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ワン・アイデア・ストーリーズ  作者: 八雲 辰毘古
想像しい夜に向けて
23/26

土遊びと情報遊び

 かつて公園にはお砂場があった。すべり台にブランコ、回転式のジャングルジムに、鉄棒などなど。子供たちは自由時間になるとすぐに飛び出して、おのおのが好き勝手に遊びたい場所を選ぶ。


 その中に、お砂場があった。


 お砂場はいまから思うと不思議な場所だ。ただブロックで仕切られた区画に、砂が詰まっている。それだけといえばそれだけだ。

 けれどもそこには無限の可能性があった。溝を掘り水を流せばそこは川になり、土を掬って盛り上げればそれは山になる。水に濡らせば泥となり、泥を緻密に組み上げれば城にも像にもなりうる。想像力さえ働かせることさえできれば、子供は創造主の喜びをその身で実感することができたのだ。


 しかし良いことばかりではない。虫もいる。微生物もいる。だからとても汚い。手を洗うことを怠れば、すぐに泥を口にくわえて悪い病気をもらってくるかもわからない。

 無限の想像力は、文字通り限りがないゆえに良いも悪いもない。だれも予測できないし、だれにも制御できない。


 それはブランコも同じだった。ただ鎖でぶら下がって、板に乗る。その板を体重をかけて揺らすだけなのに、なぜこうも子供たちを魅惑してやまないのだろう?


 それはきっと、外から見ていてもわからない。内側に入らなければ、その遊具に触れて、自在に使うときに触発される想像力に寄り添ってみなければ、決して理解することができない。

 よく見てみよう。よく聞いてみよう。アリをいじって遊んでいる子供たちも、カブトムシの幼虫を探してたくさんの穴を掘っている子供たちも、みんながみんな別に頭を使っているわけじゃない。ただ自分に見えているモノが、もっと言えば、自分達に見えているモノに対して、疑うことを知らないだけなのだった。


「例えば……そうだね。小説を想像してみるといいかもしれない。きみにはただの文字にしか見えないかもしれないけど、意味のありそうなまとまりを作ると、とたんに知らないことや見たことないものが、知っていて見たことがあるように感じるのとおんなじだ。現にこうして鉤括弧を付けただけで、急に話しかけられた気がするだろう?」


 そう、これはちょっとした遊び。大したことじゃない。けれども遊びにはルールが必要だ。ルールがあるからその中でまじめになることも、そこから飛び出して意外性を求めることもできる。もちろん、ルール違反に文句を付けられることを、込みで。

 同時に、みんながみんな、自分の知っていることを持ち込んでいい。例えば、昨日初めて団子を食べたんだったら、泥団子を作る遊びをしたっていい。すると、団子がどんなものか、よくわかるようになる。それらモノマネであると同時に、再現であり、表現でもある。


「でもね。そんなに素敵なことばかりだった遊び場も、いまはないんだよ」


 なんでだろう?


 理由はたくさんある。


 まず、イヌやネコが勝手におしっこやうんちをする。いくら自由に遊んでいいと言ったところで、動物のおトイレで遊んでいいとは限らない。

 次に、汚いのだ。虫もたくさんいるし、子供たちだけが使うとも限らない。行儀の悪い大人だってお砂場を汚すし、何か良くないものを隠すかもしれない。それを探したいと思う子供はいるかもしれないが、ばっちいと思う子供もいる。


 第一、そんなものに触れて親が喜ばない。

 現代は不安がいっぱいだ。知らない大人に連れて行かれたらどうしよう。悪い年上の子供の憂さ晴らしにされたらどうしよう。万が一悪い菌をくわえて病気になったらどうしよう……


 そうした〝よくわからないもの〟を恐れているうちに、いつしかお砂場そのものがなければ大丈夫なんじゃないかと思う大人が現れた。確かにあるかないかでやきもきさせられるぐらいなら、最初からない方が確実で良い。それは例えるなら、理由もなく急に怒り出す友人がいて、その人の機嫌をうかがいながらビクビク過ごすぐらいなら、最初からそんな人を友達にしないと選択することに似ている。

 確かに理には適っている。適っているのだが、何か後ろ暗いものを感じてしまう。それを感じないでいられる人がもしいるとしたら、かつてお砂場で遊んだ記憶を失くしてしまったか、自分の子供以外なにも見えなくなってしまったかのどっちかだ。


 手を洗えばいいじゃない。遊び終わったら清潔にすれば良いじゃない。そういう声も聞こえるけれど、ぼくらはお砂場遊びが終わったあと、ちゃんと手を洗っただろうか? サボったり逃げたりしてたんじゃないか? あるいは親が面倒見てくれなくて、好きにして良いよと言われながらほっぽかれなかったか?

 ひとつひとつの問題や疑問を掘り起こすときっとキリがない。だからぼくらはどこかでお話を形作る努力をしなきゃいけない。けれどもいまの子供たちにとって、遊びとは遊具のかたちに決められたものばかりだ。選択肢しかない子供たちにとって、新しく何かを作って考えることがあるのだろうか?


 そんなことを、お砂場の無くなった公園を前にして思う。

 いまは、お砂場の代わりにインターネットがある。ただし果たしてそれはあの頃のように自由だったのか、ちょっと自信はない。

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