第34話 親友と語る
結局、頭がふわふわしている間に集合時間となってしまった。法隆寺に来られるのも最初で最後だろうから、もっと堪能したかったのだけど。それどころではなかった、と言えばそうなんだけどさ。
貸切バスに乗り込んで出発を待つ。これから京都に向かい、午後はどこかの寺でお坊さんの話を聞く予定だ。隣の席には洋一が座っている。
「皆さま、出発いたします。シートベルトをお締めになって……」
運転手のアナウンスとともに、バスはゆっくりと動き出した。車内はクラスメイトの話し声で騒がしい。だが俺と洋一の間に会話はなく、重たい空気が横たわっていた。
「ねえ、さっき菊池くんがさ……」
「嘘ー!? そんなことあったのー!?」
どこかから女子の噂する声が聞こえてくる。もちろん洋一は自分から言い広めるような性格ではないし、恐らく告白してきた女子の方から伝わったのだろう。……洋一の気苦労も知らないで、好き放題言ってくれるな。
バスはどんどん進んでいく。窓際に座った洋一は、アンニュイな表情で流れる景色を眺めている。イケメンだと横顔も様になるなあ。
「……周平」
「えっ!?」
唐突に話しかけられたもんだから、素っ頓狂な声を出してしまった。しかし洋一は気にせず話を続ける。
「やっぱり悪いことしちゃったかな。さっき」
「ああ……」
洋一は窓の外を眺めたまま、淡々と語り続ける。まるで自らの罪を懺悔するかのようだ。普段は愚痴すらこぼさないのに、こんな暗い様子を見せているのは久しぶりかもしれないな。
「好きでもなんでもないんだろ? 付き合ったって仕方ないじゃんか」
「周平は意外とドライなんだな」
「だって……潔く振った方が相手も前向きになれるじゃないか」
「……ふーん」
自らに言い聞かせるように放った言葉。それに対する洋一の相槌は、同意とも否定ともとれるものだった。
「たしかに、振られたら吹っ切れる人も多いよ。周平の言う通りに」
「そうなのか?」
「何回か経験があるからね。でもさ、それでも振るのって悲しいよ。相手の好意を拒否する行為だから」
「……だよな」
洋一はすごく良い奴だ。皆に気を配っているし、皆のことを心配している。時には自分が嫌われ役を買って出ることもあるし、それでいて嫌な顔一つしない。俺の親友でいるにはもったいない男だ。そんなことを考えていると、ずっと窓の方を見ていた洋一がこちらを向いて、真剣な顔で口を開いた。
「それに周平、振ったところで向こうが諦めるとは限らないよ。……もう分かってるんだろ?」
「!」
その鋭い眼差しに思わず身じろいでしまう。この視線にとらわれてしまえば、逃れることは出来ない。
「……近江から聞いた。付き合ってたんだってな」
「そうか。ごめんな、気を遣わせて」
「な、なんでお前が謝るんだよ」
むしろ気を遣ってもらっているのは俺の方だ。この状況で謝罪の言葉が先に出るなど、人格の土台が善で塗り固められている証拠だろう。
「由美は良い奴なんだ。部活でも仕事が早いしね」
「でも、お前は」
「たしかに振ったよ。だけど由美は待ち続けてくれている」
「待つ?」
「俺のことを、ずっと一途にさ」
洋一は申し訳なさそうに苦笑いを浮かべ、座席にもたれかかるように俯いた。近江に対するさっきの態度と、今見せている表情。どうもそれが結びつかないな。
「応えてあげないと、とは思っているんだ。だけど今はその時期じゃない」
「……そうか」
俺にはこの二人のことは分からない。だけど一つ分かるのは、洋一だって近江のことを考えているということだ。
一瞬、沈黙が訪れる。間が少しだけ空いた後、洋一は再び窓の外に視線をやり、静かに問いかけてきた。
「周平、お前は?」
「えっ?」
「梅宮さんだよ。……応えてあげないの?」
ドキリ、と心臓が跳ね上がった気がした。近江から聞かされたのかは知らないが、俺が朱里を振ることなど分かっているのだろう。コイツは朱里の告白からずっと俺たちのことを応援し続けてくれていた。……何を言えばいい?
「えっと……」
「梅宮さんのこと、好きなんだろ?」
「あ、ああ」
「だったら首を縦に振ればいい。簡単なことじゃないか」
その通り。簡単なことなんだ。その簡単なことが――俺には出来ない。死神の鎌が首の前に掛けられていて、縦に振ったら死んでしまう。そういう状況なんだ。
「それに、さっきも言っただろ? 振ったからって、相手が諦めるとは限らないんだ」
「……分かってるよ」
「周平が何を考えているのかは知らないけど。後悔だけはしないようにね」
後悔だけは、か。後悔しないように選んだのが今の道なんだ。もはや迷う余地すらない。朱里とはずっと生きていたかった。だけどもはやそれは叶わない。だったら――別れを告げるしかないんだ。
バスは京都に向かってひた走る。明日はいよいよ三日目だ。京都、俺と朱里の運命が分かたれる場所。何が待っていようとも、俺は告白の返事を必ず成し遂げなければならないのだ。
俺の命日まで――あと、六日。




