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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

平凡な殿下は亡国の皇女に愛を告白する

作者: 秋津冴


「使えねえんだよ、無能な皇族が!」

「やめてっ! 親方、やめてくださいっ!」


 ひゅっと、しなやかで厚みのある得物がしなる。

 続いてやってくる鞭の先から、エマは顔を背けて逃れようとする。

 しかし、一秒も経たない間に二度も打ち下ろされた鞭は、エマの手の甲にミミズがのたくったような、血の跡を残した。

 異物が裂いた肌の痛みと、肌を貫いて外に出ようとする血の熱さと、遅れてやってきた鈍くじんわりと神経を焼く感情の波に、エマは全身を硬くする。


「使えねえ」


 工房の主、ギブスンは立派に蓄えたこげ茶色のあごひげを手でなぞり、もう片方に持つ柳の枝を加工した細い鞭で、さらに二度ほどエマを打ち据えた。

 肩から背中。お尻から臀部にかけて。

 普段なら耐え切れない痛みにも、今回は耐えることが出来た。

 肌の上に着こんでいる生地の厚い作業着のおかげだ。

 工房では高熱を発する炉を使うし、魔石や金属を金づちで打って加工することも多い。厚手の作業服を着込んでいるのだ。

 ――腫れが、跡になって残るようなことにはならない。

 そう理解して、ギブスンに気づかれないよう、エマは心の中でほっと汗を拭った。

 皇女として自らの身に傷痕を残すことは許されないからである。

 ギブスンもその辺りのことを理解しているのか、分厚い革で覆われた部分を狙って鞭打っていた。


「これで何度目だ、エマ? ああ?」

「……わかりません。親方」

「わかりません、か。都合のいい言葉だよなあ? これで俺は竜の革の貴重な部位を、失うことになるわけだ。お前、弁償できるのか」


 ギブスンは四度ほどエマを鞭打ったら満足したのか、鞭を下におろした。

 今度はエマの背中でひとまとめにした長い金髪を乱暴に掴み、後へと力を込める。

 少女は抗えない親方の暴力に、しりもちをついた。


「使えねえ! 何度言ったら分かるんだ、ああ?」

「すいません。まさか革の中にまだ竜のうろこの破片があるとは思ってなくて」

「……っ! またかよ、だから使えねーんだよ、お前はっ。そんなんだからミスが治らねえんだろうが、クズが……」

「申し訳ありません‥‥‥」


 親方は何十年もこうして弟子をいびってきたのだろう。

 その態度はふてぶてしく、堂に入ったものだった。

 自分の弟子であれば、どんな汚い言葉を投げつけても問題ないと、確信しているようだった。

 事実、彼が経営する魔導師工房ギブスン商会の現場では、もう二十年近くこういったやりとりが日常化していた。


 たまに訪れるパトロンの貴族たちですらも、若い十六歳の少女が鞭でぶたれているのを見て、ふっと口元を歪ませてせせら笑うだけだ。

 止めに入ってくれる者はいない。

 誰かが助けてくれたらいいのに、とエマは思ってしまう。

 十数人いる工房の徒弟たち。

 兄弟子や姉弟子たちも含めてエマに手を差し伸べる者は誰もいない。


「俺はずっと懇切丁寧に教えてきた。なのに、お前と来たらいっつも何かしらヘマをやりやがる。皇族の人間ってのは、これだから戦争にすら負けたのかもな?」

「それは――関係ないじゃないです、か‥‥‥」

「関係ね―ことあるか!」


 ギブスンの手がエマの頬に走った。

 分厚くて材木のように硬い手のひらが、エマの柔らかい肌を叩き、乾いた音を工房の中に響きわたった。

 他の徒弟たちは全員が作業の手を止めて、二人のやり取りを見守っている。

 エマがここに弟子入りしてから四年間、彼らの態度は変わらない。


「お前の、じーさんが負け帝国は滅んだ! 共和国になってから俺たちの生活がどれだけ豊かになったと思う? 皇族は国に寄生していたダニと同じなんだよ。それなのに‥‥‥なんで俺たちの税金で、お前らのようなただ生き残った連中に、飯を食わせてこうして技術まで教えなきゃならん。くそったれが」

「ひ――ッ」


 二度目。

 大きく手が振りかぶられる。

 次は拳が来る。

 エマはそう思った。

 半年前に殴られた時は、奥歯が折れた。

 今度はもっとひどい一撃かもしれない。

 そうなったら、来月の皇族が集まる夜会で着るドレスはおろか、顔すら出せなくなってしまう。

 多分‥‥‥腫れがそう簡単には引かないだろうから。


 衝撃に耐えられるように脇を閉め、あごをぐっと引いて、両腕の肘から先で顔面を覆うようにして脇を固める。

 振り下ろされた拳の威力は強い。エマは近くの壁にぶつかる未来を想像した。

 目をきつく閉じ、こんなにつらい毎日を送るくらいなら一思いに殺して欲しい、と思った。

 しかし――何も起こらない。


 起こらないばかりか「いい加減にしろ、ギブスン! 仮にも皇女様に対して不敬だぞ!」と、暴力を止めようとする声が工房に響きわたる。

 熱気が充満する中に、爽やかな夏の涼風のように駆け抜けた青年の声が、暴力という狂気を冷ややかに霧散させていくのが、分かった。

 エマはその声の主に聞き覚えがある。

 隣国の王子にして、学院に留学している生徒ランティスだ。


「ランティス‥‥‥」

「エマ、無事か? 怪我はないか!」


 目を開けてみるとそこには学友のランティスがいた。

 銀髪の中に蒼穹のような瞳が輝いてこちらを見ている。

 加虐を加えようとして爛々と輝いていた親方のものとは違う別種の怒りが宿っていた。

 ランティスは掴み上げていたギブスンの片腕に力を込めて捻り上げた。

 ギブスンは額に皺を寄せ、持っていたエマの髪を放り出してしまう。

 こんな若者が自分の腕力にあっさりと勝ってみせたことに、憤慨するよりも、驚愕しているようにエマには見えた。

 

「なんて馬鹿力を奮いやがる? 俺の腕をもぎ取るつもりか! 信じられねえ‥‥‥」

「ふんっ」


 ドラゴンか狼にでも食われたような気分だ、とギブスンは呻いた。

 エマは床にしゃがんだまま、親方とランティスに見られないように俯きながら、意地の悪い笑みを浮かべる。

 いつも殴ってきた仕返しを私に代わって神様がしてくれたんだ、と思ったのだ。

 ざまあみろ、とせせら笑いたかった。

 しかし、ここは我慢だ。

 声を出さないように気を付けると、表情から笑みを消した。


「魔法だ。お前には使えないだろうな親方。平民の分際で貴族に暴力を振るうとは命知らずな奴だ。処罰を覚悟するんだな」

「……貴族様の特権ってか! ああ、そうかい。クソッタレが」


 魔法は国内外問わず、貴族だけが使える特別なものだ。

 神様によって与えられるこれは、神殿で付与される。一度付与されれば子孫に至るまで、血脈が絶えない限りずっと受け継がれていく。

 この場にいる十数人のうち、それを扱える者はランティスを始めとして数名、存在した。


「乱暴をいつも働いていて、よくこれまで報復を受けずにいられたものだ。学院の管理能力を疑いたくなる」

「ふざけんな! ここはそんな貴族様の跡を継げない連中が、生きるための資格を学ぶ場所だ。この工房では俺が一番なんだよ。預かった連中をどう扱おうが、俺が決める。それが、ここのルールだ」

「弱者をいたぶって喜ぶあんたの醜い生き方が、にじみ出ているようだな」

 

 自分の正当性を主張する親方の言い分を聞いて、ランティスは吐き捨てるように返した。

 ギブスンは忌々しそうに三度目の舌打ちをする。

 周囲に怯えの混じったどよめきが走ると、エマはまた人知れず静かに笑った。

 自嘲じみた笑みを表情の下に隠すと、乱れた髪を手櫛で直しながら、頬を抑えて立ち上がる。

 ランティスは頬に出来たどす黒いあざに、驚きの声を洩らした。


「――っ。なんてことを‥‥‥」

「いいの」


 彼の手が自分に向かい差し伸べられる。

 しかし、エマはそれを拒絶した。

 口の中で呪文を唱えると、回復魔法を自らの頬にかける。

 それ以外にも、親方が躾と称して与えた暴力の痕跡を、数秒のうちにかき消して見せた。

 ランティスは安堵の表情を浮かべる。


「エマ、いいとはどういう? もういいだろう、こんな場所にいなくても君には居場所がある」

「居場所? そんなもの、ここ以外にないわ」


 エマは怪訝そうな顔をした。

 皇族の端に連なる者として彼女は生きていかなければならない。

 先々代の皇帝から見て、直系の子孫。孫娘に当たるエマには、帝位継承権が与えられている。

 しかし、この共和国においては帝位継承権はなんの効力も発しない。

 ただ、名ばかりの称号でしかない。

 皇族に与えられた特権は魔法を使えること。

 そして学院を卒業し、市民の中に混じって職人や商人の徒弟として、生涯を終えること。

 たまに開催される夜会などの公的行事に貴族として参加しなければならず、諸費用は国から貸し付けられる。

 安い賃金で働かされ、子々孫々に至るまで返済できない負債を背負って生きて行くことが皇族に与えられた宿命だ。

 嫌なら国を出るしかない。だが、そのためにも金は必要ですぐには貯まらない。

 国は彼等を生かさず殺さず管理している。

 まともな職業に就く権利もなく、生きる場所を選ぶ自由も共和国では与えられないのだ。

 すべては先の大戦で帝国が共和国に負けたことが原因だった。


「ランティス、もう帰ってください。私はあなたを求めていません」

「エマ‥‥‥どうして俺を拒絶する? 一緒にくれば俺が守ってやるのに」

「勝手な人‥‥‥私にはここを出ることは許されていないと分かっているのに、無茶を言うのね」

「そんなことはない! 俺は王子だ。願えば何でも叶えられる!」

「あなたには無理よ。陛下が許されない」


 そんなことをすればどうなるか。

 家族は親戚に至るまで共和国の法律に従い、罰を受けるのだ。

 エマもそうだし、兄弟子や姉弟子たちにも親族はいる。

 この工房は学院という名の学び舎を模した刑務所の一部に過ぎない。

 諸外国も含めた貴族――魔法を扱える、扱えないに限らず特別な身分にある子供たちと、一部の裕福な平民の子供たちが通うことのできる学院だが、その実態は皇族を収容し管理し王国に対して敵意を持たないように思想を矯正するための機関だった。

 

「俺は勝手じゃない。困っている学友を助けようとしてなにがいけないんだ」

「貴方はそれで満足かもしれないけれど、私はそうじゃないの。私も、ここにいる他の貴族の方々もそう。いまここにいるのは、国が。議会が定めたことだから従っているの」

「エマ‥‥‥俺はそれを変えられる」


 ランティスは青い瞳でエマをじっと見下ろした。

 エマより2つほど頭が高い彼は、物語にでてくる理想の貴公子のような出で立ちだ。

 確かに、こんなことを言われれば誰だってその手に委ねたくなるだろう。

 自分の人生や、その周りにいる者たちの未来を。

 だって彼は隣国の次期、国王陛下なのだから。

 でも‥‥‥と、エマは首を振る。


「ごめんなさい。帰ってください。それは私だけでは決められないから‥‥‥家族を罪人にしたくないの」

「エマ!」

「もういいだろう、殿下。そいつはお前を拒否したんだ。出て行きな、さもないと」


 衛士を呼ぶぞ、とギブスンはランティスを脅した。

 工房の主という名ばかりの役職を盾にギブスンは王子を追い出そうとする。

 ランティスはギブスンの言い分を無視して、エマを頭越しに見つめる。

 だが、エマは静かに首を横に振った。

 助けを受け入れるには、エマの意思だけではどうにもならないからだ。

 けれども親方はこれで理解した。エマの後ろには王子がいて、彼女を密やかに支援していることを。

 たとえ異国であるこの共和国でも、彼は国賓扱いだ。

 下手なことをすると、親方の首が飛ぶ。

 そうなると、ギブスンの煮え切らない怒りの矛先が向かうのは――。

 

「お前はそいつを見送ってこい!」


 工房は学院の外側に併設されていて、通行には門をくぐらなくてはならない。

 ギブスンは礼儀を守る男だ。少なくとも工房の外では横暴な真似はしない。

 それどころか、真面目で腕のいい職人として学院からは一定の信頼がある。

 高い身分の人間が工房を来訪したら、弟子に見送りに行かせる。

 選ばれたのはエマで、ちゃんと門の外まで送り届けるようにと言いつけられていた。

 後ろで人の背丈の二倍はありそうな、巨大な鉄の扉がガチャンと閉じられる。

 宮廷に納品する魔導具や軍事用の部品などは、とにかく数が多いか、見栄えを重視して巨大に作られる傾向のものが多い。

 その搬入出のために設えられているその正門は、いまや二人と工房を遮る鉄の柵となって世界を隔絶していた。

 門の内側で、誰かの悲鳴が聞こえた気がする。


「あれは何の音だ?」

「気にしないで。親方が弟子をしつけているだけだから」

 

 怪訝な顔をして扉の方へと振り抜いた殿下をエマは行きましょうと誘い、彼の袖を引いた。

 納得のいかない顔をして、ランティスは「いや、しかし」とその場を動こうとしない。

 彼をこの敷地から追い出すことがいまエマの仕事なのに――めんどくさい、とエマは口元を歪める。

 これは滅多にない好機だというのに。

 ランティスは彼女の手を放すと、それでいいのか、と問いかける。


「兄弟姉妹に当たる先輩、後輩たちが殴られていても関係ない、と? 君も随分と冷めた心を持っているんだな」

「いいじゃない。貴方だってあんな目に遭ったら分かるわよ。だれも助けてくなかった。ただにやにやと見ていた連中が私と同じように親方に虐められて苦しむところを見て、私がざまあみろって思って何が悪いのよ」

「だからって見過ごしていい訳じゃないだろう」

「なら――貴方が戻って彼らを助けたら? 親方はああ見えて、それなりに強いわよ。さっきはその魔法があったからやり込められただけで、工房の中には魔法を無力化する魔法陣だって存在する。それを起動させたら殿下には勝ち目がないと思うけど?」


 ランティスは無力なただの殿下になってしまう。

 貴方になにかできるのなら、どうぞご自由に。

 エマは最初に隠した時のような、意地悪い笑みを浮かべて見せた。

 そこには虐げられた者が復讐を成し遂げた時のような感情があった。

 見る者によっては目を逸らしたくなるような、醜悪な魔女の微笑みがそこにはあった。

 他人を利用し、試すようにして貶める。

 そんなことに慣れた者の挑戦を、ランティスは少年ながらの正義感と世間知らずの子供が親に促されるようして、それを受けてしまう。


「君がそう望むなら、悪を――暴力を止めて来ることにしよう。本意ではないが」

「本意でなくてもできるんだ。さすが、殿下ね。大したものです、気を付けて」


 エマの片手は工房の扉へと向いた。

 ランティスは幾分、彼女の言葉に乗せられた気がしないでもない。しかし、弱者をいたぶるそんなやり方は好かなかったから、そちらへと足を踏み出す。

 彼が扉を開け、そのまま中へと姿を消した時。

 エマはやれやれ、と安堵のため息を漏らした。


「馬鹿な殿下のお陰で、私を管理監督するこの時間の責任者は、それを見失った……と。誰がいてやるもんですか、こんな最悪な国。さっさと逃げるに決まってるじゃない」


 そうぼやくと、普段から数少ない制服の裏に縫い付けてあった幾枚かの金貨がちゃんとあることを確認して、工房の敷地内からそっと姿を消した。

 共和国の歴史を司る象徴としての皇女はどこかに失踪し、その最後を見届けた王国の王太子は関与を疑われて国へと送還されて、罰を受ける。

 正しいと思ってしたことが実を結ばず、ただ善意で考えもなく行動することが必ずしも良い結果に繋がるわけでもない。

 人生は賢くしぶとく生き延びた者が必ず最後に勝つのだ。


 それから数年後。

 どうやら罰を受けて投獄されたらしいあの王子様。

 ランティスは故郷の王宮にある西の塔に押し込められているようだ。

 それを助け出すために、エマは仲間たちと王宮を襲撃しようとしていた。

 かつての皇帝派や帝国軍の残党として、旧帝国領の各地で反乱軍となり戦っていた彼等にエマは加わっていた。

 帝国復活を叫んで共和国と戦争を始めていたのだ。

 今回は弱小国である王国と取り込み、そのかつての王位継承者であるランティスを利用して国王に据えたあと、エマは王妃となり帝国を再建する。

 その第一歩として、ランティスを助けるのが今回の目的で。

 

「賢く利用されなさいな、ランティス。‥‥‥貴方の祖父だって私の国を共和国とともに攻めたのだから――」


 因果応報。

 エマの復讐はこれから始まる。


 



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