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ワン・アイデア・ストーリーズ  作者: 八雲 辰毘古
半径5メートルの非日常
13/26

手の込んだご飯

「ねえ、また?」


 そう言うわたしの目の前には、おかずを残した子供のすがたがあった。ぶすっとした幼稚園児の顔は、不服をあからさまにする。

 せっかく作った鳥と根菜の煮物が、ぶざまに取り残されたにんじんのみとなっていた。


「──多いんだよ。貴美子の作った料理は」


 隣りの夫も残していた。具材をまんべんなく、一口ずつ。それが無理して食べようとしてやっぱり限界だったのだと訴えかけるように皿の隅に集まっている。確かに多くよそっていたかもしれない。疲れているだろうと思って、たくさん食べてほしいと言う気持ちが先んじていたかもしれない。

 けれども、せっかく作ったものをこうも腹立たしい方法で突き返さなくても良いのに。


「ごめんなさいね。てっきりお腹が空いてると思ってたの」

「ぼくにんじんいやー」

「しょうちゃん、にんじんたべないとおおきくなれないわよー」

「いやだー!」


 子供がぐずる。出産から五年が経ち、言葉を覚えてからというもの、よく喋り、よく自分の好き嫌いを主張した。できない子供に比べればまだ健康的とも言えるかわからないけど、元気が過ぎてむしろストレスだった。聞かん気な男の子で、好きなものばかり食べる。嫌いなものは頑として食べない。


 それだけなら、まだいい。


 厄介なのはぐずって、騒いで、暴れることの方だ。

 案の定、身を左右に振って、椅子から転げ落ちんばかりにテーブルを揺らす。あまりに強い力だったから、麦茶を入れたコップが倒れた。そのままこぼれた液体が、夫のひざにしたたり落ちる。


「あー、もう。彰一こんなに嫌がってるじゃんか。やめてあげろよ」


 夫は子供に甘い。なんでも、厳しい家庭に育ったから自分の子供にはのびのび育ってほしいのだとか、なんとか。

 確かにわたしが結婚のあいさつにうかがった時、義母から作法がどうとか上座がどうとかすごく細かいことを教わった。それまでわたしもてきとうに生きてきたから目が点になったものの、すでに社会人経験のあったので合わせることには慣れていた。だから結婚できたし、嫁姑関係はわたしが下がることによって比較的無難に済んできている。


 ただ、それとこれとは話が別だ。


「アレルギーじゃないんだから……」

「でも無理強いは良くないよ」

「そうだけど……」

「いつか食べられる日が来るさ。だから今日はこれでおしまい」

「やったー! パパだいすき!」


 わたしは彰一を横目でにらんだ。彼は賢い。最初、頭が良いのは嬉しいことだと思ったが、わたしの認識が甘かった。同じ賢いでもずる賢いと手に負えないのだ。

 食後、食べ残しを捨てて、残ったご飯をタッパーに詰める。どうしてなのだろう。にんじんのアク抜きを怠ったつもりはない。試食もしてだいたい美味しいとわかっている。出汁の味に口うるさい姑を黙らせるほどには鍛錬を積んできたのだ。にもかかわらず、お子様は理不尽に自分勝手に食べ残す。


 もちろん作り過ぎたかもしれない。だから翌日の晩ご飯は減らした。生姜焼きにする。すると今度は「足りない」と夫に言われた。息子は相変わらず残す。玉ねぎがいやだと駄々をこねている。


「そんなに食べたくないなら次からご飯抜きにするよ」

「えー、やだー」

「だったら食べなさいよ!」

「やだー!」

「貴美子、それは虐待だよ」

「ぎゃくたいー」


 夫の無自覚な優しさと正論が、わたしを無自覚に追い込んでいく。まるでわたしが悪いことをしたかのようになっていく。

 結局、彰一は玉ねぎを残した。父親に構ってもらえてさぞかし嬉しいことだろう。わたしはそのあと片付けをしながら、なんでこんなことをしているんだろうと苦い思いを噛み締めていた。


 翌日、おとついの残り物をお昼に食べながら次の晩ごはんのメニューを考える。けれどももしまた残されたら……と思うと頭の回転が鈍くなった。ああでもない、こうでもないと思い悩んでいるうちに、だんだん具合が悪くなって、夫にテイクアウトを頼むことにした。


 彰一は大喜びだった。

 なんだかそれで全てが嫌になった。


「ねえ」

「うん?」


 夜。彰一が寝付いてから、夫とふたりで話し合いを始める。


「わたしのご飯ってそんなに要らないのかな……」

「そんなことはないと思うよ」

「でも彰一が食べてくれないし」

「まああの年頃の子供はなんでも好き嫌いするさ。そうでなくても彰一は気が強いし」

「……そうよね」

「ちょっと頑張り過ぎたんだよ。貴美子は休んで大丈夫。ぼくはご飯は作れないけど、貴美子がダメならいつでもテイクアウトのお金は出すから」


 こういうときの夫はとても優しい。良い人と付き合ったなと思う。

 ただ、子供を交えると何かがこじれる。それはわたしが悪いのだろうか……?


 確かに言い方は良くなかったかもしれない。しかし子供にとって栄養バランスや体調管理と言った概念は未知のものだ。

 今本人がそれを知る必要はない。ただ、それをある程度視野に入れて手伝ってあげることも親の役割ではないのか。


 もちろん、せっかく作った料理を一方的に放り捨てられるのもうれしくはないのだが。


 夫はこのモヤモヤに気づかない。突っ込みもしない。ただ聞かれたことに答え、机上にのぼった悩みを正解に導いただけ。もちろんそれはとても正しい。わたしはその結論をほんとうは喜ぶべきなんだと思う。

 けど。けども。わたしは何か食べたくないものをグッと飲み下されたような、そんな違和感をお腹に感じざるを得なかった。


 翌日もやる気がなくて(拒絶されるのが怖くて)ご飯を作らなかった。

 わたしが控えめになったせいか、彰一は嬉々として出前やお弁当を食べる。いや本当はわたしの振る舞いと彰一の振る舞いに関連はないはずなのに、なぜか繋げて考えてしまう自分がいる。自分が産んだ子供だから、自分の手で作ったご飯でないとダメ──そんな思い込みが、どこかあったからああも食べさせなきゃいけないような気がしていたのかもしれない。


 思えばわたしは母が一日も休まずにご飯を作り続けていた。雨の日も、風の日も、熱が出ても自分で作っていた。「手作りの方が自分の口に合ってるんだよ。私が若いころはいまほど外食がなかったし」そう言っていた。

 別に母から子供は手作りのご飯で育てなさいとは言われてない。しかし、自分の手で作ったものが自分の口に合うという点は、作り慣れた身からするとよくわかる。


 だが。しかし。けれども。とは言っても。


 たくさんの逆接の言葉が私の本当の気持ちを捻じ曲げて、捻じ曲げて、元の形がわからないぐらいにぐるぐるに歪めていく。行き場がわからないからイライラするし、イライラするから余計なことがいちいち気になる。そして、気になると怒りっぽくなるのだ。


 おまけに、作りませんとキッパリするとかえってわたし自身居場所のない気持ちになる。なぜってご飯を作らなかったら、我が家の食事の切り盛り役は夫になる。専業主婦のわたしは、お昼に自炊する以外に、家族との接点かなくなるのだ。

 ただ、服を洗濯し、部屋を掃除し、ベッドメイキングする……「残さず食べなさい」と「行儀良く食べなさい」以外の特に目立ったコミュニケーションもなく、「何が食べたい?」とテイクアウト可能な店舗の名称から決まりきった季節のメニューに書かれた好き勝手な固有名詞を読み上げるだけの、食事前の空回りしたウキウキ感。料理というものをしない人間にとって、食べ物は常に見えない誰かが用意してくれるものだった。しかし作る側の人間はよく知っている。それはいつも誰かが誰かのために前もって時間と労力を掛けて準備するものだということを。


 外食産業が悪いわけじゃない。しかし手ずから用意した食べ物をつっぱねて、さながら自分の自由があるかのように外食の無数の選択肢から選んで買うだけのご飯に、わたしはどこか満足がいかなかった。必要な時に、必要な分量、必要な味で、そんな言葉はどれだけデリバリーサービスが発達しようとも、どれだけ専門店が腕によりを掛けても、宮廷時代のように専属の料理人というのがいない限り不可能だと思う。しかし、心のどこかでそういうものを望まずにいられないのがわたしのような人間なのだ。


 わたしはだんだん元気になるにつれて、夫と子供とは別に食事をとるようになった。彼らがテイクアウトで済まして楽しんでいるのなら、わたしはわたしで自分向けの料理を作ることにする。それが自由だというのであれば、それでいい。

 自分のためだけに作って良いということにしたら、ちょっとだけ料理を背伸びをすることにした。普通に作れば味が予測できてしまうから、知らないレシピに挑戦しようということになった。


 青椒肉絲とか、回鍋肉みたいな中華料理に、ただの野菜炒めだって、一から手間をかけて作ると案外美味しくて、面白い。

 ただのソース一滴、加熱時間の計測、下処理の有無……いままで急いでてスキップしてきたものを、わざと手間と時間を掛ける。子供に食べさせるのだと毎日作るようなものでなく、自分で自分を労うために、一日に一回だけ用意するような、そんなものを作る。


 大したことじゃない。けれども、少し、ほんの少し手を掛けていくと、それだけわかることがある。知れることがある。それが面白くて、美味しかった。


 さて、わたしのモヤモヤはこれで解消したというわけではないし、なんなら問題は結局のところ全く解決していないのだけれど、家族内の不穏な空気はこれで無くなった。これで夫も満足したのか、家に帰ってせっせとテイクアウトをするような生活に勤しむ。気が付いたら彰一も夫も体重が増えてしまったが、まあ、それはそれで良いんじゃないか。


 と、思っていた矢先──


「あの……」


 食事を別々にして三ヶ月ぐらい経っていた。


「またご飯作ってくれないかな? ほんとに申し訳ないんだけど」

「どうして、また?」

「彰一がもう飽きたみたいなんだ。近場のレストランも出前屋も一通り食べちゃったから、もう知ってるご飯しかない! て駄々こねちゃって」

「甘やかした結果です。責任取りなさいよ」

「ごめんなさい。もう無理です」


 頭を下げる。下げない男もいる世の中ではむしろ対等に接してくれているというところなのだろうか。それにしても勝手が過ぎるとは思うけれども。

 ため息を吐く。なんで。わたしが。召使じゃありませんよ、だ。


 わたしはごはんまだー! と叫ぶ彰一のもとに向かった。


「彰一、今日のご飯、何が良いの?」

「わかんない。でももうお外のやつあきた」


 一瞬、腹の底に飲み込んでいたはずのいろんな言葉が飛び出し掛けた。しかし、そんなものよりも、今まで少しずつ自分で作って満足させてきたぶんが、それをそっと押しとどめてくれた。

 わたしはそっと腰を屈める。彰一と同じ目線に立つ。


「じゃ、彰一。今度は一緒にご飯作ってみようか。自分で作れるようになれば、もっといろんなご飯が食べられるよ」

「ほんとー?」

「ほんとだよ。そろそろ違うこと、やってみようか」

「……わかった」


 むすっとするが、彼はようやく自分の足で立ったのだった。

 さてさて、今日はどんなご飯ができることやら。

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