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ワン・アイデア・ストーリーズ  作者: 八雲 辰毘古
想像しい夜に向けて
22/26

フライトモード

 階段を、数段飛ばして降りる。一段飛ばし、二段飛ばし、三段飛ばし。高低差が激しければ激しいほど、脚が痺れる。全身がゾクゾクする。勇気が要る。筋力も必要だ。

 けれども、着地の一瞬手前、自分がフワッとする感触がたまらない。それは高ければ高いほど長く持続する。ほんの零点、コンマ何秒の世界──ありえないほど短いその時間に、全身全霊を込めてぼくは階段を駆け上がる。その最上段は踊り場で、七段。七段上から飛び降りて、勢い込んで人でごった返す廊下に駆け込む。


 どん、と誰かにぶつかった。


「危ないぞ、気をつけろ!」


 先生だった。ぼくはその人の生徒じゃないけれども、先生は先生だった。断定の口調。命令形。道徳的な内容の示唆。とにかくハッキリとする。なめられないようにすることの裏返し。ただ、ぼくは全部わかった上で、おざなりな返事をする。先生はその返事に対して、眉をしかめる。

 ぼくはそれを見ないふりをした。SNSで不快な発言を見た時、そっとアプリを閉じるか、ミュートするような感じで、ベールをかぶせる。別に言わなくてもわかってるよ。礼儀ってのは大切だもんね。


 でも、ぼくがぼくらしくありたいと思った時、それは失礼をカマすしか〝らしさ〟を取り戻せないからだっていうことまでは、気づいてもらえないんだね。


 クラスに戻ると、ぼくは早速ノートを開いた。ほんとうはスマホがよかったんだけど、学校では担任に預けるルールになっていた。ちゃんと電源を切って貴重品袋にしまっておきなさい、と担任は言う。けれどもいちいち電源を切っていたら再起動までの時間がかかり過ぎる。だからみんなほどほどに、バレない程度にマナーモードやフライトモードにして誤魔化している。

 第一、繋がりが前提の時代に、切りなさいというのはばかげている。学校というのは、学校以外に世界はありませんよというためのルールに過ぎない。いわばサッカーとおんなじ。コートの中では脚だけでボールを蹴りなさい、ということ。つまり、繋がりは学校の中だけ。使って良いのは自分の頭だけ。そういうルールで戦わされる、子供たちのコロッセオなのだった。


 そんなことを、ノートを取るふりをして書き込む。授業時間は妄想を垂れ流す。書きなさいと言われたことを書くだけだったら、あくびが出て仕方ない。だからこっそり黒板を見ながら落書きをするんだけど、ときどき先生自身が見回りに来て生徒の手元をのぞくのだけがやかましい。

 人のスマホをのぞくのがマナー違反なように、先生は生徒のノートをのぞくなんてマナー違反だと思う。しかし大人にはそれが許される。


 なぜか?


 それはきっとぼくたちが子供だからだ。守られなければならないからだ。それは大人が子供を守るというだけではなく、子供に対して約束を、ルールを、仕組みを、守らせねばならないという二重の意味も持っている。

 そんなの余計なお世話。もちろんそんなの屁理屈だって言われたら、その通り。でも大人も大人なりの屁理屈だから、お互い様。


 子供のレッテルを貼られた側が、何をどう言ったって無駄なのは、スマホを取り上げられた時点ですでにそうだった。ぼくたちは外に出るための電波を失った。誰かと繋がるための小道具を隠されてしまった。さながらフライトモード。どこへ飛ぶかもわからないのに、電波があると精密機器にご迷惑をおかけしますので、電源をお切りください、とそういうわけなのだ。

 だとしたら、この狭っ苦しい教室も、エコノミークラスだと思えば納得する。


 もしもう少しマシな椅子に座りたいんだったら、もっとお金を払えるぐらい偉くなれって、そういうことなんでしょ?


 あっ、また先生が歩いてきた。ノートのページをさりげなくめくって、板書を写す。カッコ悪いけど、これがぼくの生存戦略。口先や上辺でとりあえず従うけど、ほんとの心は明け渡すわけにはいかない。

 遮断された電波。目と鼻の先にあるディスコミュニケーション。ぼくたちは同じ空気を吸っているのに、決してつながることはできない。仲間意識も、敵対意識もなく、とりあえず一緒にいるという不思議。それだけが、ぼくと周りを結ぶ虚しい関係の全てだった。


 放課後。ぼくはスマホを返してもらった。しかしモードは切り替えない。バッテリーがもったいないから、そもそも誰にも連絡しないし、通知も切ってるし。


 いくつもの暑い夏と寒い冬を超えていくうちに、バッテリーは劣化するものだ。だからフライトモードにしないと、電波があちこちに飛んでいって、すっかり消耗してしまう。

 ぼくはついに日常生活までフライトモードにしてしまっていた。別に飛行機に乗るわけでもないのに、飛行機マークが左上に占拠する。ぼくはどこに向かって飛んでいくのだろう。とりあえず、ここではないどこかに向かっていることだけは、わかっていた。

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