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ワン・アイデア・ストーリーズ  作者: 八雲 辰毘古
半径5メートルの非日常
8/26

春を病む人

 春もうららなこの日頃、しあわせな話をよく聞くと、思わずざわつく自分がいる。


「あいつこないだ結婚したんだって」

「へえ」


 この「へえ」は(いつのまに?)の「へえ」である。無関心を装ってはいるが、驚いている自分は隠しようがない。だから自分を逸らす。誤魔化す。具体的には、この驚きをポジティブな方向に持っていく。


「お祝いしなきゃじゃん」


 恨まない。羨ましくもない。相手はぼくの知らないひとであるから、ふつうに知り合いの〝おめでた〟になる。要するに、他人ごとってわけなのだ。

 けれども自分の胸のうちにはちらっと過ぎるものがある。痛みにも似た感触──それは嫉妬でも裏切られた感覚でもなくて、強いて言うなら、小学校の運動会、誰にも期待されないまま、黙々と走ってゴールテープが切れていくのを見守る後ろから二番目って感じ。


 決してビリであるつもりはない。しかし、だからと言ってそのままで良いわけでもなかった。オリンピックだって上位三名がみんなの認めるレベルであって、四位以下はどんなにスペックが高くても、お残りでしかない。


 ぼくはそのまま仕事を切り上げて、同僚の結婚祝いを買うために寄り道をした。

 百貨店に向かう途中でスマホを見る。「結婚祝い」で検索すると、たくさんの検索候補と広告が、ずらりと並ぶ。贈り物のセンスがなくてもとりあえず検索しておけば間違いない。ぼくはとにかく人付き合いが得意なわけではなかったから、中学や高校のとき、人を喜ばせるサプライズができる同級生を、雲の上の人々みたいに尊敬していた。尊敬していただけで、向こうからは蟻にも思ってもらえたかもわからない陰気な人間でもあった。


 ただ、ふつうの〝陰キャ〟と言うよりは、もう少し社交的ではあった。オタクともヤンキーとも仲が良かったし、カラオケに誘われればロックもポップも歌う。成績も悪くはなく、大学は上の中ってところだった。

 けれども、女性と具体的にお付き合いをした経験は、ゼロだった。


 もともと苦手だというのはある。小学生の時に集団的に「キモい」の連呼でトラウマになっていたことがあるぐらいだ。なぜそうなったのかは今となっては思い出すのが苦痛なほどだったが、たぶん思春期の人にとってはイラつくようなことをしたんだろう。

 ぶっちゃけた話、ひとりで黙々と勉強したり読書をしたりする人間よりも、女子更衣室を覗いたりスカートめくりをしたりするやつの方がモテていた。もちろん覗きやめくりが良いことだとは思わないけど、関心を持っていて、関心を持ってもらいたいという欲が強いから、誰よりも行動したんだと思う。


 そういう意味では、ぼくは一切そういうことをしていない代わりに、一切まともに行動できたためしがなかった。

 欲がないといえば嘘になる。しかし実際にそういうチャンスがやってきたとしても、萎縮する自分もいる。どっちがほんとうでどっちが後付けかはわからない。もう粘着テープではっつけた仮面みたいに剥がそうとすればするほど痛みが伴うのだ。


 ちょうど、高校を卒業する前後で祖母の介護をしなければならなくなったこともあって、ぼくは次第に人の恋愛に口出しをしないようになった。気が付いたらみんなが惚れた腫れたの話をするけれども、ぼくにとってはそれどころじゃなかった。彼女欲しい? と冗談めかして聞かれることも数えきれなかったが、そのたびに興味がないと答えた。

 残念ながら女の子の話を聞く余裕がなかったのだ。また祖母の下の世話ができているかとか、うっかり徘徊してないかとか、そんなことばっかりが頭の隅にあって、落ち着いたためしがない。


 ようやく祖母が亡くなって、不謹慎ながらホッとして周囲を見渡したとき、ぼくはすでに二十五歳で、社会人三年目だった。


「つうわけで、まあなんか結婚祝いの支出ばっかり増えちゃってさ」


 結局ぼくは、タオル一式を買って贈った。引越し前だと聞いていたので素直に喜んでもらえた。フワフワした良いやつだしね。めいいっぱい使ってくれよ。

 ということを、ある休日に友達三人集まって話す機会があった。このうちぼく以外は男女のカップルで、交際して長い。このふたりを見ても、やっぱりぼくは嫉妬しないし羨みもしない。どちらも昔からの馴染みだからかもわからないし、ふたりが仲良くしている空気感は自分が側から見てても微笑ましい感じがあった。


 もはやおじいちゃんか親戚のおじさんである。自分が自分の人生ではないという感じが肌身にまで染み込んでいる。


「まあそうかもな。そのうちおまえも良い相手を見つけられれば、取り返しもつくよ」

「いやいや、まさか」

「でも丸山くんは優しくて良い人だから、きちんと良い相手見つかると思うよー」

「だといいねー」


 こういうときの面白い返し方を、ぼくはまだ見つけられていなかった。


「実際おまえさ、どういうのがタイプとか、あるの?」

「へ? うーん……」

「なんかこう、あるでしょ。あればもう少しハッキリと相手見つけられると思うけど」

「そうかもな。でも、わかんないや」

「わかんないっておまえ……」


 呆れたような顔だった。


「でも、しょうじき好きになった人を好きになるしかないような気がするなあ」

「マジかよ、そりゃあできねえよ」

「できないかあ」


 こうやって何から何まで手遅れみたいに言われて、放り投げられる。話が進まないから、次に行こうってなる。

 まあそりゃあよくわかるんだけども、こういう会話をすればするほど、お互いが気まずくなるのはやるせない。なんでいちいち架空の恋人候補となりうる女の子の好みの話──好きな身体の部位とか、性格とか、夜の営みとか、そんな話をしなくちゃなんないのか。それが実のところ、わからなくなっている。


 ただ、そんな人間でも他人の恋愛話や恋愛ドラマは楽しく観れる。自分から切り離されたものならいくらでも面白がれた。胸がキュンキュンするような話題も、カップルと同席で会話を楽しむことも、なんなくできる。むしろその方が気兼ねなくイジれる。関係性が読める。決定している。そこで発生するあれやこれやは、ストレスがない。

 逆に、いちいち人の好意とか裏とか心情とかを観察して汲み取らなければならない会話は骨が折れた。知らない人に話しかけるのもそれで苦手だ。職場だったら上司・同僚・部下、友達関係なら友人・恋人・夫婦。それぐらい明確に線引きされているぐらいが、ちょうど良い。その線を越えたり越えなかったりするあいまいな関係は、面倒なだけだ。


「──そういえば、この流れで言いにくいんだけど、思い出したから言っとく」


 友人が、突然左手を出した。二人同時に見せたその手の薬指には、銀の指輪がはまっている。


「おれたち結婚したんだ」

「おー! おめでとう」


 おめでとう。なんて白々しい言葉だろう。我ながら自嘲する。あまりにも咄嗟に、身を守るための言葉としてこなれすぎていた。


 人を恨まないし、羨ましいとも思わない。決して攻撃もしないし、見下しもしない。その代わり、自分でせっせと線を引く。その線はソードラインと同じで、それ以上踏み越えたらコミュニケーションは成立しませんという距離感を示す記号だ。文字通りのソーシャル・ディスタンス。しかし、病んでいるのは彼らなのか、それとも、ぼくなのか。

 きっとぼくはこのままだと一人ぼっちのままのうのうと生きて、一人ぼっちのままのうのうと死ぬだろう。そんなことがわかったところで、今日もマスクをして、感染を恐れながら歩くしかない。実に嫌な夜だった。

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