弐の1 シャボンの泡のにおいでしょ
おれが持つ生まれて最初の記憶は、母に蹴られる場面だ。四歳まで暮らした市営住宅の一階の居間で、おれは何度も何度も母に蹴られた。
強く激しく蹴られた。おれは畳敷きの居間の床を転げ回った。痛かった。苦しかった。怖かった。
二番目の記憶は、その市営住宅に母から置いてけぼりを食わされるシーンだ。連れて行ってくれと玄関口ですがるおれを無視して、母は出ていく。
――東京に行くんやろ。アメリカに行くんやろ――
東京もアメリカも知らないおれは、母がこのまま帰ってこないことを恐れた。
母は三人姉妹の長女で、おれの叔母に当たる母の妹二人は、いつも優しかった。
――大き姉ちゃん――
上の叔母のことを、おれはそう呼ばされた。
――小姉ちゃん――
下の叔母にも、おれは懐いていた。大き姉ちゃん、小姉ちゃんと一緒にいたかった。叔母たちはなぜ母のように突然怒り狂うことがないのだろうと不思議だった。
昌子を身ごもった母が臨月に入る時、おれは、母の実家に預けられた。その時の記憶が、おれにはない。叔母は二人とも県外の大学、短大に通っていた時期に当たる。おれは、祖父と祖母に面倒を見てもらっていたようだ。
ただ、居間で蹴られたり置いてけぼりを食わされたりした時に昌子はいなかったはずだから、その恐ろしい記憶は、母の実家に預けられるより時期的に前の出来事だったのだと思う。
三つ下の昌子が生まれてから、狂った母の矛先は昌子にも向けられるようになる。
昌子は、まっすぐテレビを見なかった。座っていても立っていても、体は正面をテレビ画面に向けている。しかし、首がねじれ、横目で画面を見ていた。
母が病院に連れて行ったようだ。どういう診断を受けたのか、おれは知らない。しかし母は、昌子が横目でテレビを見ていると厳しく叱り付けた。首のねじれを腕力で矯正した。直らないと、何度も頭をたたいた。
母は四六時中、狂気にあったわけではない。おれや昌子に対し、母親らしい一面をのぞかせることもある。
しかし、感情の起伏が激しくすぐに精神状態がおかしくなることを、おれは知っている。
――お母さんていいにおい。洗濯していたにおいでしょ。シャボンの泡のにおいでしょ――
幼稚園で習った童謡を歌いながら、昌子が母にまとわりつく。同じ童謡を、おれも幼稚園のころ教わった。おれは母にまとわりつかなかった。家では歌わなかった。
この童謡は、「お母さん」と呼びかける幼子に母親が「なあに」と応じる歌詞がある。正常な時の母は、昌子の歌いかけに「なあに」と答える。異常な時に歌いかけると、まだ幼稚園児の昌子を厳しくせっかんする。
――あれはお母さんの木だよ。優しいときのお母さんにそっくり――
昌子が小声で教えてくれた。
居間の窓から見える裏手に小高い丘があって、頂に大きな樹木が並ぶ。そのうちの一本が確かに、天然パーマの母のシルエットに似ている。母が情緒不安定に陥った時、昌子は窓から見える木を心の寄り心として恐怖と寂しさと悲しさを紛らわせていたのだ。
小学校に上がってからの健康診断で、昌子は視力が劣っていることが分かった。眼鏡を掛けなければならないと、学校から指導された。母は、市内だけでなく隣の県の大学病院にまで昌子を連れて行って、視力は回復しないのかと尋ね回った。
――栄養失調が原因やって――
父に話しているのをおれは耳にした。
――本を読み過ぎたからやって――
別の理由を、実家の祖父や祖母、二人の叔母に説明しているのも、おれは聴いた。
栄養失調にさせた自分の母親としての落ち度を隠し、あろうことか昌子自身に原因があるかのように偽り振る舞う母の言動が、犯罪者の所業のように思えた。
昌子は学年で初めて眼鏡を掛けさせられることになった。四年生だったおれは校舎内や運動場で昌子の姿をたびたび見かけた。眼鏡を掛ける一年生は昌子しかいないから、すぐに見分けが付いた。
居間で母が昌子の宿題を見てやっていた。昌子は、足し算の繰り上がりができないようだ。
――なんでこんなことも分からんね――
母は、手にしていたボールペンの尻を昌子の顔に強く突きつけた。目がつぶれると、見ていたおれは瞬間的に思った。
ボールペンの尻は昌子の眼鏡に当たり、ボールペンと眼鏡のどちらかががりりと音を立てた。ペンの尻を突かれた反動で頭ががくんを後ろに傾き、昌子は泣きだした。泣いたのは、足し算の繰り上がりができないからではない。狂った母に目を狙われたからだ。
赤いフレームの昌子の眼鏡を、昌子が掛けていない時にこっそり触ってみた。狂った母に突かれた左側のちょうつがいが緩んでばかになっている。
昌子の目はつぶれなかった。栄養失調が原因で着けさせられていた眼鏡が昌子を守った。
(「弐の2 緑の救急車」に続く)