壱の2 赤いスタジャン
「漏電だ。電気が漏れてるんだよ」
おれはすぐに分かった。
「武しゃん、なんでこんなの見つけたんだ。ほかにも漏れてる所があるのか」
両手の指を、祈りを捧げる仕草のように組んで耕ちゃんが言う。
「ううん。どうかな」
武しゃんは電話ボックスの扉を開けたり閉めたりしながら、あちこちに左右の手のひらを当てだした。
「ほかはどうってことないねえ。片っぽだけ触っても両手で触っても、なにも感じない。ここにはね、なんとなく触ってみたいなあって引き寄せられてきたんだよ」
なぜ武しゃんがなんの手掛かりもなく漏電している場所を探り当てたのか、おれは不思議でならない。
「だれか大人に言った方がいいんじゃないの」
おれは提案してみた。
「言うなら電電公社だな」
耕ちゃんが付け加える。
「だめだよ。もっとクラスに広めてからでなきゃ」
武しゃんは手柄を取り上げられたくないようだ。
「漏電してたらどうなるの」
耕ちゃんが尋ねた。
「火花を吹いて燃えちゃうとか」
当てずっぽうでおれが答える。
「この電話、通じるのかな」
根本的な問題に耕ちゃんが気づいた。
「そこまでは分からんよ」
さも当然というような口調で、武しゃんはかぶりを振る。耕ちゃんがもものポケットから財布を取りだした。
「武しゃん、ボックスの中に入ってもなんともないんだな」
指先でつまむように耕ちゃんはボックスの扉を開け、閉まらぬよう足を掛け体左半分だけをボックスに収め、十円硬貨を電話機の投入口に突っ込む。
「どこにかけるんだ」
おれは外から聴いてみた。
「一一〇番。うそ。時報か天気予報」
そう言いながら耕ちゃんは、ダイヤルを回した。時報の一一七や天気予報の一七七にしては、ダイヤル操作の回数が多い。相手につながったようで、電話機の中で硬貨の落ちる音がした。
「あ、母ちゃん。おれ。なんも用はないよ。じゃあね」
耕ちゃんは自宅にかけたのだ。そして、すぐに切った。
「通じるよ。そっちの電話はどうだろう」
調子に乗っている耕ちゃんとそれに付き合わされている耕ちゃんの母親の関係が、おれは心配になってきた。帰宅したら面倒なことになるのではないかとおもんぱかった。
「おい、もう家に電話するのはよせよ。お金がもったいないだろ」
「そうか、そうだな」
おれの忠告を、耕ちゃんは素直に聴き入れた。
耕ちゃんの興味はすでに電話ボックスから離れている。公園内で野球をしている四年生らしい集団に目を付けた。
「打たせてもらおう」
「四年生に混ざるの。昭和書房は」
面倒くさそうな口調で武しゃんが言う。
「一発打たせてもらうだけだよ。信ちん、これ持ってて」
胴の部分が赤くて腕の部分が白いスタジアムジャンパーを耕ちゃんは脱いで、おれに渡した。ジャンパーには耕ちゃんの体温が残っている。
「一発だけ打たせてくれ。打ったらすぐ行くからさ」
硬いボールとバットを使った遊びは公園内では禁止されている。四年生は、塩化ビニールのボールとプラスチックのバットで野球をしていた。バッターボックスにいた四年生もキャッチャーの四年生も、迷惑そうな顔だ。
六年生より背が高い耕ちゃんは、学校では有名人だ。職員室の教師にも一目置かれている。少なくとも五年生やそれ未満の学年の児童は、耕ちゃんには逆らえない。
「代われ。貸せ。一発だけだ」
オーバーオールのつりひものボタンと金具を右側だけ外し、耕ちゃんはプラスチックのバットを奪い、土の地面に棒きれで線を引いたようなゆがんだバッターボックスに入った。そして、中空で軽いはずのバットを何度か素振りする。
「一発っていっても、いつになるか分からんねえ」
武しゃんはあきらめたよう口調だ。しかし、おれは知っている。耕ちゃんは並外れたバッティング能力がある。得意なスポーツ全般の中でも、特に野球で才能を発揮する。
「まっすぐ投げろよ。ボール球ばかりじゃ、いつまでもここを動けん。四球はなしだからな」
耕ちゃんはピッチャーの四年生に脅しのような文句を発した。
ピッチャーの放つ塩化ビニールのボールはふわふわとストライクゾーンに入った。耕ちゃんはバットを大きく振る。ばちっと音がして、ボールは鋭く弾き返されピッチャーの頭上を大きく越えた。
内野も外野もだれもグローブをはめていないから、だれが守備なのか分からない。園内の大人や子ども全員が空を見上げたようにおれは感じた。外野を守っていたらしい四年生が、後方に落下したボールを拾いにいった。
「これが五年生の当たりだ」
おれと武しゃんに言ったのか四年生に言ったのか分からない。最初の一球でホームラン級の打撃を見せた耕ちゃんは約束通りバットを四年生に返し、オーバーオールのひものボタンを再び金具に通し、おれからジャンパーを受け取った。
「耕ちゃん、すごいねえ。リトルリーグに入れるよ」
武しゃんが感心した。
「この辺りにリトルリーグはないからな。中学で野球部に入ってやるしかない」
ジャンパーを羽織りながら耕ちゃんは言う。耕ちゃんなら甲子園にも行けるし、プロ野球にも入れるんじゃないかとおれは思った。
(「壱の3 丸刈り坊主」に続く)