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ワン・アイデア・ストーリーズ  作者: 八雲 辰毘古
想像しい夜に向けて
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失われたアイデアを求めて

 あーあ、まーたやっちまった。


 何がって、忘れちまったんだよ。今日のアイデア。さっきパッと閃いていたはずのことさ。あの時は空でも飛べると本気で思ってたのに、いつのまにかいなくなってやがる。

 まるで電車の網棚に荷物置いて降りたとか、橋の手すりに身を乗り出したら胸ポケットからスマホ落としたとか、そういう手合いのうかつさと恨めしさがある。俗に「逃した魚は大きいぞ」ってことわざがあるけれども、そんなもんじゃない。逃した魚のことしか考えられないくせに、結局その魚がなんだったのかわかることなんて、ほとんどない。


 けれども大抵の人は、そんなことを忘れたことさえ気がつかない。

 だから忘れたとわかるぐらいには、最近掴めてきたって思えば成長したもんだろう。


 とはいえ、このまま喪失感ばかり味わっていてもやるせない。いつまで経っても天才からは程遠い。

 アイデアってのは、少なくとも創造的なことを仕事にしている人以外にはまるでないなんて思い込まれているけれども、いったい誰がそんなことを吹き込んだんだろう? たしかに大手の企業に勤めて、一日中プリンターの前に突っ立っているだけの作業に明け暮れていればそんなふうに頭を使わなくて済むかもわからない。しかし日常生活を退屈なものにしないためには、ほんとうに大したことのないレベルのものでいいから、アイデアが必要なのだ。


 例えば、すてきな作業BGMを検索するときの検索ワード。今日のお昼ご飯のテーマ、明日の予定や行き詰まっているゲームの攻略方法などなど。天才的なアイデアなんて要らない。ただほんのちょっとした閃きこそが、モノトーンな日常に色を付けるのだ。

 そんなアイデアというのは、とても気まぐれで、都会で行う昆虫採集のように、注意深く、真剣にやらないと、そもそも見つけることすらできない。しかし探せば案外いるはずなのだ。その多くが有名で誰もがあこがれるようなものではないというだけで、見つけるということがまず第一なのである。


 しかし、アイデアは一度捕まえればそれで終わりというわけにはいかない。

 捕らえて、檻の中に入れて、勝手に飢え死にしないように餌を与え、ときどき放牧してやらないと、勝手に死ぬか、いなくなる。


 さて、いままさにその後者の方だった。


 いなくなったアイデアをもう一回、その面影だけでも取り戻すためにはどうすればいいのだろうか。その点に関してと、慣れてくるといくつか手段がある。

 例えば、目印をつけること。目に見えないものにどうやって、と思われたかもしれないが、これは決して不可能ではない。アイデアはなんのきっかけもなく思い付くことなんてほとんどない。大抵、どこか慣れた場所(通勤電車の中だったり、散歩道だったり、寝る直前だったり)で、コップに少しずつ溜めた水があふれるようにアイデアは閃くものだ。


 だから思い付いた時は、その日時と場所を記録する。できればその時の思考の流れと、前後の話題を捉えておく。それは決して順列つなぎに脈絡がそろったものとは限らないけれども、その時考えていたことはひそかにつながっていることが多いのだ。

 山手線ゲーム、のような、ある種の連想遊びがある。ああいう感じで、ひとつのキーワードから連想して出てくるもの──つまり、りんごから赤色とか、キリスト教の原罪を引っ張り出してくるように、自分の頭の中がジャンプした軌跡がある。この道筋を逆再生し、もう一回たどり直すと、完全にとはいかないけれども、あのとき無くしたアイデアの断片ぐらいは取り返せる。


 ではちょっとお試しにやってみよう。


 ぼくが無くしてしまったのは、今日の小説のアイデア。通勤路を歩いていたときにハッと閃いた。そこは地名を言ってしまうとまずいのでぼかすのだけど、某市の川を渡る橋を歩いていたときに、急に話しかけられたことがきっかけだった。


「あの、すみません」

「はい?」

「駅まで連れてってくれませんか?」


 ちょうどぼくはイヤホンをしていた。たまからそれを外してもう一回聞き直さないといけなかった。しかし聞き間違いでなければ、この人はいきなり道案内を、しかも背景抜きで用件だけ切り込んだのだ。

 前後の文脈が無さすぎて、びっくりしたのをよく覚えている。


「ええと、道に迷われたんですか?」

「……」

「まあ、いいですけど。すぐそこ……」

「ごめんなさいね。まっすぐ行けば良いですもんね。ええ」

「あ、いや、別に大丈夫ですよ」

「大丈夫です。すみません」


 そう言って、その人は行ってしまった。女の人だった。ひとりでに問題は解決してしまったのだろうか。

 とにかくよくわからなかった。いきなり人に頼み込んでいながら急に去るって寸法がどうしてそうなってしまうのか。


 ぼくは首をかしげて、もう一回イヤホンをつけた。そのまま出勤したのだ。

 ところでそのあと、オフィスの同僚(女性)が出勤してきて、「なに今日! よくわからん人たちがウジャウジャと……」と文句を垂れていた。ちょうど座席が真向かいで、部署が違う人でもある。彼女は隣の人(男性)と喋っていた。


「なんか今日、駅の目の前で駅に道案内してくれって頼むおじさんがたくさんいて」

「そりゃあナンパだよ。古典的な」

「でもだったとして、そんなアタマの悪いのってあります? だってホントに目の前に駅あったんですよ。ねえ」

「うーん。この時期変な人には事欠かないからねえ」


 ぼくはふと、さっきのことを思い出す。


「ぼくもさっきそんな人いたんですよ。女の人だったんですけど」

「そうなんですか?」

「やっぱり駅の手前で、駅に連れてけって。で、行こうとしたらやっぱ良いって。あれもナンパの一種なんでしょうかね」

「さあ……」

「やっぱり変な人多いっすね」

「そうだねー」


 結局、この話題に結論はなかったが、妙な引っかかりだけが残っていて、いつか小説のネタにでもならんかと頭の中に仕舞っていたものである。

 これだけでは小説にはならないのだけれども、こういう小説になり切らないものが脈絡なく並んでいるのが日常生活だと思うと、案外おもしろいものなんじゃないかな。


 そんなことを思う、春の昼下がりだった。

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