弐の2 緑の救急車
父はてんであてにならない。気が向くとおれや昌子を遊びに連れ出す。それで父親の役割を果たしたと思っている。母親が精神病だと知っているのに、そのことでおれや昌子が深刻な被害を受けているのに、現実逃避する。
おれは六月四日生まれで、父はその一日前の六月三日生まれだ。そのことを父は誇りにしているようで、おれを連れ歩き知り合いに会うと、必ず自慢げにそうおれを紹介する。
――誕生日のパーティーをしとったんだ。そしたら、もうすぐ生まれるっていう連絡が入って病院に飛んでいった――
父本人からも親戚からも同じような話を聴かされたから、きっと事実なのだろう。父には子の親になるという自覚がもともとなかった。だから、精神病の母親を持つ子の苦しみなど分からない。
夏休みのことだった。その日は朝まで、大雨が降っていた。居間の電話が鳴った。母が取った。父からのようだ。
――信之を川に近づけるなって。氾濫してて流されるって――
電話を切って母が笑った。
おれは自転車で川を見に行った。濁流が橋を押しつぶしそうな勢いだ。流されたらひとたまりもない。
父の忠告を母は無視した。それどころが、息子にいらぬ知恵を付けさせた。
川が氾濫していると知れば、おれが興味を示さないはずがない。おれが流されようが行方不明になろうが水死体で上がろうが、精神病の母にとってはどうでもいいことなのだ。
そんな母の価値観と行動様式を、長年連れ添ったはずの父は理解していない。川に近づけるなと母に言ったことで、おれに万が一のことがあっても父親の役割を果たしたと免罪される。そう信じて疑わない。
市内に大きな精神病院がある。母の実家のすぐそばだ。母もここに通っているのだろうと、おれはにらんでいる。入院したことがあるかもしれないと勘繰った。
――緑の救急車が迎えにくるぞ――
おかしなことをすると、教師もクラスメートもそう言っておかしなことをした張本人をからかう。そのフレーズを聴くたびに、おれは心臓の止まる思いがする。
緑色の救急車など見たことがない。同級生によると、発狂した精神病患者を収容するための特別仕様の救急車なのだという。狂った母親を迎えに緑の救急車が来るのではないか、その場面を同級生に見られるのではないかとおれは常に恐れた。
おれは、家にいたくなかった。精神病の母のそばにいるのが怖かった。いつか殺されると思っていた。
そのうち、いつか自分が母を殺すことになるだろうという逆の思いに移り変わった。明らかな殺意が芽生えた。
自分が犯罪者にならぬよう、なるべく家にいないよう努めた。耕ちゃんの家に入り浸った。学校の長期の休みには、二人の叔母の嫁ぎ先に泊りがけで避難した。
叔母とその夫である叔父はきっと迷惑だったであろう。でも、母が重い精神病をわずらっていることを知る叔母は、少なくとも表面上は温かく迎えてくれた。同情してくれた。ふびんに思ってくれた。
◇ ◇ ◇
(「参の1 担任教師を殺して埋める」に続く)