目玉焼きは半熟で
食べたいものを食べられないというのはなかなか辛いことだ。例え、夢の中であってもだ。
有名なケーキ屋さんのショートケーキが食べたいのに、お小遣いが足りなくて、渋々学校帰りにコンビニケーキを買って帰ったとする。
確かに美味しいけど食べたいケーキじゃない。満足できないから、その有名なケーキ屋さんのショートケーキを口に入れるまで体がショートケーキを渇望してしまう、みたいな。
何が言いたいかと言うと。
私はお皿に白米をよそって、その上に目玉焼きをのせて醤油をかけるのが好き。なのに、夢の中での目玉焼きは両面焼きなんだよ。目玉焼きの何がおいしいって半熟の黄身がご飯に流れて、醤油と混じり合うあのバランスだよね? とろとろの黄身が苦手って人も一定数いるとは思うよ? だけど人それぞれ味覚は違うから好みも違う。
それはそれでおいしかったよ? だけど私は純粋な白米on目玉焼きを食べたかったんだよ。でも新参者の私がそんな注文できるはずもない。我慢するしかなかったよ。
「ごはん作ってんのか? 珍しい」
「うん。ごはんに塩こしょうたっぷりめの目玉焼きのせてあげるね」
「ありがとう。父さんと母さんのは塩分控えめにしろよ。この前血圧気にしてたからさ」
「分かった」
お兄ちゃんの気遣いはすごいと思う。優しんだけど、それだけじゃなくて、ちゃんと相手のことを思った配慮をするというか。そのせいで、たまにすごく厳しいんだけどね。うん、まぁ、なんていうか。高瀬家はみんな愛し合ってるってことだ。私も家族みんな大好きだ。
……うわぁ、背中にびしびし視線を感じるよ。すごい見張られてる。昨日も私の部屋で寝ようとしてたもんね。追い出したら、私の部屋のドアにもたれて寝てて侍かと思ったよ。本当にやめてほしい。もう熱もないし大丈夫なのに。
一番意味が分からないのは私の部屋に家宅捜査が入ったことだよ。部屋から追い出すならって、私の部屋のハサミやカッターを押収して、お茶を持って部屋に入ろうとしたときは、どこからともなくペットボトルのお茶を差し出されたよ。
ちょっと警戒しすぎじゃない? 十人くらいにキスリレーされても、連れ去られるのが怖くて眠ったふりを続けた私も大概だけどさ。お兄ちゃんは私の更に上を行ってる気がする。さすが先達! 今はきっと刃物を持っている私を警戒している。
心配してくれるのはありがたい。だけど。お兄ちゃんのそのよく分からない使命感のこもった力強い瞳。やめてほしい。
「お兄ちゃん。私もう大丈夫だよ。お兄ちゃんが私のこと大好きなのは分かったから。もうやめて」
「ほら」
お兄ちゃんは私の言葉に返事はしてくれなかった。代わりにワカメを切ろうとして手に持っていたキッチンばさみを取り上げる。ワカメも取り上げて、お麩を出汁を入れた鍋に投入した。
どうやらワカメと卵の味噌汁じゃなくて、お麩と卵の味噌汁になるようだ。卵が多い気もするが仕方ない。私卵が大好きだから! それにお兄ちゃんが何も言わないってことは、コレステロール的なことを考えても両親にとって問題ないからだと思う。
別にお兄ちゃんは医者の卵でも栄養士の卵でもなんでもないけど、異常な健康オタクで、栄養士や医者、保健師が書いた本を熟読している。この前、高血圧患者のための食事指導なる本を真剣な顔で見てたときは誰に指導しようとしているのかとピンときて、お父さんにチクったら、お父さんは震えてたけどね。ビール飲みながら。
私もたぶん太ってきたらお兄ちゃんのメスが入ると思う。部活もしてるからか、もともとの体質か太らないのは幸いだ。今は夏休み中で、部活はお兄ちゃん指示で休みだ。なんだろうね。このお兄ちゃんの圧倒的な発言権は。
私がお味噌汁の味噌を溶いてると、お兄ちゃんはものすごいスピードで野菜を切ってお浸しとナムルを作った。そんなお兄ちゃんは調理師の専門学校に通っている。私の監視ついでに朝食に二品追加した。食べたいと言ったものはだいたいお兄ちゃんが作ってくれる。
お母さんの料理もおいしいけど、新しくてちょっと凝ったものを言うと、お母さんは静かにお兄ちゃんを見る。その視線を捉えてお兄ちゃんがため息をはいて、「……分かったよ」と言うまでがセットだ。高瀬家バンザイ。おいしい食卓バンザイ。私が食いしん坊になったのはおいしいごはんが毎日並ぶこの食卓にあると思う。ありがとうございます。
「お父さんとお母さんは?」
「二人も今日は休みだからまだ寝てるよ。呼んでこようか?」
「あ、そっか今日日曜日だ。夏休みだから曜日感覚なくなってるわ。呼んでこなくていいよ。ゆっくり休ませてあげよ」
「あぁ」
そして疑問。なぜ、お兄ちゃんは私が起きてキッチンにいることに気付いたのか。
「家庭内ストーカー、マジやべぇ」
「……なんか言ったか?」
冷たい風が吹きそうな冷たい瞳でにらまれてぐっと息が詰まる。
「……何も言ってません。……ごはん食べよ?」
「あぁ」
お兄ちゃんと二人。椅子は四脚。でも、お兄ちゃんの隣の席は私の席で私の隣の席はお兄ちゃんと決まっているから、二人並んで食べる。
そっと人参を避けて大皿から自分の小皿にナムルを取ると、さっと人参が皿にのる。
不機嫌に目を細めてお兄ちゃんを睨むけど、私の睨みなんかお兄ちゃんの睨みに叶わない。目を眇めて「どうした?」と言われれば「いえ、なんでも……」と言って、大人しく食べるだけだ。
「今日は天ぷらが食べたいな。明日は肉じゃが。そんでその次はとんかつ。刺身もいいし、おうどんも。カレーライスもすてがたいな。あ! 鍋もいいね! 熱いからこそキムチ鍋!」
「……食いしん坊悪化してないか? 一週間分くらいの夕飯メニューが頭ん中回ってるって……」
「だって、最近は洋食ばっかり食べてたんだもん。和食が恋しくなるよ」
「……夢でだろ?」
「そうだけど、すごくリアルな感じで、本当に夢の中で生きてごはん食べてたって思うくらいだったんだよ」
お兄ちゃんが不思議そうに私を見た。
「すごくリアルな夢なのに、印象に残っているのが飯食べてたことだけ?」
いや、呆れてたようだ。でも呆れられる意味が分からない。私は静かにお兄ちゃんに諭す。
「お兄ちゃん、食べるってことはね、人間の三大欲求なんだよ? 食べるってね。生きるってコトなんだよ」
「……どこかで聞いたような台詞だな。まぁ、いい。そんなに食いしん坊なのにモテモテだったのか?」
「うん! 名前を聞かれてね。でも明らかに日本人の外見じゃないのに小夜です。なんて言えないじゃない? だから記憶が曖昧で思い出せないから名前つけてって言ったの」
「なんて名前になったんだ?」
「『ふんわりと花が開くように笑みを広げるだろう? だから花の女神。フローラ』だって! 私、お花に例えられたなんてはじめてだったよ! 外見は眠り姫のものだけど、笑い方は私のものだよね? ね?」
お兄ちゃんが額に手を置いてうつむいた。
なんだろう、モテモテ妄想爆発妹、マジやべぇって思われてる?
「……ウィリアムか」
「ウィリアムだよ! よく覚えてるね。私の夢の中の登場人物ってだけなのに」
お兄ちゃんが変すぎて笑ってしまう。普通覚えないよ。家族の夢の中の登場人物の名前。
「ウィリアム、お前に惚れてんじゃないか?」
「たぶん惚れてたね。少年は眩しいものを見るような目で私を見てたよ」
「王子に見初められたか」
「いや、夢の話だし、ウィリアムが惚れてんのは外側だけだろうしね。私じゃないよ」
本当、夢の話なのになんでこんなに感情移入してんだろ。なんか、お兄ちゃんも真剣だし。私の夢の話が高瀬家で好評すぎる。
「で、今日の夕飯を食べる前に昼ご飯があるわけだけど、お兄ちゃんは昼ご飯なに作るつもり?」
「……なんで俺が作ることが当たり前みたいに……」
「カレーライスが食べたい」
強請るように上目遣いでお兄ちゃんを見上げれば、観念したように「材料買いに行くぞ」と言った。ちょっと面倒くさい。いつもなら誘われなくてもついて行くけど、やっぱり私は病み上がりみたいだ。
「行ってらっしゃい」
「……具合悪いのか?」
お兄ちゃんの心配性がまた始まったので、仕方なしに重い腰を上げた。ヤレヤレ。
お兄ちゃんがカレーを作っているのを私はカウンターからのぞき込むように見ている。いつもならカウンターを回って隣に行くと、手伝いをさせられるのに、今日はカウンターで座っているように言われたのだ。
なんで、私と刃物をそんなに遠ざけたがるんだろうね?
「なんで、そんなに私と刃物を遠ざけたがるの? 高熱のときはひどい有様だったみたいだけど今は意識もしっかりしてるのに。間違っても私が痛い思いすることにはならないよ」
「……別に刃物から遠ざけたいわけじゃない。まだ病み上がりだから、座ってたほうがいいってだけだ」
嘘だ。それが本当なら私の部屋からハサミとカッターが消える訳がない。覚えてないからなんとも言えないけど、過保護すぎるよ。
そんな私の不満はカレーの美味しそうな匂いでたちどころになかったことになる。
……いい匂い、おいしそう。この匂いだけでご飯が食べれる。お兄ちゃんはいい仕事をしたとだけ言っておこう。
「それで夕飯なんだけど、天ぷらね」
「今カレーライス食べてるところだろ」
「予定をちゃんと立てるのは社会人の基本だよ」
「小夜はまだ高校生だろ」
「大人になる練習は子供のときから始めるもんだよ」
「あー言えばこう言う」と頭の痛そうな顔をしながら、それでもお兄ちゃんは何の天ぷらがいいか聞いてくれる。お兄ちゃんは私の神様かもしれない。知ってたけど。
夕飯はお父さんとお母さんも一緒に天ぷらを食べる。最近、塩で天ぷらを食べることを覚えた私は、日本酒を飲みながら抹茶塩で天ぷらを食す両親を横目にして、ちょっと大人に近づいた気分になる。
ピーマンも椎茸も美味しい。レンコンの歯ごたえが楽しいし、なんと言っても天ぷらの王様は海老でしょう。衣はカリッとしてるのに身はふわっとしてる。この上げ具合、お兄ちゃんはやっぱり私の神様だった件。いや。もしかしたら私に美味しい食事をお届けする食の伝道師かもしれない。どちらであっても離さない。
チラチラとお兄ちゃんを見ながら「デザートにプリンが食べたいな」と言うと、ため息を吐きながらレンジで簡単マグカッププリンを作ってくれる。温かいできたてのプリンも美味しいよね。ハフハフしながらプリンを食べてると、隣でお茶を飲んでるお兄ちゃんがガタッと立ち上がった。
お母さんのうるうるした目を見れば、そのうるさい視線に耐えきれず、お母さんにもマグカッププリンを作ってあげるのだろう。そしてそれは大正解だった。私の正面に座るお母さんが大満足の顔でハフハフしている。
お兄ちゃんありがとう、合掌。
「明日の朝は私が作るね。今日は目玉焼きにしたから明日はオムレツかな」
「いい、小夜が作ると毎日卵ばかりだ」
「あら、いいじゃないの。お母さんも好きよ。卵料理」
「父さんも小夜が作ってくれるならなんだって美味しいし嬉しい」
「……仕方ないから、ふんわりしたオムレツの作り方を教えてやる」
私のおかずのレパートリーに難色を示したお兄ちゃんも、両親の言葉に負けて、私の手ほどきをしてくれることになった。そのお兄ちゃんのちょっと悔しそうな顔がなんか面白い。それがおかしくて私が笑うと、お父さんとお母さんも噴き出すように笑う。お兄ちゃんが気まずそうに苦笑した。
「明日お願いね!」
どうせ、家庭内ストーカーのお兄ちゃんは、なぜか私の目覚めに気付いて気付けば背後にいるんだから、時間の予定会わせは必要ない。私の目が覚めたタイミングが料理スタートのタイミングだ。私にとってベストなタイミングだ。
うん? 明日は月曜日だから、夏休み中の私とお兄ちゃんは別としてお父さんとお母さんは仕事だから……。え? 早起きしないといけなくない? うわー夏休みの醍醐味はダラダラした朝なのに-。
明日の朝起きられるようにスマホのアラームをセットした。むーんと布団の中で考えなら眠りにつく。
スマホのアラームで眠たい目をこすりながら起きて、お兄ちゃんに教えてもらいながら、キッチンで朝食を作る。
……そんな明日が当たり前に来るはずだった……。