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ワン・アイデア・ストーリーズ  作者: 八雲 辰毘古
半径5メートルの非日常
9/26

見てきたような聞いてきたような

「元カノと別れられなくて困ってるんです」


 全く唐突な通話だった。少なくとも仕事中にするものではない。


 業務中に後輩社員から来たLINEが気になったのがいけなかったのである。その文面は、端的に「助けてください。いまとても苦しいんです」とあったのだ。何があったのかわかりかねて、スマホを見て二秒ほどフリーズする。それからうんと考えて、とりあえず執務室から離れた。

 給湯室に歩きながら、「どうした?」と返す。「すみません。どう言ったらいいか分からず」「とにかくひどく苦しくて仕事が手につかないんです」とあった。感情豊かな人物ではあったが仕事はできる方だった。それができないほどというのは、よほどのことのように思えた。


 その後輩くんには、もともと新人研修のトレーナーとして就いていた。だから業務日報のコメントをしたり、研修以降も月二回ていど、オンライン会議で現場の状況をヒアリングするぐらいには親密だった。

 後輩が二年目になってからは、同じ社内委員会に属し、議事録や雑務を任せた。細々とした作業にじゃっかんの抜け漏れを感じはしたが、それは自分が二年目の時よりはずっとましなような気がした。少なくともぼくの場合上司と喧嘩ばかりしていてろくなことはなかったのだ。


 おまけに、彼は人気者気質で人の良さそうな話ぶりでプレゼンができる。それほどのコミュニケーション強者であるわりに、書き言葉は下手くそで、業務日報に書いてある情報量が少ない。その点なんどか指摘すると、頑張ってはくれるものの、二週間ぐらいすると元に戻る。本人曰く、「何を書けば良いのかわからない」らしい。口頭で訊くと流暢に話してくれるのに、意外だった。


 こういういきさつを持っているわけだから、LINEでどう書いたら良いのかわからないのであれば、訊いた方が早いと思った。

 それで、「書くのに時間割くぐらいだったら通話するよ。一時間後に会議あるから、それまでなら」と送った。すると本人も有り難がるように「すみません。宜しくお願い致します。」と返信があった。最後に句点があるところまでは固くて初々しい印象があった。


 それで、冒頭に戻る。


 最初は話しにくそうにしていた後輩くんも、言ってしまったとたんに気が楽になったみたいだった。ぼくは拍子抜けしてしまった。少なくとも親が死んだとか、そういうもっと火急のトラブルだとばかり身構えてしまっていたからなのだけども。


「えーっと、情報量が多すぎるから整理させてね。まず、元カノなのね?」

「はい」

「それが、別れられないというのは?」

「えーっと、まだ連絡を取っていて」

「うん」

「向こうからしつこく連絡が来るんです。それもなんか、相談で──」


 あー、はいはいめんどくさい奴だこれ。


 ぼくには恋愛経験なんて一つもない。それっぽいことはあったけどそれを恋愛だと言えたもんじゃない。だから実質ゼロ。にもかかわらず、恋愛相談の件数はむかしからひっきりなしで、聞かされた話と問い詰められた話で疑似記憶を埋め込まれてしまっていた。

 こんなの、恋愛小説の読みすぎよりもタチが悪かった。なにせこっちの方があり得ないようなリアルの話なのである。小説はとりあえず閉じてしまえばフィクションだってわかるけど、リアルの話は閉じてもつきまとう。なんなら開いてくれって通知が止まらない。リムブロ不可避。仕事の依頼なら即断るべき炎上案件だ。


 けれどもこれは仕事じゃない。それどころか、社内のメンタルヘルスに関わる。ぼくは面倒くさいのを飲み呑んで、聞きに徹する姿勢に切り替えた。話を遮って、先手を取る。


「えっとね、この話を聞くのはぜんぜん良いんだけど、ぼくは手助けはできないかもしれない」

「…………」

「少なくとも、きみはどうしたい? その困ってる状況について、きみが何をどうしたくて話したいのか、いったん立ち止まって整理してみよう」

「……わからないです。同僚には〝縁を切れ〟って言われたんですけど」


 まあそうでしょうね。別れたはずなのに七面倒な相談持ち込んで腐ってるようでは、拗れるが過ぎる。


「ただ、納得がいかない感じだね」

「……はい」


 んー、面倒だやっぱこれ。


「少なくとも、ね。ぼく個人もその同僚さんと同じ結論なんだけど、それを言っても始まらないし落ち着きもしないのはわかった。だったらできることは二つしかない。

 ひとつは縁を切らないでその元カノのヤバそうな状況をなんとかする。もうひとつはきみが話したいことを片っ端から聞くから──ほんとうにただ聞くだけから、結論はきみの中で出す。残念だけどぼくはきみの元カノのことなんてまったく知らないから、後者しかできない。どうする?」


 少しだけ、間があった。しかしやがて「後者でお願いします」と返事をした。


「オーケー。じゃあ聞く。どこからでも好きなことを、思いつくままに話してご覧」


 それから先は地獄だった。なんでこんな仕事上で付き合いのある人間から初めてできた彼女との馴れ初めからイキっていた大学生時代のことまで聞かされなきゃなんないのか、話している方も理解してなかったはずだ。だから聞いている側としてはよりカオスで、しかしこういう話をするときに突っ込まないのが礼儀作法なのだから仕方ないなと堪えるしかなかった。

 全てを聴き終えたとき、ぼくはこのネタひとつで昼ドラの脚本が一本書けそうなぐらいには耳年増になっていた。


「どう? 落ち着いた?」

「はい。とりあえず、いま話せることは全部話したんですが、少し整理できたような気がします」

「そっか。良かったわ。じゃあそろそろ会議だから切るけど、いい?」

「はい。ありがとうございます」


 一時間が経過していた。すごい長い自分語りだった。


 その後、会議を終えて定時で帰るとき、あらためてLINEを見る。そこには「先ほどは本当にありがとうございました。」「キッパリと別れることにしました。ふつうの結論かもしれませんけど、踏ん切りつきました」とあった。よしよし。この結論にイキっていた大学生生活の話は全く関係ないと思うけど、振り切れたのであればよかったよ。

 そうこうして、帰路に付きながら、ぼくはまったく関係ないことを考えていた。


 ぼくは決して話し上手じゃない。女性関係どころか同期・同僚と業務内容以上の会話をしない。だから下ネタや恋愛トークの盛んだった大学時代よりも、社会人になってからの方が生きやすいぐらいだった。

 けれども、彼は同期・同僚とよく喋り、友人たちと楽しげに語り合うのが好きな人間だった。そんなひとが、自分自身の恋愛トラブルを誰にも相談できず、したとしてもすげなく結論で蹴り飛ばされてしまうなんて、寂しい人間関係だとも思った。


 もちろん本人の話は決して耳良いものじゃないし、面倒くさい自分語りのフェーズが、たぶん全体の九割を占めている。とはいえ、そういう面倒くささを受け止めてくれるような熱い人間関係というものがあってもよかったんじゃないかとも思ってしまう。

 別れたいのに別れられないというのは、聞いてみたところ、出逢ってから今までの関係を築き上げてきたという歴史がすっかり取り憑いてしまっているからのようだった。元カレのこと、元カノのことが忘れられないんです──というのは、切り口によってはとても美しい思い出のように感じる。ただ、それが美しいのは思い出のまま留まっている場合だけで、お呼びでないのに出てくれると過去の亡霊になってしまうものだった。なんて、そんなクサい言い回しを頭の中で練りながら、今日もがたんごとんと電車に揺られる。


「ありがとうございました。先輩が会社にいてくれて、ほんとうに良かったです」


 LINEの通知を見て、ハイハイよかったねーと思う。だからと言ってぼく自身の胸が熱くなるわけでも、後輩との絆が深くなったわけでもない。明日もまた仕事だったし、後輩も仕事に集中してもらなければ困る。


 ところで後日聞いたところに拠ると、別れた後三週間もしないうちに別の女と同棲生活をするほどまで進展したということだった。なんだか都合良く使われた感じがして、ムカついた。恋愛なんて喉元過ぎればどうとでもなるのかと呆れもしたのだった。

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