転移、聖女、契約
きっかけなんていつあるかわからない。
はじまりは、昨日たまたま見たThe Backroomsの動画にそっくりだった。
日課のジョギングのため、家を出る。階段を踏み外したような感覚のあと、目の前が真っ暗になる。
次の瞬間、鈍い痛みと共に小石のジャリジャリした感覚が頬を刺激する。
何故だ?家の周りに砂利が引いてある場所はない。痛みで閉じた瞼をうっすらと開けていくと、なにも見えない。いや、違う。手を伸ばせば指先が見えないほど濃い霧。体を起こし、スマホを確認する。霧の影響か、電波は届いてないようだ。
よく見ると、足元にはレンガで通路が敷いてあることに気付く。それに従って、恐る恐る前にするんで見ることにした。スマホのライトをつけると、少しは視界が確保できた。
「坊やが新しい異邦人かえ?」
突然、霧の向こうから声がした。老婆のような口調だが、震えてはいない。途端に足の力が抜けて、後ろに後ずさりする。
「フヒ……ハヒヒヒヒ…………今度の坊やは怖がりさね。それとも今日の霧がひどいからかねえ?」
怖くて声も出ない。
「あー坊や、可哀想にねえ。落ちてきたんだろう?大丈夫さ、婆についておいで。この先に安全な場所がある。そこで話をしてやるぞえ。」
と、また声が聞こえると同時に、若い女性の顔が見える。色白の、いわゆる西洋系の美人だ。背丈は自分と同じかそれより高いほどだ。
少し緊張が解けて、お願いしますと声が出た。
「体に痛いところはないか?ならシャキシャキ歩くことさね。わからないことを聴くのは後だ。婆に遠慮する必要はない。さあ、行くぞ」
自分のことを婆と自称する彼女についていく。実際にその横で歩くと、確実に自分より背丈が高いことがわかる。
「そうさね、とりあえず着くまで婆の事でも話そうかえ。名はアンリ、この体は婆の魂を込めた人形さね。アンリ婆さんと呼ぶといい。あるいは、若い体を婆さんと呼ぶのは気持ちが悪いかい?」
「あの……アンリ婆さん。魂を込めた人形とか、全くもって意味が分からないんですが。」
「フヒヒッ、難しく考える必要はない。婆もお前と同じ方法でここに来た奴を何人も見てきた。そいつらに言わせれば…ここは『異世界』さね。」
フィクションでしか見たことも聞いたこともないことが、今ここで起こっている。それだけが理解できた。
「大丈夫。前の坊やたちも最初は混乱していたが、じきに慣れていった。大丈夫さね。」
ゆっくりとしたアンリの口調で、すこし落ち着いてきた気がする。
「安心せい、婆といれば野垂れ死ぬことはないさ。さて、ついたぞえ。」
レンガ作りの、簡素な小屋が霧の中に現れる。確かに、異世界モノに出てきそうな作りだ。
アンリが閂でできた簡単な鍵を開け、中にはいる。それに従って自分も入る。
アンリに座れと促され、お互い対面して切り株でできた椅子に座る。
「さてと、まずはお主の名前を聞こうとするかね。ただその名前は捨ててもらうよ、目立つからね。」
「坂田寛太です」
「ほうほう、カンタなあ……契約だ。カルベト、これが今日からお前の名前だ、いいな?」
アンリが、目を細め、顔を近づけて言う。
「はい」
「フヒ……カルベト、今のが契約だ。聖女とのな。お前は今この瞬間にも、別の聖女の契約者に殺されても文句は言えんぞ。もっとも、ここにいる間はそういうことはありえんがね。」
「はっ?」
思わず口から声が出た
「ああ……別の坊やたちもそういう反応をして、直ぐに契約を破棄して行ったねえ、懐かしい。」
フヒヒと歯をむき出して笑うアンリに、質問を投げかける。
「どうやったら、その聖女の契約者とやらに殺されないんですか?」
「お前自身がその体で、用意をすることだ。少し待っておれ。」
というとアンリは、棚から小瓶と、ナイフを取り出してテーブルに置く。
「表に墓石があったろう?あれは聖者の墓。聖女の契約者の血を捧げることで、契約者は『ダンジョン』に入ることができる。そこには魔物なんて呼ばれるのがうじゃうじゃいる。魔物と戦って、得たものは好きに使えばいい。そこで死んだとしても、墓の前で目を覚ますだけ。こうやって様々な聖女の契約者達は自信を鍛えているのさ。」
「俺がここで契約を破棄したら?」
「そうさね。一つ、元の世界には戻れん。そしてもう一つ、ここでの人生の幸せの絶頂で、悪魔によって死ぬ。」
理解はできないが、これは重要な二択であることはわかった。
俺の最期は三つ
元の場所に戻って死ぬか
聖女の契約者によって殺されるか
悪魔に幸せの絶頂で殺されるか
選ぶなら、少しでも希望のある方がいい
「わかりました。契約者たちと戦います。戦い方を教えてください。」
「よく言うた。カルベト、お前にこの瓶とナイフをやる。使い方を教えてやるぞ。」