第32話 幼馴染と駄弁る
奈良の街を観光した後はホテルに戻り、先生から点呼を受けた。飯を食って風呂に入れば一日目はもう終わり。さあ楽しもうと気合いを入れて臨んだ修学旅行も、あっという間に三分の一が過ぎてしまった。
「ふー……」
俺と洋一は部屋に入り、荷物を置いて休憩していた。ここは四人部屋で、他の班の男子があと二人来る予定である。どうやら俺たちの班は一番最初にホテルに着いたらしく、夕食まで結構時間があるらしい。俺は畳に寝っ転がって修学旅行のしおりを読み、明日の予習をしている。
「なんだよ周平、熱心だな」
「まあな。せっかくだから」
「梅宮さんといい、そんなに楽しみだったの?」
「……ああ」
座ってテレビを観ていた洋一に対し、返事をする。この感情を「楽しみ」と表現してよいものだろうか。むしろ「決死の覚悟」と呼ぶ方が正確だな。
「ところでさ、う……」
「なに?」
「……いや、なんでもない」
「おいおい、なんだよ」
洋一が何かを尋ねてきたのだが、再びテレビの方に顔を向けてしまった。気まずいというほどではないが、なんとなく居心地の悪い時間が続く。洋一とは親友で、何時間一緒にいても気にならなかったはずなのに。ここ数週間で、何が俺たちを変えてしまったのだろう。
「俺、ちょっと飲み物買ってくる。洋一は何かいるか?」
「いや、大丈夫」
別に喉など乾いていないのだが、部屋を出るために用事を作り出してしまった。カバンから財布を取り出し、扉を開けて廊下に出ていく。えーと、たしか自販機は一階にしか無いんだったよな。エレベーターで下りないとな……。
***
「んー……」
コーヒーにすべきか、お茶にすべきか。自販機コーナーに来たのはいいが、こんなところで優柔不断ぶりを発揮してしまっている。急ぐわけじゃないから別にいいけどさ。まあ、ここはコーヒーにしておくか。
「しまちゃん、私もそれー!」
「おう、いいぞ……え?」
ボタンを押すのと同時に振り返ると、そこにいたのはいたずらっぽく笑う朱里。ガコンと音がしてコーヒーの缶が落ちると、何事もなかったかのようにそれを取り出していた。……不意に可愛いことをされてしまうと戸惑うしかない。
「わーい、ありがとう!」
「えっ、えっ?」
「えへへ、びっくりした?」
「びっくりっていうか、その……」
急に可愛いことをするな、とは言えん! そんなの意味不明だし。
「ど、どうしてここに?」
「んー? 売店行こうかなって思ってたんだけど、しまちゃんがいたから来ちゃった!」
「来ちゃったか~~」
来ちゃったなら仕方ない。心を落ち着かせようと、とりあえず自分の分のコーヒーも購入する。あー、びっくり。
「朱里、そこで飲んでいくか?」
「うん!」
ちょうどよく小さなベンチがあったので、朱里とともに腰かけた。ちょっと奥まったところだし、他の連中に見られるリスクも低いだろう。ちょっとした逢瀬、といった雰囲気だな。
「いただきまーす」
朱里はカシュッと缶のふたを開け、そっと口をつけた。それを見て、俺もグビリと液体を口内に流し込む。やっと人心地ついた気分だな。洋一と二人きりより、朱里と一緒にいた方が気が休まる。
「……」
「……」
俺たちは無言でコーヒーを飲んでいく。話題が無いわけではなく、お互いにただ二人でいることを心地よく思っているのだ。朱里との付き合いはとても長い。一緒にいることが当たり前、とまでは言わないが、それに近い感覚だった。
「今日は楽しかったね」
「ああ。鹿には参ったけど」
「それはしまちゃんが気を抜いてたからでしょ!」
「あはは、そうかもな」
朱里が頬を膨らませて怒っているのを見て、思わず笑ってしまった。……そして、それと同時に底知れぬ罪悪感を覚えた。本当はもっと叱られなければならない理由があるというのに。あと一週間で訪れる別れ。そのことを告げずに何食わぬ顔でコーヒーを飲んでいるなど、許されざることだろう。
別れ。そのために俺は修学旅行に参加している。あの告白の返事をして、朱里の前から静かに去る。この三日間で最も重要な使命と言えるだろう。
「ね、しまちゃん……」
「どうした?」
「あのさ、その……」
何か言いたげにもじもじとする朱里。はっきりと言葉にするのは恥ずかしいのだろう。それくらいは分かる。なんといっても――幼馴染なのだから。
「返事のこと?」
「……うん」
朱里は静かに頷く。告白した側からすれば、すぐにでも返事が欲しいに決まっている。ましてや今は二人きりだしな。だが、今じゃない。
「それはさ、三日目にするよ。……ごめんな」
「う、うん。でも――」
「梅宮ー、いるかー?」
「「ひえっ!?」」
その時、自販機コーナーの方から近江が姿を現した。俺たちがいることに気が付いたようで、速足でこちらに歩み寄ってくる。
「探したよ。アンタ、売店に行くって言って帰ってこないから」
「あっ、心配かけてごめんなさい……!」
「嶋田もそろそろ戻りなよ。晩御飯の時間、早まったらしいから」
「わ、分かった。ありがとう」
近江に促されるまま、俺たちは慌てて席を立った。
「あの、私まだ売店の用事を済ませてないので!」
「おう、気をつけて行けよー」
朱里は足早に去っていってしまった。俺は近江と二人で残される。
「あの……さ」
「なに?」
「さっきの写真、ありがと。アンタ、優しいとこあるね」
近江はペコリと頭を下げた。さっきメッセージをもらったのに、改めて礼を言われてしまった。やっぱり不器用なだけで根は良い奴なんだろう。
「……ところで」
「ひっ!?」
感心していたのに、ドスの効いた声で脅されてしまった。さっきの殊勝な女子高生はどこ行った!?
「嶋田、アンタまさか――」
「へ、返事はしてない! ただお茶してただけだよ」
「そうかよ」
近江はフンと言ってそっぽを向いた。やはり俺たちのことを気にかけているみたいだな。
「とにかく、絶対に振るなよ。アタシも戻るから」
「ああ、そうか。じゃあな……」
別れ際に釘を刺され、思わず立ち尽くしてしまう。だがアイツに何を言われようとも成し遂げなければならない。どうか、どうか何事もなく別れられますように。
俺の命日まで、あと――七日。




