもん!」
朱里は満面の笑みを浮かべる。俺の幼馴染にとって、既にこの修学旅行は最高の思い出になっているようだ。その点はひとまず良かった。そうでなければ、返事をここまで先延ばしにした意味がないもんな。
どうか朱里が、この思い出をずっと忘れないでいてくれますように。恋の神とやら、聞いてるか? せめてこれくらいは叶えてくれるよな。
届かぬ願いを唱えながら、京都の街を歩いていった。




