君の雫で潤す
坪井から借りた小説を読み終え、長時間酷使した眼球を労わるように目頭を揉んだ。
清々しい青と春の概念がデザインされた表紙の光沢を眺める。
巷で流行している感動恋愛モノだと、あの粗忽な坪井が唾をまき散らしながら進めてきた一冊だ。
古くからの付き合いである友人の熱意に半ば気圧され、気乗りしないまま指を滑らせて読み進めてみたが──。
作品自体は確かに流行りなるのが分かるほど、文とストーリー性に才能と魅力がある。
しかし感動するかと問われれば、素直に首を縦に振ることはできない。何故なら俺は一ミリも共感の波を立てることができなかったからだ。
先に断っておくが“感動”という感覚は理解できる。
しかし共感を示して他の読者が涙を流してみせたりする感情の震えが、俺にはまったく起こりえなかった。
素直な感想を述べた時の坪井の顔のしかめ具合といったら。
「おまえ、やばすぎるだろ!」
繊細という言葉から縁の遠い男に言われ、流石の俺はむっとしてしまった。が、分からないものは分からないというのが正直なところだ。別にこの作品だけに限ったことではないが、こうも共感ができないのもある種寂しいものである。
「しかし目が乾いたな……。流石にぶっ通しで読み続けるときついな」
ローテーブルの引き出しから目薬を取り出す。透明で少しの濁りもない液体が、汚れ一つない瓶の中で綺麗に泳いでいる。下瞼を引っ張りながら、瓶を傾けて一滴二摘と眼球を潤していく。
わずかに香る塩気の含んだ液体が、頬を伝って顎先からしたたる。反対の眼球も同じように潤してから、馴染ませるように瞼を開閉した。
途端。胸の奥から堰を切るように、感情が溢れて崩壊した。零した雫の跡を辿るように、涙が頬を行進していく。
無共感を塗り替えていくように、荒波を立てて全身を震わせて物語の“感動”に染まっていく。
あぁそうか。これが坪井を動かした心の揺れなのか。
「アイツから涙を奪ってきた甲斐があったなぁ」