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壱の3 丸刈り坊主

 おれと耕ちゃんと武しゃんはそれぞれの自転車三台でゲームセンターとは別の商店街にある昭和書房に向かった。しかし、目的の漫画の立ち読みはできなかった。三人が店に入ろうとした目の前で、三年生と四年生の集団が、店員から追い立てられ出てきた。長時間の漫画の立ち読みをとがめられたのに違いない。

「くそっ、しょうがねえなあ」

 耕ちゃんが悪態をつく。耕ちゃん一人なら、中学生と見られるだろうから店に入れたはずだ。おれは、自分と武しゃんのせいで耕ちゃんの行動を制限してしまっているのではないかと申し訳ない思いがした。武しゃんはこのことをどう考えているのだろうと表情をうかがったが、なにも読み取れない。


「どこ行こうかねえ」

 自転車にまたがって体の重心を肩で電柱に預け、両足でペダルを逆に空回りさせながら、耕ちゃんは言う。

「耕ちゃんちに行こうよ」

 武しゃんが言った。それが駄目なのを、おれは知っている。

 耕ちゃんの両親は共働きで、平日の夕方までならおれたち同級生の自宅への出入りが自由だ。耕ちゃんの部屋にはいつも少年誌の最新号がそろっているし、白黒だがテレビもある。ボードゲームやら、プラスチック製のトランプカードやらがあって、遊ぶ道具には事欠かない。おれは学校の帰り、毎日のように耕ちゃんの家に寄って部屋に入り浸っている。

 しかし、日曜は両親とも仕事が休みで家でくつろいでいるから、おれたちの来訪は歓迎されない。学校の反対側に住む武しゃんは耕ちゃんの恵まれた生活ぶりを知っていたが、日曜の事情は認識していないようだ。

「うちはきょうは無理だな」

「じゃ、信ちんちは」

 悪気のない武しゃんの提案に、おれは、背筋が凍る思いがした。武しゃんは知らないのだ。おれが抱える家族の問題を、武しゃんは聴き及んでいないのだ。

「先生んちに行ってみよう」

 耕ちゃんが武しゃんを制した。耕ちゃんは、うちのことを知っている。おれの不安を察している。おれは、これまでよりずっと深く耕ちゃんに感謝した。耕ちゃんは、見た目の通り本当はおれたちより三つも四つも年上の大人なんじゃないかと思った。

「先生って岡村おかむら先生? 家、知ってるの?」

 武しゃんが驚いた顔を見せた。

「うん。城山にお寺があるだろ。あそこのお坊さんなんだよ。信ちんも知ってるよな」

 知っている。五年生に進級し岡村がクラス担任になる前から、おれたちが城山と呼んでいる高台の氏寺には何度も行ったことがある。大みそかに自宅にいても聴こえる除夜の鐘は、岡村が突いていると聴かされていた。

「お坊さんって、岡村先生、はげじゃないじゃん」

 武しゃんは納得がいかないようだ。

「はげと丸刈りは違うんだよ。それに、今のお坊さんは丸刈りにしなくていいらしいよ。さあ行こう」

 電柱に預けていた重心を耕ちゃんは立て直しペダルを正常な回転方向に踏み込んだ。武しゃんとおれはそれに続いた。

「耕ちゃん。ドロップハンドル、岡村先生に見られたら怒られるんじゃないの」

 ペダルをこぎながら、武しゃんが思い出したかのように言った。

「大丈夫だろ」

 耳たぶが風を切り、ひゅうひゅう鳴る。耕ちゃんは、武しゃんの意識をおれの家から遠ざけようと身をていしてくれている。担任の岡村に校則違反が露呈することもいとわずに。おれはこれから先、どうすれば耕ちゃんに恩返しができるのか。将来、耕ちゃんが困った時に、なにを差し出せるだろうか。風音を聴きながら、鼻をすすり上げた。


「ちょっと、ちょっと待って。止まって」

 おれの前を走っていた武しゃんが、車道を斜めにまたぐ線路の高架下で自転車を止めた。おれもブレーキを掛けた。耕ちゃんはずいぶん先まで進んでいる。ディーゼルエンジンと、レールと車輪のきしむ音と振動が近づいてくる。

「なんだよ。どうしたの」

 耕ちゃんがUターンして戻ってきた。耕ちゃんは、地面に足を着けず両方のペダルを踏んだままバランスを取って自転車をその場に停車させる高度なテクニックを見せた。

 四両編成ほどの列車がごう音を放ち高架の上を通過する。自転車にまたがって片足だけ地面に着けた武しゃんは、高架の底を見上げまぶしそうな表情をしている。

「降ってこないな。これは外れだ」

 残念そうに武しゃんは言う。列車の音は遠ざかっていく。

「降ってくるって、なにが」

 おれは尋ねてみた。武しゃんがなにを言っているのか見当がつかない。

「霧みたいなのが降ってくることがあるんだよ。それ浴びると健康にいいんだって」

 まったく理解できない。

「うわっ。それ、乗客の小便(しょんべん)だろ。汽車の便所って、穴が開いてるだけでたれ流しなんだぞ。武しゃんなにやってるんだよ。きったねえなあ」

 耕ちゃんがすべてを理解した。

「えええ。そうなの。おかしいな」

 武しゃんはふに落ちない様子だ。

「なにがおかしいんだよ、武しゃんがおかしいんだぞ。健康にいいわけないじゃないか。だれにそんなこと教わったのさ」

「あれえ。うちのばあちゃんがそう言ってたんだけど」

「武しゃん、どうかしてるよ。汽車のまき散らす小便浴びてありがたがったり、電話ボックスの漏電に引き寄せられたり。いったいどういう育てられ方したんだ」

 耕ちゃんのあきれた物言いに、おれは大笑いした。最後のいったいどういう育てられ方したんだというフレーズが面白い。耕ちゃんのおれに対する気配りだとも思った。

 家族をめぐって弱みを持つことなんて、どうでもよくなった。不安に思うことがばからしくなった。


(「弐の4 鼓膜が破れる」に続く)

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