初陣、あるいは死に場所
「ああ、そうだ。お前のその格好は目立ってしまうね。契約のお礼だ、こちらの服を一通り贈ってやろう。」
「あと、その『スマホ』とかいうのはここでは無用の長物だ。捨てるなり、片付けておくなりするといいさ。」
というと、アンリが部屋の奥から服を取り出して来た。
厚手の革のコートに、内側に着るシャツとベスト。細いシルエットのズボンと、ハンチング帽がテーブルに置かれる。
「裏で着替えてきな。婆は食事の用意をするよ。お前はいるかい?」
家を出るときに食べたので、首を振って断り、アンリに言われた通り陰になっている場所で着替える。
世界観で言えば、王道の中世ファンタジーというより、産業革命、あるいはその前後のあたりのようだ。
アンリの服は中世ファンタジーのようだったが、男女差なのだろうか。
「おお、似合っているぞ、カルベト。少しばかり姿勢がよくなったんじゃないか?」
テーブルのある部屋に戻ると、パンをほおばりながらアンリが話しかけてきた。
「いくつか、アンリさんについて質問してもいいですか?」
この際、聞きたいことは徹底的に聞いておくことにした。
「まず、食事って必要なんですか……?人形なんでしょう?」
「必要はない。ただこうやって人間らしいことを怠っていると、失ってはいけない何かが失われる気がするのさ。」
彼女の口元が少し緩むのが見えた。
「あと、口調が柔らかくなってませんか?」
「アハハ、やっぱりばれたかい。ただの趣味だよ。カルベトのようにここに来た人間はだいたいひどく怯えてる。そこを少し脅かしてやるのさ。カルベトもいい顔をしてたよ。」
少しばかりくやしさを覚えた。
スープを最後の一滴まで飲み終えたアンリが口を開く。
「さて、おしゃべりは終わりかい?だったら、ダンジョンに行ってもらうよ。」
そうだ、少し気が緩んでいた。
いつ殺されてもおかしくない立場に今いるんだ。のんびりしてる暇なんてない。
「瓶とナイフを持ってきな。外で待っているよ。」
言われた通り、紐のついた瓶を腰にさげ、ナイフをズボンについた革製のポケットにしまう。
「いいかい?墓石に触れ、強く念じるんだ。ここじゃないどこか深い所へ行く感覚さ。」
アンリの言う通りに、触れ、念じる。突如ここに来た時と同じ感覚に襲われ、足を踏み外したように落ちたのち、少しぶつけたような痛みを感じる。目を開けても、そこにアンリの姿はなく、ところどころ蠟燭の乗った背の高い燭台で灯りがあるのみだ。
「キシャー!」
突然声が聞こえた。明らかに人間ではない。足音もする、近づいてくる。焦ってナイフを取り出し、身構える。
姿が見えた。ネズミだ。ただ自分の知っているネズミの、数十倍は大きい。人間の膝ほどまでの大きさはありそうだ。これが魔物だろう。
構えたナイフをネズミの脳天に突き立てる。ゴキ、と嫌な音がし、刺した手に生温い液体がかかる。
「ヒッ……」
思わず声が出た。幸い、急所にささったようでネズミは一瞬で絶命したらしく動いていない。
安心して次の獲物を探そうとしたが、すぐにその必要がないことがわかった。
足に鋭い痛みが走る。背後から来た別のネズミに右足に嚙みつかれていた。もはや自分が獲物になっていることに気づかされた次の瞬間、さらに別のネズミも襲い掛かってくる。
「いだっ……!」
自分でも情けない叫び声にもならない声をあげ、ナイフを落とした。気づけばすでに15,6匹はいるであろうネズミの集団に囲まれていた。
そこからはもう何もできなかった。膝をつけば足に噛みつかれ、その痛みに耐えかねて手をつけば手の肉を食いちぎられ、自分の身体がバラバラになっていくのを感じ、とうとう気を失ってしまった。
「…………ベト…………カルベト」
先ほどまでとは違い、身体を優しくゆすられて目を開ける。食いちぎられたはずの手足は無事にあり、目の前にはアンリの顔がある。
「起きたか?ひどくやられたんだろう。すぐ戻ってきたね。」
墓石に寄りかかっている自分を、アンリが眺める。腰のあたりを見ると、落としたはずのナイフは戻ってきていることに気付く。なるほど、これが死んでも戻ってくるということか。
「大変だったろう。ただ、次からは負けないように戦うんだ。いいね?」
そういうとアンリは、手先で腰にぶら下げてある小瓶をいじり、次に俺の頬に触れる。
木のような触れ心地の、冷たい手だった。いや、木そのものだった。
心の中でまだ少し疑っていた部分が晴れた。今目の前で起きているめちゃくちゃなことは、実際に自分の身に降りかかっていることなんだと。
「どうした?殺されたショックから立ち直れんのか?」
「大丈夫……だけど、今のままの俺だったら絶対にあいつらには勝てない。何か、鍛錬とかがいるんだろうけど、そうする前に殺されてしまうんじゃないかって……怖いんです。」
「落ち着けカルベト。まだお前に渡してないものがある。少し散歩に行くぞ。」
アンリはそういうと、ニヤリと笑った。