夢の中で水を掬う
夢の中にあるものはしょせんどこまでいっても夢でしかない。
目が覚めた時、何一つとして持ち帰れなどしない。
つまり今、夢の中にいる俺が見ているものは記憶に残るだけの風景。あまりにも虚しいものだ。
「おはよう」
俺の隣を、俺と同い年……小学6年生くらいのヤツが歩いてる。
こいつは友達だ。正確に言うと友達だと"思ってしまう"相手だ。
俺は夢を見ているのだと自覚出来る、だがしかし夢を完全制御できたりしない。
だから、まったく知らない相手を友達だなんて夢の中で思う事も有る。
今がそうだ、今俺の前にいるヤツの事を俺は何も知らない。なのに友達だと認識している。
「おいおい、僕に挨拶くらい返しな」
友達が俺にそう語りかけて来る、あぁ虚しいものだ。
どうせこいつと交流を深めても、どうせ目が覚めたら消え失せる。
だがしかし、その目が覚めるまでの時間を楽しく過ごすのは悪く無いかもしれない。
「お」
おはよう、と俺が言い始めた直後に目が覚めた。
目の前には天井があって、俺は布団で寝てる。
「はよう」
挨拶の続きをしておく、これに意味は無い。俺がただそうしたかっただけだ。
しかしまぁ喋ってみると、音に重たさを感じる。夢の中とは大違い。
あそこにある偽物は、現実のものと比べたらやはり不安定で頼りない感触でしかない。
――――――――――――――三日後。
そろそろ雪が降りそうな寒さだったが、俺は今日もちゃんと小学校に行って、勉強をして給食を食い、遊んだりして帰って来た。
いつもならそれから習い事の空手に行くのだが、無いので自主練をしておいた。
まぁ空手に行かないだけで、ずっと続くいつも通りの一日であった。
そして夜。
今の俺は布団の中、寝るのに大苦戦中だ。
俺は寝つきが悪い。
どうせ寝れないんなら漫画でも読もうかと思うが、明日は学校だ。夜更かしすると、近くの可能性が出てくる。
というわけで眠るために頑張る。
どうしようか。
何も考えないで睡眠に入るのを待つという作戦は、無理だ。
俺は無心になるのが苦手で、ついつい余計な事を考える。
ならば逆に沢山の事を考えてみよう、睡眠待ち時間を思考によって気にならなくするのだ。
そんなこんなしてると俺は寝ていた。
「……元気か?」
目の前にいた友達が俺に話しかけて来る。
珍しい事に夢の続きなようだ、三日前のあいつがここにいる。
友達は俺よりちょっと背が高くなってるが、まぁ夢の中だし気にしないでいいだろう。
それに、靴が変わっている。身長をごまかす靴の存在をこの前テレビで言っていたし、あれかもしれない。
……さて、そろそろ会話のキャッチボールを返そう。元気かどうか聞かれてたな。
「俺は元気だ」
「ならいいけど」
友達は心配そうにしている、もしかして俺の考え込んでる様子は変だったのか?
「考え事してたんだよ」
不安に思わなくていいと伝えるが、友達の表情はあんまり変わらない。
よっぽどさっきの俺の様子は変だったのだろう。
周りを眺めてみると、良くある普通の町並みだ。
というかここを知ってる、通学路だ。
雨でも降っていたのかあちこちに水たまりが出来ているが、それはどうでもいい。
この夢は登校中というシチュエーションなのだろう。通学用のカバンも背負ってるしな。
じゃあ学校に行くとするか。
「どこ行くんだ?」
歩きだすと引き止められた。
おっと、何となく今は登校中かと思ったが違うのか。
この夢は下校中という状況なんだな。
まぁ、とにかく夢の中で変な言動しないようにしたい。
あんまり変な事を言ってると、周りから不審がられだして悪夢になる。
「こっちに行くんじゃなかったっけ?」
「……いいや、僕の家に来ないか?ゲームでもしよう」
幸い友達は俺の誤魔化しを信じてくれたようだ、それにゲームを誘って来たか。
夢の中とはいえ、なんだかんだゲームは楽しいものだ。
俺は夢を制御出来ないからこそ、現実とわりと近い感触でプレイできる。
いい夢になりそうだ。
「行こう」
友達が俺に背を向け歩き出す。
―――――――――――
友達についていこうと、一歩踏み出した瞬間目が覚めた。
いつも通りの布団は、その現実的感触を持って出迎えてくれる。
「……ゲームする前に目が覚めた」
あぁ、ここが現実だ。
起きて窓から外を眺める、どう見ても快晴。水たまりなんてものは町に一つもないだろう。
外を出歩きたくなってしまうような天気だが、今日の俺は遊びに出かけたりしない。
さっき夢の中で出来なかったゲームを現実でやる。
今日は学校が休みだし、時間はたっぷりとあるのだ。
まぁでもせっかく誘われたんだし、あいつと一緒にやりたかった気もする。
――――――――三日後。
「……」
人通りのなく薄暗い路地裏に俺はいた。
変哲もない不気味さの漂う空間だ。本当はこういう場所に近づかないようにしてる。
ではなぜここにいるかというと、これは夢だからだ。夢が始まった瞬間ここに立っていたのである。
とりあえず、すぐにこの場から出ることにした。夢の中とはいえ、長居したいようなところじゃない。
出ると商店街があった、人はまばらだが寂れているというわけでもなさそう。
単に客が少ない時間帯なだけだろう。
「おーい!」
「……あ」
そして遠くから友達が走ってきた。
今日は変則的な出会いなようだ。
しかしこの夢はどういうシチュエーションだろうか。
「ホントどこ行ってんだよお前っ……」
友達は心配そうにしていた。
もしかして、こいつと一緒にここら辺へ遊びに来たみたいな状況か?
それで、なぜか路地裏に俺が入り込んで心配されてるというような感じだろうか。
「ちょっと路地裏にいた、迷って入ったんだと思う」
「フーッ……」
友達は息を切らしていて、数秒休憩しないと会話できなそうだ。
だいぶ本気で走ってたみたいで、なんか申し訳ない。
友達は息切らしてるしめちゃめちゃ汗もかいている。よほど俺のことを心配して探していたみたいだ。
「まぁ、でもよかった、見つかって」
――――――――――
目が覚めた。外はまだ暗くて今は夜なんだとわかる。
変な時間に起きてしまったな。
二度寝のために目を閉じる、適当に色々考えながら明日を待つことにする。
……さっきのは路地裏に迷い込んで友達に心配をかける夢だったみたいだ。
なんというか、夢の中の俺は落ち着きがないらしい。あんな場所に俺はまず行かない。
……そういえば友達は、すこし顔が大人びていたような気がする。
まぁ、仮にそうだったとしてもなんということはないか。
――――――――――――三日後。
またしても、眠りについた瞬間友達と会った。
これまでの傾向から三日ごとに出会うんじゃないかと思っていたが、ここまで夢の続きを見る事になるのは初めてだ。
さて、俺は友達を見上げている、この前とは違って身長の違いが少しではない。
明らかに10センチメートル以上違う。
それに友達の服が高校生とかの着るヤツ……学生服になっている。実際に見た事は無いが、テレビだの漫画だのではよく出て来る。
もしかして俺らが高校生になった夢なのか、と思って自身の服を見る。
いつもの服と全く変わっていない。
これはどういうことだろうか、この夢の中で俺は高校生ではないのか?
「どうした、変な顔して」
「うーん」
友達が話しかけて来る。
まずい、変な答えを返すと怪しまれてしまう。だが返答無しもそれはそれで怪しい。
なら何を言おうか。
とにかくこの状況下で発して違和感のなさそうなセリフを口に出そう。
「俺だけパジャマだと、ちょっと居心地悪いなって」
「べついいだろ、お前の夢なんだから」
「え?」
俺の呼吸が止まる、体中が水をぶっかけられたかのように冷える。
これは焦りと恐怖だ。
なぜか友達はここが俺の夢だと知っている。だが、それはなぜ。なんだ、なんなんだ。なぜ、知ってる。
「何で焦ってるんだ?」
「何でバレたのか意味がわからなくて混乱してる」
「夢だから」
友達は当たり前のように俺を見る、その表情はわからない。
友達のそれは怒っている顔な気がした、だが俺がこの異常事態に不安になっているせいでそう見えるだけなような気もしたし、本当に怒っているんじゃないかと言う気もしたし。まったく違う感情にも見えるし。
―――――――――――――――――――――――――――
混乱の中目が覚める、いつもの布団がありがたい。ここは現実だと明確に教えてくれる。
今のは悪夢だったんだろう、たくさんの汗をかいた。
体中に不快な寒さがまとわりついてる。
まぁ目覚めたから、もう大丈夫。
俺は夢の中で化物に追われて恐ろしかったとしても、目覚めたら恐怖が消え失せる。
いくら悪夢に惑わされたところで、起きれば平気だ。
冷静になって考えてみると、さっきの夢におかしなところは何にもない。
「そうだな、夢だからだな」
そう、友達が世界の正体を知っていても何もおかしくない。
夢だから滅茶苦茶なことが起きる、あいつが真実を知っている理由なんてそれだけで説明つく。
では、少し疑問になった。俺はなぜ、怖かったんだろう。
あの世界が夢の中だと知られていて、何か不味い事でもあるのか。
「……あるだろうが」
ある、あの世界の正体があいつにバレてしまったらマズイ。
あんな真実を知ってしまえば、友達の俺を見る目が変わるかもしれないのだ。
そしてそうなった時、あいつと友達でいられるのだろうか。
……夢の中にしかいない相手だ、そんな気にすることだろうか?
気にする。
路地裏に迷い込んだ俺をあんな顔して探すようなやつ、嫌いになれるわけがなかった。
所詮夢だと、わかっているのに。
俺はあいつと友達でいたいと思っていた。
―――――――――――――――――――――――三日後。
「いられるに決まってるだろ」
「決まってるのか」
またしても夢の中で出会ったので、友達のままでいられるか聞いてみた。
そしたらあっさりと俺の悩みは解決した。
「ここがお前の夢だって知ったの中学生の頃だし。それでも友達だったんだぞ」
それを聞いて自分の体から力が抜けていくのがわかる。
なんだバレてたのか。
ってことは、べつに友達のままでいられるようだ。
一つの不安を解決出来た、だから俺は別の疑問を解決しに行くことにする。
「ところで、お前……背が伸びてるよな」
そう、こいつ前よりも30センチメートルくらい大きくなってる気がする。
顔つきもだいぶ引き締まったものになっていてそれはまさしく……
「まぁ僕はもう社会人になる年齢だし」
そう、大人になったように。
まぁ驚きはしない、ここは夢の中だ。
俺が小学生のまま友達だけ大人になってもおかしくなんて無いのだ。
しかし、この調子だと友達はどんどん俺と年齢が離れていくのだろう。
「次に会う時お前は仕事についてるのか」
「会えないけど?」
「え?」
今何と言ったのだろうか。もう会えない、そう聞こえた。
だが、意味が分からない。なぜそうなってしまう。これまで3日ごとにあえてきたのに。
少し、友達は空の方を見ながらうーんと唸り
「……お前、夢の続き見るの苦手だし」
と言った、だが俺はそんな説明納得できない。
「でも今は出来てる、ならお前とまた一緒に会えるはずだ」
「理由は色々ある、これから先の僕はお前の想像もつかない人になってしまう」
「待て、つまりどういう」
「夢の中で外国語の教科書出せる?」
「……あぁ、なるほど」
あくまで夢は俺の知識や経験を基にできているから、ダメなのか。
俺は友達が言ってる事の意味を理解出来た。
例えば俺はドイツ語がまったくわからないからドイツ語の教科書を夢に出せない。
せいぜい表紙くらいならどうにかなるかもしれないが、中身はどうしてもめちゃくちゃになってしまう。
それと一緒。
”大人になって働いてる友達”なんて俺にはまったくわからない、だから夢に出せない。
友達は、俺にとってまったく知らない世界の人間になってしまうのだ。
「だったらお前に関わるものを勉強する、お前をまた夢の中に出せるくらい知識をつける」
だが、まったく知らないなら知ればいいだけのことだ。
「やっても無理だ」
なのに、友達は俺を否定する。
なんでだ、と聞こうとしたけどできなかった。
友達は凄い顔をしてたから。
その表情は難しい、としか言いようがない。寂しさとか悔しさとか、俺の知っているネガティブな気持ち全部がそこに混ざったのような表情だ。
「僕にはわかるんだ、この世界の住人だから」
それは理屈になっているように思えなかった。
それともこの別れに理屈はないという事だろうか。
理屈なく始まった友情なのだから、理屈なく終わってもおかしくはないという事なのか。
……いや、俺は本当は最初からわかっていたはずだ。ここは夢の中、あっさりと無くなる想像だけの世界。
「……無意味な話ししてても勿体ない、残り時間が少ないんだから」
友達がそう言うといつの間にか、通学路にいた。
最初に出会ったここには俺ら以外誰もいない。
この前来た時と同じく、あちこちに水たまりがあった。
「ここで何をする気だ?」
「見てみろこれ、現実には無いだろ?」
友達が微笑みながら水たまりに手を突っ込んでいた、見かけよりもそれはずっと深いようで友達の腕まで浸かっている。
俺はそれにならって、手を突っ込む。
「う」
とても冷たいような気が一瞬した。
だが違う、たしかに冷たくはあるけれどこんなの大した事が無い、この時期の水は本物ならもっと痛い。
ここにあるものが俺の目が覚めれば失せる幻だと、なんて事はないおぼろげなものだと俺に言っているかのような、そんなうすら寒さがここにある。
「冷たいのか?」
問われて俺は答えなかった。
嘘をつきたくはないけれど、正直に言ってしまうのも気がひけて。
そのまま水を掬ってみると、埃一つ浮かんでいない美しさだった。
この透明さだと、光を反射していなければそこに在る事すら気づけないだろう。
そんなのが俺の手の平から、こぼれていく。
「なぁ、最後の挨拶ができるだけでも満足できないか?」
「……」
何も言えない俺に友達は微笑む、それは大人が子供をなだめるときの顔だった。
友達が俺にそんな顔を。あぁ。
「僕達は互いに友達だと思って生きていける、それは十分すぎる程の事だろ?」
手のひらに、少しだけ水が残っている。
だけど、これもいつか乾いて消えてしまう。
まるでこれが夢だと象徴するかのように、最初から無かったことなのだと俺に言い聞かせるように。
「本当にまた会えないのか?」
つい聞いてしまう、さっき会えないと聞いたばっかりで。
だなしかし。夢の中だ。ここは夢の中、じゃあ何が起きたっていいはずだ。
さっきの言葉なんて、まるでなかったかのように言ってくれるかもしれない。
また会えると。
友達は首を横に振る。
「会えない、お前のこれから先に僕は登場しない」
「なぜ?」
「お前見てれば夢をコントロールできないのはわかる、俺等は二度と会えない」
「じゃあこれで終わりなのか?本当に」
「そうだけどな……現実だって似たようなもんだろ?」
「え?」
「現実も変わるだろ?お前が小学校を卒業したら、それは夢だったように思い出すしかなくなるだろ?僕との関係だってそれと一緒だろ?」
段々友達の声は荒々しくなってきた。
「落ち着けよ」
友達のセリフは矢継ぎ早で、暴れる子供みたいな様子だった。
少し怖い、大人が目の前でそういう風になるのは。
なだめるような顔をされるよりずっといいけど。
「あっさり消えてしまう現実の風景だっていくらでもあるだろ?!」
友達は叫び声をだした。
それから少し肩で息をして、それで案外あっさりと落ち着く。
「……夢みたいに消えちまうものでも、お前の大事なものはあるよな……あるはずだろ……」
「……」
「なら本当に夢でしかない僕との関係も……そんな大事なものみたいに、記憶に並べといてくれないか?」
良かった。そんな問いかけになら、いくらでも答えてやれる。俺は口を開く、目覚めの時間が来る前に答えないと
「わ」
手のひらが水に手をつっこんだ後のように冷たい。布団から手を出して寝ていたからだろう。
目の前にあるものは現実の天井、俺は目覚めている。
友達の問いかけに、答えを返してやりきれないままここにいる。
これでアイツとの関係は終わりだ、二度と会う事は無い。
そういえば、最後まで名すらも聞いてはいない。
誰だったのだろう、わからない、何もわからないまま終わってしまった。
頭を傾ければ窓から見える景色は、雪。
春になれば消えてしまう、雪。
そういえば小学生という身分で雪を見るのは、今年が最後だ。
「―――かった」
友達に言い切れなかった続きを、最後まで紡ぐ。
たぶんもうこの声はあいつへ聞こえていないだろう。
それでも何となく、こうしたかったけだ。